愚者の饗宴 (前編)
携帯を片手に憮然とした表情のミュラーを見ながらビッテンフェルトは脳内をフル回転してみた。
おそらく例のブツを使用したのは間違いないだろう。察するにミュラーにはかなり満足のいく展開だったらしい。
しかし先ほどのメールの『ばか』の一言とは。相手の女性にははなはだ不満の残るものだったらしい。どうもおもしろい展開になりそうな雰囲気が漂いまくっている。さらに問い詰めようと思ったビッテンフェルトだったが、今度は自らの携帯がメールの着信を告げた。
『フィリーネを励ます会を急遽開催することになりました。エステいってくるね。ちょっとダメージあるみたい。ミュラー閣下見つけたら伝言よろしく。その後の場所はキスリング邸なのであちらの旦那様もピックアップしてください。あ、ミュラー閣下にはどうも反省を求めたほうがいいみたいよ〜。飲みすぎに注意してね。』
携帯をパタンと閉じて傍らのミュラーを省みる。常に自制心に富み己を律することでも鉄壁の異名にふさわしい年少の僚友は愛しい彼女からの思いがけないメールにまだ困惑を脱しきることができないようだった。
そんなミュラーにビッテンフェルトはこみ上げてくる人の悪い笑みを隠しもせずに自らの携帯を差し出した。
「どうやらこういう事態だ。ミュラー提督。卿の失敗についてとっくりと聞かせて善後策を練ることにしようではないか。卿のことだ。キスリングのヤツにでも助け舟を求めたのだろう。ヤツにもとっくりと相談に乗ってもらうがいい。うまい酒を用意してやるからな。」
抑えきれない好奇心を薄茶色の瞳にたぎらせたビッテンフェルトの比類ない破壊力は、鉄壁とはいえすでに痛恨のダメージを受けていたミュラーには防ぐべくもなかった。
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場所と時刻は変わってここはビッテンフェルトの官舎である。
退勤間際に有無を言わせずに同行させられたキスリングはいささか居心地悪そうにリビングのソファに腰掛けている。
「招待を受けて申し訳ないのですが、何ゆえ自分が閣下のご自宅に招かれねばならないのかと・・・。」
「まぁまぁ。奥方の要望なのだから仕方あるまい。それに卿もミュラーへ例のブツを提供したものとして情報伝達の不徹底の責任がまったくないと言えない訳でもない。そういう意味では今回俺とビアンカの方こそ巻き込まれたと言うべきだろう。」
今宵のホストであるビッテンフェルトがキッチンから戻ってきて、手際よくジャーマンポテトとソーセージ、バゲットに何かのディップを並べた。
誰が聞いてもめちゃくちゃな理論だ・・・と思わないでもないのだが、移動の車内でもビッテンフェルト邸にたどり着いて後も言葉少なく暗いオーラを纏ったミュラーの様子はその暴言も一片の真実を含んでいるのではないか?と思ってしまいそうだ。
「まぁ食え。腹が減っては考えも纏まらんだろう。口に合うかはわからんがな。」
ビッテンフェルトの差し出す皿をじっと眺めた後に恐る恐るポテトを口にしたキスリングだったが、空腹と言う最上のスパイスの力を借りずともなかなかに美味なそれらに一瞬目を見張った。
キスリングのそんな様子に満足げな表情を浮かべた料理製作者だが、もう一人の方はいまひとつ気の乗らない様子である。
「ま、とりあえず飯でも食え。妙に静かなのもなんなんでテレビでもつけてみるか?」
反対意見がないので家主がつけた大画面には妙に深夜にはふさわしからぬほど冷静で知的な外見をした女性テレントが現れ心理テストをする、と涼やかな声で告げた。
*****心理テスト1回目*****
『あなたは台風の後の海辺を歩いています。朝日がさわやかで空気が光り輝くようです・・・・』
