ma cherie
きっかけは他愛ないのろけ話だった。
ビッテンフェルトがビアンカの作ったチョコの話をした。帝国ではバレンタインとは男から女性へと花束を贈るのが主流の日だからフェザーン風に贈られたということが物珍しくもあり、話をする男の顔は戦場でのそれからは想像もできないようなものだった。
「何のお話をしてらっしゃいますの?」
急にかけられた小気味よい声にあわてて振り返ると、帝国軍唯一の女性大佐のしなやかな姿が立っている。
「ああ、この間のバレンタインの話をね。」
「なんだ?大佐。この手の話だと必ず出現するな。まぁ、軍務も関係ないことだし座れ。メシはもう食ったのか?」
「これからです。閣下のお声が聞こえましてご挨拶にと思いました。お邪魔ではなかったでしょうか?」
ビッテンフェルトとミュラーに薦められて、ルシエルは微笑むと彼らの向かいに腰を下ろす。ふわりと漂う甘い香りにミュラーがふと気を止める。
「そうは言ってもその様子ではとっくに聞こえていたのではないか?大佐は地獄耳の持ち主だからな。」
「地獄耳とはあんまりです。まぁ、聞こえていたことは否定いたしませんが。バレンタインひとつ取ってみてもフェザーンでは我々とは風習が色々と異なりますものね。でも全宇宙の名店が一気に出す新作チョコを味わうなんて機会はめったにありませんもの。私もずいぶんと楽しませていただきましたわ。」
ルシエルの笑みに突如含まれた妖艶さに反応できないほど、彼女を知らないわけではない。ビッテンフェルトがすかさず食いついた。
「ほぉ。大佐にはどうやらいろいろな情報が入っているらしい。どうだ?情報は独り占めせずに我らにも提供してみないか?」
ルシエルも待ってました、とばかりに反応を返す。
「名店のチョコもよろしいのですが、面白いものを見つけたんです。」
キラキラとした目で話し出す大佐の姿に、ミュラーの脳裏に常に涼しい顔をした同期の男の姿がよぎる。この他愛ない話があとで友人にどんな事態をもたらすか、想像をめぐらすことはとりあえずやめにした。何よりミュラーにも興味があったのだ。多少の罪悪感とともにだが。
ルシエルの話は名店のそれではなく、フェザーンのあるメーカーが開発した特殊な融点のチョコだった。
「人肌の温度に触れると溶けるんですよ。それも滑らかに。感心なことに味も極上で。」
赤い瞳と同じくらいに鮮やかな紅色の唇の笑みに思わずミュラーは喉を鳴らしそうになり、それをこらえるのに苦労する。
「ほぉ。聞いただけではなかろう。さては大佐・・・試したな。」
「さすがビッテンフェルト閣下。ご明察恐れ入ります。」
話の内容と明らかに乖離した軍人らしい敬礼にビッテンフェルトは苦笑し、ミュラーは唖然とする。
「で?旦那のほうは?楽しんだようだったか?」
「それはもう・・・お察しください。」
「その品物はまだあるのかな?バレンタインは済んだが手に入れられるだろうか?」
「まぁ、お任せください。ここに控えてますのよ。閣下の端末に送信しますね。」
「おぉ。さすが大佐だな。話が早い。すまんな、いつも世話になる。」
「いえいえ。お役にたてれば小官も光栄です。お任せください。きっとビアンカも何だかんだ言って喜びますから。」
一人想像の世界に浸っているミュラーを置き去りに二人の会話は進行する。ビッテンフェルトの薄茶色の瞳が怪しげに歪められるのをミュラーは横目で確認した。
翌日、ミュラーは軍務にかこつけてビッテンフェルトの執務室を訪れた。仕事の話が終わってもなかなかに去ろうとしないミュラーの姿に何事かを察したビッテンフェルトが副官らを下がらせる。
「卿の聞きたいことは、まぁ察しがつく。みなまで言う必要はない。」
ビッテンフェルトが話を切り出せないミュラーに勝ち誇った笑みを浮かべながら切り出した話はこうだった。
**********
「おぉい。邪魔するぞ。久しぶりに。」
バスルームに入ると同時にとっとと服を脱ぎ捨てたビッテンフェルトにビアンカはため息混じりに笑いながら、手にしていた本を傍らに置いた。
「あ、もう入ってるじゃない。せっかちねぇ。」
本を片手に湯に浸っていたビアンカの頬は薄紅色に上気していた。彼女の入浴時間はいつも長い。
「まぁまぁ。いいもの手に入れたんでな。早く味見させてやろうと。」
そう言いながらビッテンフェルトはそのごつい手に不似合いな、可愛らしいピンクの缶の蓋を開けた。
「とか言いつつ悪いこと考えてるんでしょ。もうわかりやすいんだから。」
