聖なる夜に、乾杯を





静かに雪が舞っていた。
昨日大雪警報が発令され翌朝には近年稀にみる大雪になった。
今日一日は晴天に恵まれホワイトクリスマスだと賑わう人々は決して少なくはなかった。
しかしまもなく聖夜も終わりを告げるだろう22時過ぎに再びこの天候である。

明朝は朝から訓練が予定されている。
その困難さを頭に思い描き、このまま本降りになってくれるなとミュラーは樫の木で作られた古く重い扉を開いた。

「珍しいな。お前が呼び出すなんて」
「そうか?」
「何かあったのか?
「なぜ?」
「お前からお呼びがかかる時は何かある時だ」
「何だよ、それ」

金色の瞳を細めて鼻で笑いながらキスリングは煙草をもみ消した。
白磁の灰皿には既に何本もの吸殻がマスターを無くした操り人形のように横たわっている。

「相変わらずのヘビースモーカーだな」

ミュラーは苦笑交じりにコメントすると椅子を引き着席した。

「明朝一番で訓練が入ってる。用があるなら早く済ませてくれよ」
「別段用はないさ」

言いながら煙草の箱を差し出したが同じ年の上官はそれを手で制し断った。

「相変わらず吸わないのか」
「まあな」
「ぼっちゃんめ」

勝手に言ってろよとミュラーはカウンターにウィスキー頼む。

「それにしても本当に珍しいじゃないか。お前がこの日に一人だなんて」
「あ?ああ。さっき別れた」
「は?」

あまりにもサラリとしたキスリングに砂色の瞳が大きく見開かれた。

「別れたって…」
「そういうそっちこそ。良かったのかよ。『こんな日』にここに来て」
「俺はいいんだよ。別に問題ないし」
「ふうん…」

上目遣いに意味ありげな視線を投げる相手にミュラーの中の導火線がカチリと音を立てた。
どうも発火点が通常より短くなっているらしい。
何故かは自分でもよく分からなかったが、今日のこいつは何処か棘があるような気がしてならなかった。
しかし何事かを言おうとした口は先ほどオーダーした品の到着によって見事に遮られてしまった。

「とにかく飲めよ」

とりあえず頷いてテーブルの上に置かれたグラスに指先が触れると、茶褐色の液体の中で氷がカランと透明な音を立てて僅かに傾いた。

「俺と付き合う自信がなくなったんだとさ」
「ん?相手の女性か?」
「まあな」

ふちを中指と親指で摘まんでグラスを胸元まで掲げた格好でキスリングが自嘲気味に頷く。
ミュラーはその様子を黙って見守った。
どうせ独り言のように語るのだ、この男は。

「真剣に付き合ってる、と思ってたのは俺だけだったらしい。もう耐えられないとさ」
「何に?」

こういう時、ミュラーは知っていながらもあえて問うてみる。

「聞くのか?」
「聞いちゃ悪いのか?なら聞かないが」
「そうじゃない。知ってるんだろ。いつものごとくだよ」
「なるほど。なら俺の言いたいこともいつもと同じだな」

酒場のほの暗い灯の中で細められた瞳に釣られるようにキスリングも薄く笑ってみせた。

「言っとくが、俺は俺のスタイルを変えるつもりはないぞ。これもお前のことだから分かってるだろうがな」
「ああ、よく分かってるよ」
「本当かよ」
「というか、もう飽きた」
「あ?」
「いつもいつも同じ言葉の繰り返しだ。俺の言葉はお前にとってはお小言にもならないだろう?」

何が可笑しいのかミュラーの言葉尻は何処か愉快そうだ。

「おかしいか?」
「おかしい?変ではないぞ」
「そうじゃない。面白いかと聞いている」
「別に面白くはないさ」
「だったら何で愉快そうに言うんだよ」
「お前はお前だなと思ってさ」
「そうか?」
「きっとそうなんだろ」
「何だよその表現は」

知らないよとまたしても面白そうに答える友人にキスリングは短い舌打ちをくれてやる。
普段親衛隊長などというお堅い職務に就いて知らぬ存ぜぬの澄ました顔で職責を果たす男とは同じ人物とは思えないくらい日常の彼は素直なようにミュラーの目には映る。
異性に対してもこのくらい素直になれれば、少しくらい顔を見なくたって連絡が滞ったって向こうから別れ話を切り出されるなんてことは無いかもしれないのに。
そんなことを考えながらシャンパンを注文すると訝しげな表情で勤務外の親衛隊長殿がこちらを見ていた。

「せっかくのクリスマスなんだ。祝おうじゃないか」
「何を」
「俺たちの、いや、お前の未来に幸あれってね」
「は?何だそれ?俺だけかよ」
「俺は別にいいからさ」
「どういうことだよ」
「まずはお前からってことだよ」
「なっ…」

テーブルに届けられたオーダー品によって今度はキスリングが口を塞がれる番だった。
配達人になったウェイターが店オリジナルのクリスマスシャンパンだと付け加えると、こちらもこの日の為に用意したという細長いグラスに二人分の杯を注いでくれた。
薄い桃色のそれは照明のほの暗さで僅かに茶色くくすんで見えた。
グラスの中の小さな気泡が早く飲んでくれと言わんばかりに躍動的な上昇を繰り返している。

「まあいいよ。付き合ってやるよ」

キスリングがグラスを掲げた。

「どっちがだよ」

ミュラーもいつもと変わらない柔和な笑みを浮かべながらそれに倣う。

「メリークリスマス!」

どちらから合図したわけでもないのに二人の男の声が見事な調和を果たすと、グラスとグラスがテーブルの中央でカチンと軽やかな音を立てた。

外では先ほどまで舞っていた雪も姿を消し、いつしか美しい冬の夜空が広がっていた。

<END>



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