「妙にさわやかな光景が目に浮かぶのだが、台風の後とは穏やかなだけでいいのか?」
「続きが聞けなくなるだろ。黙ってろよ。」
「・・・・はい・・・・」
真剣にやってるんだ・・・。口に出さずにミュラーとビッテンフェルトは顔を見合わせた。
『砂浜には台風の落し物でしょうか。いろいろなものが打ち上げられています。あなたの目に留まったのは次の三つです。1、ごっそりと抜け落ちたと見られるなぞの海藻。2、どこかから流れ着いたと思われるレトロなガラスのように見えるブイ。3、判読不明な謎の言語が記入されている大量のペットボトル。あなたの関心を一番引くのはどれでしょう?』
「漂着物にロマンもなかろうが。どっかの誰かが捨てたもんに決まってる。俺は・・・3か。正体不明などテロリストのものかもしれませんし。分析に回さないと。」
キスリングが素っ気無く、だがいかにもワーカーホリックな回答をする。
「心理テストでも職務が頭から離れないか。仕事熱心で結構結構。何を言わんとしているかは謎だが・・・俺は1だな。食えるものかもしれん。食わんがな。」
ガハハと笑うビッテンフェルトにつられた様にミュラーも答える。
「私は・・・2かな。なんとなしロマンを感じます。」
それぞれが好き勝手なことを言っている間にCMが終わり、例のタレントが画面に現れた。
『どうです?選びましたか?ではこれは 『あなたの隠れた本性』がわかるテストです。』
ほぉ、と思わずハモった男たちなど放置してタレントは続ける。
『まずは3を選んだあなた。心の中に熱いブリザードを隠し持つあなた、あなたの中には燃え滾り何者をも燃やし尽くしてしまう熱い情熱と、すべての人を引かせる冷淡さが同居しています。』
「熱いブリザードってなぁなんだ?俺は寡聞にしてよく知らんが・・・。」
「それもですが、これって燃やしたいのか?冷やしたいのか?どっちなんでしょう。」
そんな男たちの会話などは無視してMCのタレントは涼やかに続ける。
『一見クールに見えるあなたは心の奥にアツイ塊を秘めています。そうあなたは氷山の中に燃え滾るマグマなのです。ぴったりな相手によってその反応を如何様にも変えられるでしょう。』
「氷山とマグマの勝負ってなどっちが有利なんだ?」
「・・・なぁ、氷山がマグマで溶けたら残るのは水ではないか?湯だったら高温でもなんかこう・・違うよな。」
「水蒸気爆発ってのもありますねぇ。」
「どっちにしろはた迷惑に危険なのは間違いないのではないか?」
好き勝手に言っている二人にキスリングは舌打ちしてグラスの酒を煽った。
『次は1を選んだあなたです。海といえば海藻というひねりもロマンもない回答をした常識の範囲を飛び出る冒険心のないあなたですが誰をもおおらかにつつむでしょう。』
「なぁんか・・・褒められているように感じさせてその実器の小ささを指摘されてる気がするのだが・・・」
ミュラーとキスリングは顔を見合わせる。この男と常識という言葉の乖離ほど甚だしいものはないように思われる。
『あなたのその大らかさは大らかに過ぎて笊でミクロ分子を掬うがごとき事態を生むこともあるでしょう・・・。しかしノープロブレム、そんなことどうだっていいのさ、です。それがあなたです。』
「いいのか?それ、本当にどうでもいいのか?」
「主要部分が包めればOKってことなんでないか?」
「こぼれた分はどうなるんだよ?」
「そもそも残留してる部分が少ないと思いますよ。」
「そんなの関係ないって言ってるじゃないですか、占いの担当者も。」
「好き勝手言うなよ・・・と、次来たぞ。ミュラーの番だ。」
『最後は2番を選んだあなたです。覚悟はできていますか?』
あどけなくすら見える彼女にそう問いかけられてミュラーは知らず知らずに肩に力をこめる。先の二人の回答から察するにそう愉快な分析が来るとは思えなかった。
