笑った雪だるま





角を曲がろうとしたエルフリーデの耳に子供の歓声が飛び込んできた。
はたと足を止めるとブーツの底で踏みしめられた白い雪がさくりと軽快な音を立てた。
昨夜からこの地に降り続いたらしい雪は今シーズン一番の積雪量を誇るとTVのお天気お姉さんが話していたのをふと思い出した。

(私はこんなところで何をやっているのか)

夢を見ていたわけでもないが途端に現実に返った自分に虚しさを感じた。
目的の場所はすぐそこに迫っているのだが、このまま進んでいいものかどうか逡巡する。
気づいた時にはエルフリーデの心の迷いで踏みしめられた白い地面が今の自分と彼の関係を現すように固くなっていた。

それでもと心を決めて曲がった角の先には目的の家が見えてきた。
まだ幼児であろう子供の声がだんだんと音量を増していき、それと比例するように彼女の心は罪悪で満ちていく。
歩を進めつつも迷う自分ははたから見たらどんな姿をしているのだろう。
そんなことを考えていると、突然子供の興奮じみた悲鳴が耳朶を打った。
はたとして顔を上げると、そこにはダークブラウンの頭に耳当て付きのニット帽を被った幼児が両手で真っ白な雪をすくっては投げすくっては投げする光景が目に入った。

(あの子だ!)

すぐに分かった。
空色のニット帽はきっと彼の瞳の色と合わせて母が編んでくれたものに違いない。
よく見るとお揃いの空色の手袋も嵌めている。
と、たくさんの銀色の粒が目の前に広がり、エルフリーデは思わずそれを避けるように片手を自分の顔面にかざした。
少年が放った雪がシャワーのように彼女の全身に降りかかる。

(ああ…彼らはもう親子なのだ)

瞬間否応なしに彼女の心の声が呟いた。
全身に降りかかった銀の粉が急激な冷たさを持ち身の内まで浸食されるような感覚に陥った。

(来なければ良かった!そもそも何故此処を訪れようとしたのか!)

後悔の波が身体を覆った。
我知らず目頭が熱を持った。

「ごめんなさい」
「!?」

遥か下方からの声で我に返ると幼い空色の瞳が視界の端に映る。

「おねえさん、ごめんなさい」

雪遊びに興じていた男の子が心配げに覗き込んでいた。

「……」

ゆっくりと顔を覆った右手を下ろし彼と対面する。
空色のニット帽から僅かに覗くダークブラウンは父親から譲り受けたそのものだった。

「おねえさん、泣いてるの?」

エルフリーデは慌ててかぶりを振った。
そして幼児の不安を振り払ってやるかのように笑んでみせようと努力した。

「違うわ。少し濡れちゃっただけ」
「ふうん」
「あのね…」

しかし開きかけた口はそれ以上何も述べることを許されないというように半ばで止められた。

「フェリックス。風邪を引くわよ」

母親だ。
姿は見えないが幼児の母親が彼を呼んでいる。

「はーい」

フェリックスと呼ばれた少年は条件反射的に返事をすると慌てて屋内へと駆け出した。

(行ってしまう!)

自分に背を向けた小さな姿があまりにも遠い存在であるかのように感じられた。
思わず伸ばしかけた手を空中で止めるとエルフリーデは何もない空間に一人取り残されたような心持となった。

(今さら何をしようとしているのか…)

失笑を禁じ得なかった。
だがそんな彼女の想いが通じたのか、不意にフェリックスがこちらを振り返った。

「おねえさん!ごめんね!またね!!」

思いきり背伸びするように手を振ると、幼児は屋内へと姿を消してしまった。
エルフリーデは今度こそ取り残された。

「まあまあまあ!こんなに濡れて!」
「大丈夫だよー」

幸せそうな親子の会話がぶ厚い扉越しに漏れてくる。
彼女は我知らずうつむき深い溜息を吐いた。
やるせなさに髪を掻き上げると、その時初めて傍らにある大きな雪だるまにきづいた。
おそらくフェリックスの父親が息子の為に作ってやったものなのだろう。
何処か滑稽な白い雪像の炭で形作られたハの字眉はエルフリーデを憐れんでいるように思えた。
彼女はつられるように同じ表情を作るとその場を後にした。




<END>


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