ピンクドロップ







 親衛隊長という職務柄、深夜0時以降に帰宅するのは慣れきっている。
しかし帰り際に海鷲から出てきたばかりのビッテンフェルトに囁かれた一言のせいで疲労は倍に増したように感じていた。
暗い官舎に明かりを灯せば、ルシエルはソファの上で何も知らず眠り姫と化している。

「卿の奥方によく礼を言っておいてくれ。確かに美味いチョコだった」

 元凶の呑気な寝顔が憎らしい。
キスリングはルシエルの柔らかい頬をむにっとつまんで起こした。

「起きろ災いの種」
「?…いひゃい…あ。おかえり」
「ただいま。腹減ってるんだけど食うもんない?」
「ある。帰ってくるまで待ってようと思ったんだけど眠くて…頬つねって起こすのはやめてよね」

 ぶつぶつと文句を言いながらルシエルは起き上がり、キッチンで遅すぎる夕飯の準備をし始めた。
ソファの上で軍服を脱ぎながら、キスリングはふと膝に当たるものに気づく。ルシエルの端末だった。
無造作に置くものではないとテーブルの上に置きなおすと、その画面には、自分の疲れを煽った原因のひとつを映し出していた。
先日自分達も使ったチョコレート。ビッテンフェルトも声をかけてきたということは彼らもこのサイトの世話になったのだろうか。
『新製品』『人気ランキング』…ずらりと並ぶその品数にかけられている情熱と技術ははかりしれない。

「ギュンター、ご飯できたよ」
「わかった」

 ルシエルはこっちに背を向けたまま。
キスリングは端末のキーを何度か叩くと立ち上がり、ルシエルの料理を腹いっぱいに詰め込んだ。
明日は10時には帰ってこられるだろう、と何も知らないルシエルに告げれば嬉しそうに笑う。
キスリングもにっこりと笑って見せた。明日が楽しみで仕方がない。



 午後9時。夕食を準備していたルシエルの元にひとつの小包が届いた。
送り主の企業名はよく見知ったものである。しかし何を頼んだのかは覚えていない。
新製品のサンプルか何かだろうとソファに乱雑に置いて夕食の支度に集中する。
煙草を吸いながら料理をしていると、足音をもたない夫がキッチンに入ってきた。まだ10時には幾分早い。

「ただいま」
「あれ。おかえり、早かったわね」
「まあな。…荷物見た?」
「え!?あれギュンターが買ったの?まだ開けてないけど」

 だったら丁度よかった、なんて言いながらキスリングはまた無造作に置かれている荷物を手にした。
煙草とコンロの火を消したルシエルがソファに腰掛けて、キスリングを見上げる。

「割れ物じゃないからよかったものの、昨日の端末といい、もう少し大事に扱えよ」
「大事にって。そんな大事なものなの?」

 赤い目を好色に滲ませながらルシエルが笑う。
大事かどうかは試してからのお楽しみ。キスリングは何も言わずに箱を開封する。
小さい箱から出てきたのは色とりどりの可愛らしいキャンディだった。

「…ホワイトデーには早くない?」
「残念ながらホワイトデーは仕事だからな」

 それにしてもただのキャンディなら何処ででも買えるだろうに、とルシエルが不思議そうに包み紙を開けた。
何処ででも売っていそうなキャンディをホワイトデーに贈るほど気の利かない男でもない。
ルシエルがキャンディを口に放り込もうとした手を掴んでキスリングが首を横に振った。

「気づかないのか?」
「気づくって何を」
「お前ならすぐわかるかと思ったけど。まあ、いいか」

 ルシエルの手の中からキャンディを奪うと、口の中には入れずに首筋に転がした。
ぺたりと飴独特の張り付く感覚にルシエルが眉間に皺を寄せる。
しかしその感覚はそんなに長く続かなかった。

「なにこれ」
「包み紙くらい読んでおくのが正解だったな、サンダルフォン大佐」

 赤い目を凝らして、広げられた包み紙に印字された文字を読む。

「固形…ローション…?水あめのように…ってうわあ!!」

 言葉にするより早くピンク色のキャンディが肌に絡みついた。
その様子にキスリングは口の端を持ち上げたまま、ルシエルの両手首を掴んでそのままソファに押し倒す。
薄く透ける桃色の向こうに、白い肌がいつもと違う輪郭を表す。とろりと緩やかな艶を舌で掬い取れば、ルシエルが身体を強張らせた。

「ギュンター、」

 呼ぶ声に、服を脱がすことで返事をする。
暴れて抵抗をしないということは嫌ではない、ということだ。二つ目の包み紙を剥がして、柔らかい胸の曲線の上で転がす。
チョコレートよりゆっくりと蕩けて肌を彩るキャンディの甘さは、じわじわと舌を喉を侵食する。
甘さを押し付けるように口付ければ、ルシエルの舌の方が苦い。

