完・赤い変質者の最期





クリスマス当日より遡ること、ひと月ほど前のある夜。
バイエルラインの携帯ビジフォンにミュラーからの着信があった。
普段から周囲に温厚で誠実という評判が高い鉄壁提督からのコールを彼は何の考えもなしに受けた。
飲みに来いと云う。メンバーは誰かと何の気なしに尋ねると親衛隊長も一緒だという。
脳裏を豹のような金色の瞳と身のこなしを持つ赤銅色の髪の男が過った。
何となく嫌な予感が頭を掠め、一度は断った。
するといつの間に代わったのか電話口からキスリングの声が聞こえてきた。
とにかく今すぐ来いと云う。
そこには不思議と断りきれない響きがこもっていて…。

「それで飲みにいったと?」

ミッターマイヤーの問いにバイエルラインは容易に頷いた。

「しかしだな。そもそも何故お前があの二人に呼び出される?接点が見えないのだが」

もっともらしい質問に至極簡単に回答者は口を割る。

「先輩なのです。士官学校で2期上があの二人なのです」

なるほどと上官は内心でぽんと手を叩いた。
全ての謎が解けた瞬間でもあった。
要するにミュラーとキスリングは士官学校生時代に先輩として後輩のバイエルラインの上に君臨していた。それも圧倒的威力をもって。それは卒業以来の疎遠な期間も、現在其々が賜わっている階級の上下をも凌ぐほど強固なものであったのだ。そしておそらくミュラーよりキスリングのほうがバイエルラインには否と云えない存在であるのだろう。

「それは…」

そこまでの考えに至って初めてミッターマイヤーは眉をひそめた。
それではどうしようもないではないか。
単純にそう思った。

「やはりミッターマイヤー提督もそう思われますよね?」
「む?」
「逆らえませんよね?先輩二人に命令されたら」

容赦のない湿った視線が上目遣いに注がれる。
それでも後々同じようなことが繰り返されてもミッターマイヤー的には非常に困るのである。今日にしたって家族団欒が台無しにされたのだ。哀れな部下を見て見ぬふりすればそれで良かったのかもしれない。しかしそこはミッターマイヤーという人間の性分であるから、出来なかった。だったら…。

「分かった。俺の方から二人には掛け合おう」
「ほんとですか!?」
「ああ」

帝国の首席元帥が力強く頷くと漸くバイエルラインもほっとした様子で濃い青の瞳に太陽の日差しが温かく差し込んだようだった。

しかし、長い冬の季節を持つ者にとって春の訪れというのは容易に手に入るものではない。

「そういえばバイエルライン。卿はさっき何だかんだと言い訳をして云々と言っていたが、今日という日に共に過ごす相手もおらんのか?」

それはまるで既視感<デジャビュ>だった。
何年か前にもこの上官から同じような疑問を浴びせられた経験があったからだ。
ならばとこの何年変わらず持ち続けていた回答を堂々と披露しようではないかとバイエルラインは口を開く。

「はい。私にとって…」
「軍が恋人とはもはや言うまいな?」

だがミッターマイヤーが見事に機先を制した。
バイエルラインはぐっと詰まりながらも、その内ではさすが疾風であると長年仕えてきた敬愛を欠かさない。

「しかしそれが事実なのです」
「あのな、バイエルライン。まさかそういったことを本気で思っているのではないだろうな」
「それは…」
「だとしたら人生の先輩として言っておく。俺は神秘主義者では決してないがな。言葉というモノはそれだけで力を持ってしまうこともある。どういうことかわかるか?」
「はあ…」
「そのようなことを言ってると本当にそれが現実になってしまうということだ。だからお前がそう思っているならそれでも良いのだろうが、それが本心から出たものではないというのであれば、軽々しくそのようなことを言ってはいけない」
「いえ、決して本心からでは…」
「ないのだな」
「はい」
「ならばよろしい」

家族団欒を壊した挙句の果てに閣下に説教までさせてしまったとバイエルラインは素直にうな垂れた。
何処となく気まずい空気が空間を支配する。
後味が悪くて仕様がないがこれを機に辞去するのがこの期に及んでは得策かと萎んだ心で本気で思い始めた矢先、ミッターマイヤーが嬉々とした声を張り上げた。

「そうだ。バイエルライン」
「は?」
「卿はミュラーとキスリングを恐ろしい先輩だと思い込んでいるようだが、逆にそれを頼ってみてはどうだ」
「と言いますと?」

嫌な予感がした。
士官学校の先輩二人に呼び出されるのとはまた別の類の胸騒ぎだ。
虫の知らせと云ったほうが的を得ているような気もした。

「あいつらに卿に似合うような女性を紹介してもらえば良いではないか!」
「は…い?」
「これは噂でしかないがな。あの二人は女性に人気があるようだぞ。だから知り合いの女性も多いのではないだろうか。もしお前が彼らに頼みにくいというのであれば、俺が言ってやってもいい」
「い、いや、それは!」
「なんだ?」
「そこまでお手間を取らせることは出来ません!」

さすがにそれは困る。万が一それが実現したとしたら最悪ミッターマイヤーも一枚噛んでいるというころになり自分自身身動きが取れなくなってしまうのではないか。
それに…。

「しかしキスリング准将はまだしも、ミュラー提督にあまり女性とお付き合いはされないんじゃ…」
「そんなことはないだろう。今日も約束があるとかで早めに上がっていったぞ。それに何時だったか誰だったかが女性と仲良く歩くあいつを見たとも言っている」
「へ?」

ミッターマイヤーの一蹴にバイエルラインはハンマーで頭を殴られたような衝撃を覚えた。
ミュラー提督には噂が付きまとっていたはずだ。だから女性と交際するなど無いのだと。

「痛い失恋は…」

思わず口をついて出た件の人物の噂の内容にまたしても疾風が追い打ちを掛ける。

「あれは噂であろう。真実だとしても一体何年前の話なのだ」

確かに…。
確かにもうだいぶ昔から延々と語られた噂である。しかもそれは噂の域を決して出ることはなく誰一人真実を知る者はいないのだ。せめてバイエルラインの周囲では。

では本当に俺だけが取り残されてるのか?

「因みに言っておくがな、バイエルライン。主だった提督達の周囲にはそれなりに花があるのだぞ。わかるか?」

分かりたくなくてもわかった。
というよりもそれ以上聞きたくはなかった。

正直なところ『軍が恋人』発言は半分が冗談で半分が本気であった。
そうでも云わねばその手の類の質問から逃げ切れぬように思っていたし、何となくそんな言葉を言ってしまえる自分に満足もしていたからだ。
しかし今ミッターマイヤーと話していて理解した。
それではダメなのだ。
負けているのだ。
何に負けているのか?
分からない。
分からないがとにかくこのままでは薔薇色の未来は無いと悟った。

バイエルラインは逃げるようにミッターマイヤー家を後にした。
夫人のエヴァンゼリンに夜食を勧められたがどうやって辞退したのか覚えていない。
そういえばフェリックスとハインリッヒは姿を見せなかった。時間も時間だ。もう寝てしまったのだろう。
ぼんやりとそんなことを考えながらすっかり凍って固くなった雪道をとぼとぼと歩んでいると、遠くで鐘の音が聞こえた。
26日の0時を知らせる鐘である。
クリスマスは終わった。

「終わった…」

呟いた瞬間氷と化した雪に足を取られた。
不思議なことに冬の星空が真上に見えた。
北斗七星が今までにないくらい美しく輝いていた。
そこで彼の記憶は途切れた。



<END>



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