「ま、ごちゃごちゃ言うなよ。口あけてみろ。」
そう言ってビッテンフェルトがビアンカの開いた口に丸いチョコをひとつ放り込む。
「え・・・何これ?すご。」
「な?なかなかのものだろう?」
そう言うとビッテンフェルトは缶の中のチョコをひとつ摘むと歯で咥え、ビアンカの唇にチョコをそっと触れさせる。
「・・・・ん?」
唇に触れた途端にとろりとした感触が唇から頬を伝い落ち、ビッテンフェルトがにやりと笑みを浮かべたのが目に映る。
「おや、行儀が悪いな。」
「ちょっと・・・これ、何?」
「ぬぐうなよ。もったいないな。」
そう言うと唇からあっというまに顎まで伝わったチョコの流れを舌先で舐めとりながら、バスタブの栓を抜く。
「・・・・やっぱり悪いこと。企んでるでしょ。」
「違うな・・・悪いこと、じゃない。楽しいことだ、な。」
そう言ってまた笑みを浮かべると仰向いたビアンカの鎖骨に数個のチョコを並べる。身じろぎする暇もなくチョコは溶けてビアンカの白い肌に茶色の縞を織り出していく。お湯で温められていただけにその溶ける速さは唇の比ではない。
鎖骨から胸元に蕩け落ちたチョコを舐める舌先がそのまま喉を辿る。猫のように鳴らした喉の音を聞くと満足そうな表情を浮かべ、用心深くバスタブの脇に置いた小さな缶に手を伸ばした。
「バスルームってなぁ何回使っても新鮮だよな。」
猫がミルクを舐めるよりも丹念に味わったその顔は、なかなかに笑える姿になっているだろうが、今はそんなことは気にするにはささやか過ぎる。とろんとした表情になったビアンカをくるりとうつ伏せに向きを変えると、背骨の作り出すくぼみにチョコを並べる。背中にもう一度唇を這わせるとしなやかなそれがびくびくと蠢く。
背後から手を伸ばし太い指先で喉元から顎を辿り、催促するように唇に触れると待ちかねたように吸い付いた。
「いい子だな。な、うまいだろ? 」
そう言うと背中にまたチョコをいくつか落とす。瞬く間に蕩けたそれをビッテンフェルトが唇と舌先で吸い上げた。
「ね、フリッツばかり食べてるじゃない。私にも食べさせて。」
喘ぎながら振り向いて唇を尖らせた甘い囁きに男の顔が好色な笑みで崩れた。くるりと体を入れ替えて上に乗ったビアンカが取り出したチョコを逞しい体に散らすと丹念に舌と唇で味わう。荒くなる息づかいと身じろぎで体が揺らされるたびに妖艶な笑みがこぼれて、体が芯から熱くなる。と、体についたチョコがさらに加速度をつけて蕩ける。唇を重ねながら指先で、手のひらで何度も互いの体を探り会った。
唇が離れた時、男が熱い吐息とともに呟いた。
「やっぱりお前には、いや、女にはかなわないな。」
「何が?」
「チョコの味わい方。男の俺より余程うまそうに食う。」
「だって、実際に美味いチョコですもの。」
そう言って笑うと、のど笛のチョコを軽く噛み付いてから唇で吸った。
「なあすごい状態だろうな。」
「まあね。後始末は責任持ってね。持ち込んだのはフリッツだから。」
「了解です。フラウ。」
受諾の証に唇を重ねれば、移った味はどちらのものともわからない、とにかく甘い味だった。
**********
「・・・・とまぁ我が家でもそこそこに楽しめた。しかしな、掃除は本当に俺が一人で最後までやらされたぞ。うちのはそういう所は容赦がない。口にしたことは断固として実行させる。バスルームを使ったのは正解だったな、服も汚れんし。」
そう言うとふと我に返ったビッテンフェルトは周囲を見回し咳払いをひとつした。
が、昼間の元帥の執務室には当然ながら来客であるミュラー以外の人間はいない。ビッテンフェルトとてもちろん事細かにすべてを語ったわけではない。だが、心ここにあらずな様子のミュラーを見て、ビッテンフェルトは肩を竦める。
「だが、お前の方じゃ無理だろ ?だってあの上品な少佐殿がこのようなお遊びに付き合うなど想像ができん。」
ミュラーは反論しかけて言葉を呑んだ。そう、彼女は上品だ。言葉で誘っても恥ずかしがって応じてくれようとは思えなかった。かと言ってこの眼前の男のように強引に事を進められるか、といえばそれも自分にはできそうにない。そもそも何も自分がこの男と同じ土俵に立つ必要があろうか。
ふと見たビッテンフェルトのデスクには二人の写真が、小さいものだが置いてある。そこに写る知的な彼女が白い肌を紅潮させる?ミュラーの表情にビッテンフェルトが全てを見通したとでも言いたげににやり、と笑った。
<END>