「…ギュンターの方が甘いって、なんか変」
「変?ここが?」
「ちょっ、話聞いてないでしょ」

 話なんか聞く気もない。絡めた舌から銀糸が途切れるのをきっかけに、キャンディの包み紙が床に散らばっていった。
それに釣られてルシエルの声が少しずつ上ずっていく。
甘さに舌はすっかり痺れてしまったがそんな声を聞かされたらとことん善くしてやりたい。
キスリングがもうひとつ、キャンディを押し当てた。

「っ、ちょっと、待って、中は」
「平気だって」
「ん、やだ、またそこ…っ」
「ここが一番すきなくせに…」

 チョコレートと同じように一番早く蕩ける場所に擦り付けられて舐められて、ルシエルは腰を浮かせた。
あの時を思い出しては余計に敏感になる彼女の身体に、キスリングは顔も見せずに笑う。

「ほんとお前やらしいな」
「うるっさい、もうやだ、しゃべんないで」

 不意に溶けきったところに指先を押し付けて、透明の糸を引かせて見せ付ける。
ルシエルの頬が赤く染まった。善くしてやりたいが、意地悪くもしてやりたい。

「ルシエル。コレ飴だと思う?」
「っ、確かめれば?わかってるくせに…!!ぅあ、あ」

 喉の奥で笑いながら言葉にしない。ルシエルの腰がソファに沈んで揺れた。
体中を蕩かされるならそんなものだけじゃ物足りない。ルシエルの手がキスリングの髪を掴む。

「いてえよ。何?」
「…っ、欲しい。おねがい」
「よくできました」

 本当の飴を与えるには十分なほど、甘ったるい声でおねだりをされては自分だって善くなりたくなる。
身体を寄せると、舐め切れず残った飴が互いの皮膚をくっつけた。
ぴったりと隙間ひとつなく密着して、繋いだ身体に走る感覚に、互いの境目がわからなくなるほど溶かされる。
ソファはまた修理する羽目になるかもしれない。そんなことすらすっかり忘れるほどに二人は指を絡めあって確かめ合った。
不意に擦り付けられる頬に、ルシエルが嬉しそうに笑う。

「気持ちよかったけど、体中ひどいことになっちゃったわね」

 快楽の波が去ってみれば、先ほどまで心地よかった飴の感触は肌をべたつかせるだけ。
シャワーでもボディソープでもなかなか落ちない。恨み言を言いたげなルシエルを腕の中に納めると、キスリングは心配するなってと軽くキスをした。
キャンディと一緒に購入しておいたクレンジング剤を手で泡立てる。

「ちゃんと洗ってやるから」
「…ギュンターってほんと、こういうことには全力よね」
「お前ほどじゃない」

 そもそも仕返しのつもりだったのに、結局楽しんでしまった自分が恨めしい。
キスリングの指先が丁寧にルシエルの体中をなぞる。くすぐったそうに笑っていたルシエルが段々と大人しくなる。

「…何考えてるんだよ」
「っや」

 ふっと耳に息をかけてみれば、当然の反応。
力が抜けて立っていられなくなったルシエルの身体を支えると、さっきまで執拗に舐めていた箇所に指を突き入れた。

「一番洗ってやらないといけないよなあ」
「うるさいほんともう変態馬鹿」
「…ココは洗う必要、なかったな」

 とろりと指に絡みつく白い飴のようなそれを引きずり出しながら、耳元で誘惑の甘い言葉をひとつ零す。
さっきより善くしてくれなきゃ駄目だからね、と言葉の強気さはいつまで保っていられるのだろう。
身体の形もわからなくなるほどの、とろけるような甘い気持ちよさをもう一度二人は追い求めた。



 皇宮へと用事があったついでに、ミュラーは親衛隊長の執務室をノックした。
どうぞと抑揚のないその声にドアを開ければ、眠そうなキスリングがコーヒーを啜っている。
いつも厳しい黄玉色の瞳はどこか力がない。

「自己管理の徹底がお前のモットーじゃなかったか」
「徹底しててもウイルスには勝てないときもあるだろ」
「なんだ、風邪か?」
「風邪より性質が悪くて厄介なヤツだよ」
「厄介って、そんな辛いなら仕事に支障のない程度に休めよ」
「そういう類じゃねえよ」

 欠伸をかみ殺しながらキスリングは笑い、机の引き出しを開けると、小さな缶をミュラーに向かって投げつけた。

「危ないだろ。何だ?」
「余ったからやる。いらなかったら普通に食えよ」

 訝しげにミュラーが開けた缶の中身はキャンディが詰まっていた。
一見変哲もないキャンディの包み紙の印字に、ミュラーはその砂色の瞳を白黒させて、まあ貰っておくよとだけ言ってふたを閉める。
キスリングが眠たげだった瞳を意味ありげに光らせて、口の端を持ち上げて見せた。



<END>

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