『穏やかな微笑で多くの人を包み込み春の日差しのようなあなた、あなたのその穏やかなオーラに接するだけで多くの人々は大いなる安らぎに包まれることができるでしょう。あなたは全人類に必要な欠くべからざる存在である、といえるかもしれません。』
言い切った後にMCは花の咲き零れるような可憐な微笑を画面に惜しげもなく振り撒いた。
「おぉ、どうした、えらい世界規模での持ち上げようではないか。」
「そ、そんなことは・・・」
前の二人の激しい毀誉褒貶に対して自分への評価の高さに鬱々としたミュラーの眉もわずかに開く。
「しかし、この番組、この占い師、そうそう甘い言葉で終わらせると思ういますか?なぁミュラー。」
キスリングがそう言って不適な笑みを浮かべると同時にMCが可憐な笑みとともに断罪する。
『しかし心のうちでは抑えきれない欲望がドロドロと渦巻き、それはまさに天上の天使のごとき聖者の見た目と真逆の極地、言ってみれば聖者の皮を被った鬼畜生臭坊主の趣すらあります。』
「ちょ、待て。鬼畜、生臭・・・どこが褒めとるんだ?卿、腹の内にそんなものを隠しておったか。」
「思いっきり人格破綻者みたいなコメントになってるな・・・。そうか、それで彼女を怒らせたのか。」
爆笑し黙りこくったミュラーを他所に、酒の酔いも手伝ってか2人の笑いは止まらない。
やがて呼吸を整えたビッテンフェルトが、真実はいつもひとつ、とばかりにミュラーの眼前に指を突きつける。
「なあ、ミュラー。今更隠し立てするのもなんだ。単刀直入に聞くぞ。いったい卿は彼女に事に及んでどんな要求をしたのだ?」
身もふたもない直球な問いかけにキスリングものけぞりそうになる。だが、メールがさす事実からは他にどう言葉を繕おうとも結局はその質問に行き着くしかないのは自明だ。
それに考えてみればビッテンフェルトが直球を投げてくれたおかげでキスリングのほうは間の悪い思いこそすれ、口にする何ともいえない気恥ずかしさからは解放されたのだった。
「鬼畜生臭と評された者はどのように迫って彼女を怒らせたのか?俺も少なからず興味はありますね。」
助け舟を出すはずの僚友に酔った目ですごまれればミュラーには逃げ場はなかった。
「心当たりも何も・・・」
ミュラーはそう口ごもると脳内に『あの夜』のことを反芻してみる。ビッテンフェルトの話を参考に場所はバスルームを選択したので服や場所を汚さずにも済んでいる。行為には言わずもがな細心の注意を払ったつもりだし、すべてが終わった後ベッドで朝までまどろんだ幸福感までもよみがえる。体に残ったチョコが多少シーツにしみを作ったものの、それなどは物の数には入らないだろう。もう一度ミュラーは我知らずにため息をついた。
「で、結局どちらで試したのだ?キャンディか?チョコか?」
そんなミュラーの様子にはお構いなしにまたもやビッテンフェルトの投げる直球にキスリングは虚空を仰いだ後に黄玉色の瞳を砂色の獲物に向けた。同期のその視線にミュラーは観念したかのようにぼそりと呟いた。
「・・・・チョコ・・・です。」
「チョコ?チョコで何か困る事態なんぞ起こるか?なぁ、キスリング。」
そこでなぜ俺に振る!と思ったキスリングだが、言葉では答えず軽く肩を竦めて見せる。
「だよなぁ・・・。食っちまえば問題起こりようがないからな。俺はてっきりキャンディかと思ったぞ。あれはなかなかに厄介な部分もあるからなぁ・・・。だが・・・。」
そう言いかけたビッテンフェルトの視線が何気にキスリングのそれとぶつかる。どんな化学反応を起こしたのか、ビッテンフェルトは宙を見上げるとふと何かを思い出すように視線を宙にさまよわせた。
<END>