白き妖精
珍しく寝付けない夜だった。
先ほどまでのパーティが未だ尾を引いていて興奮冷めやらぬという状態なのだろうか。
ここ数年アレクサンデルが生まれてからのクリスマスは幸せに満ちていた。
義妹と甥っ子とシャンパンを飲みケーキを頬張り和やかに過ごす夜はまるで自分が昔に戻ったような錯覚を覚える。
弟とその友人と、決して裕福ではなかったが毎日が幸せで愛に溢れていた。
そんな時代に返ったような心持になる。
暗闇の中でベッドサイドに置かれた時計に目を遣ると時刻は23時半をとうに廻っていた。
まもなく今年のクリスマスも終わる。
アンネローゼは思うとはなしにベッドを抜けバルコニーへと続く扉に手を掛けた。
それでも貴方たちがいない……。
心に開いた穴を吹き抜けるかのように寒気が全身を覆った。
当たり前だ。今は冬真っ盛りなのだから。しかも今年は例年にない大雪だ。
(何か羽織れば良かったかもしれない)
そうは思ったがそんなに長い間外気に身をさらすつもりもなかったので寒さはこの際無視することにした。
深夜近くに出たバルコニーからは庭園の中央に据えられたモミの木が美しいイルミネーションをまとって鎮座している姿が一望出来た。
「あら?」
ふとモミの木の隣に人影が見えたように思えた。
こんな時間にそのような場所にいるとしたら警護担当者あたりなのだろうが、何故か心に引っ掛かった。
こちらを見上げ、自分を見ているように思えた。
更に云うなら視線が合ったような気がした。
気づいた時には上着をはおり階下へと続く階段を一人降りていた。
「誰かいるのですか?」
夜半近くだということを憂えあえて声量を抑えてはしたが、本当ならもっと大きな声で相手を確認したい思いにアンネローゼは捕らわれていた。
しかし反応はない。
それでも確かに何者かの気配が飾り付けられたモミの木の背後にはあった。
「どなたかいらっしゃるのですか?」
もう一度声を掛けた。
もしかしたら不審者だという可能性が無きにしもあらずだったが不思議と恐怖はなかった。
「そこにいらっしゃるんでしょう?」
言い終わるや否や影が動いた。
いや、果たしてそれは本当に影なのか。
黒いはずである影が白い…ように思えた。
次の瞬間、アンネローゼは目をみはった。
「ジーク…!」
一瞬息が止まり、時間さえもその歩みを止めてしまったかのように思われた。
そこには何年も前に自分を弟をこの世に置き去りにして遥か天上<ヴァルハラ>へと旅立った赤い髪の青年が立っていたからだ。
全身を淡い白の光で包んだ青年は明らかにこの世のものではなかった。
ひょっとしたら幻であるかもしれなかった。
それでも溢れる喜びを止めることは出来なかった。
「貴方…どうして…!」
彼へと手を伸ばした。
だがしかし、歩み寄ることは憚られた。
出来るだけ近くに行きたいという思いはこれ以上ないくらいにあるのだが、そうしてはいけないような気がした。
触れれば、彼は瞬く間に消え去ってしまいそうな予感がした。
「来て、くれたのですか?」
現実にはいないはずの青年がその問いに答えるように穏やかに微笑んだ。
「どうして…」
その先は言葉にならなかった。
ただ見つめ合った。
懐かしい青い瞳がアンネローゼの視界の中で揺れている。
「ジーク…」
呟くように青年の名を呼び、堪え切れず一歩を踏み出した時、突如一陣の風が吹き抜けた。
それはざざざという葉擦れの音と共に地上に積った雪を舞いあげ、きらきらと銀の結晶を二人の下へと降り注がせた。
「まだ…連れて行ってはくれないのですか…」
小さいがしっかりとした言葉が青年に向けられると、彼は困ったような笑みを一つ浮かべた。
「貴方はいつもそうして静かに微笑むのですね」
アンネローゼもまた困ったように微笑むと、この世界に存在した時分キルヒアイスと呼ばれた青年の顔に包み込むような温かい表情が宿る。
「いいのよ。分かっているの」
だがアンネローゼはかぶりを振った。
「ごめんなさい。私のせいで貴方に…」
するとその先は言わせまいというように青年が口を開き何事かを述べている。
しかしその声は聞き取れはしなかった。
それでもアンネローゼには彼が何を言ったのかが理解出来たように思えた。
そして再び僅かな時間二対の瞳が交錯した後…。
青年は…幻は静かに消えていった。
知らず頬を涙が伝った。
悲しいはずであるのに幸せだった。
遠くで0時を知らせる鐘が鳴っている。
聖夜は終わりを告げた。
奇跡ももはや何処にも存在しない。
<END>