番外編(1)  我、凱歌を揚げ・・・・     (ゆうやん)







「やっぱりちょっと調子に乗りすぎちゃったかなぁ。」
フィリーネと別れて乗り込んだ無人タクシーのソファに体を沈めてビアンカは一人つぶやいた。

キッチンで格闘する男どもに盛大なシャワーをぶちまけてフィリーネと二人で夜の街に繰り出した。
薦められていた店は雰囲気もよかったし、もちろん味も極上だったのだが心から楽しんだのは最初の数皿くらいだっただろうか。
前菜の盛り合わせを終わりメインを半分ほど口にする頃にはフィリーネは明らかに物言いたげな視線をビアンカに向けるようになっていた。
ビアンカの方も置き去りにしてきたビッテンフェルトのことが気にならないわけでもないが、今更それを気づかれるのも面映くて何を食べてもいまひとつ味がはっきりわからなかった。
やがて、デザートまで進み、会計をしにきた店員に
「すみません。今のがとってもおいしかったのでメイン一人前お願いできます?」
とまるでデュエットのように口にしたときには顔を見合わせてどちらからともなく笑い出した。
「反省してるようだし。」
「お灸がちょっとキツすぎるような気もするし。」
『これくらいはしてあげてもいいかなぁ・・・って、ね。』

キッチンを覗いてみると、マシンを使ったのだろうテーブルの上などはすっきりしていて食器洗い機の音が響いているだけだった。
(さすがフェザーン最新家電ってとこかしらねぇ。内蔵型はスプリンクラーの水を多少浴びても影響なし・・・か。ま、無駄な出費は避けられたってことね。)
思わず生活観あふれる感想を抱いた後で、キッチンをここまで原状に近づけた主を探す。
リビング・・・は無人だとすれば残るは寝室か書斎くらいしかないのだが、ビアンカが戻ってきた気配はするはずなのにビッテンフェルトはまだ姿を見せる様子がなかった。
(あちゃ〜。さすがに怒っちゃったかなぁ。うーむ・・・)
「ただいまぁ。帰ったんだけど。」
意外なことにバスルームを使った気配はあるが寝室にビッテンフェルトの姿はなく、ビアンカはもう一度首をかしげると残る書斎へと足を向けた。
(この期に及んでまさか『文庫』でも見てるわけじゃないでしょうに・・。そのまさか?)
ビッテンフェルトの学生時代からの『蔵書』を考えてため息をついてそっと扉を開けると、意外なことに端末用の眼鏡をかけた彼が面白くもなさそうな顔で業務用端末とにらめっこをしていた。

「ただいま。・・・て何してるの?まさか文庫の電子データ版整理?」
「んなわけあるか。仕事だよ。仕事。」
「って仕事は家に持ち帰らない主義なんじゃないの?」
「まぁそれはそうだが・・・・いろいろあるんだよ。かぁぁぁ!なんだってこんなにチマチマとあるんだっ。この書式を考えたのはあのオーベルシュタインに違いないっ。死んでからまでいやみったらしいヤツだ!」
「書類にあたってどうするのよ。って別にたいしたことないじゃない。ここと・・・こことよく読んで、ほら。」
「ってか機密事項だぞ。覗くな。」
「どうせ最後は太后陛下の決済に行くんでしょ。だったら50%の確率で私も見るわよ。タイミングが違っただけよ。」
覗き込んで見落とした箇所を次々と指摘するビアンカに何とはなしに主導権を握られた気がしたが、ともかくも仕事は30分もかからずに終了した。が、ビッテンフェルトは眼鏡もそのままに口元にこぶしを当てて考える姿勢を崩さない。
「どうしたの?ね。お腹すいてるんじゃない?お土産買ってきたのよ。」
「あぁ・・・・。まぁそんなに減ってるわけじゃない。」
「ねぇ。ひょっとして怒ってる?ちょっと調子に乗りすぎたって反省はしてるのよ。」
「あぁ・・・。そうだな。」


 ビッテンフェルトはミュラーが酔いに任せて口走った「あなたの仕事は杜撰」について、考え込んでいただけだったのだが、ふと気がつくと眼前にはビアンカが、この頃となってはすっかり珍しくなった困りきった表情を浮かべた蜂蜜色の瞳で一心に見つめているのに出くわした。
(これは・・・・久々の好機ではないのか?)
瞬時に自らの戦術的優位を感じ取ったビッテンフェルトはその優位性を絶対的に高めるべく、緩みかけた口元を引き締める為にため息をひとつついた。
「いや・・・今日のことに関しては俺たちが大人気なかったとは反省してる。気にすることはない。おかげでミュラーの悪酔いも収まったようだし。」
抱き上げて食いついてしまいたい本能を何とか押さえ込むと、まだ不安げなビアンカの肩に片手を置きながら空いた手で眼鏡の位置を直したのは、抑えきれない悪巧みを含んだ笑みを相手から隠すためである。

「まぁ。まったく心外でなかったか?と聞かれれば嘘にはなるが。曲がりなりにも俺だって努力はしたのだしな。」
常の自分と異なって責め立てるよりも受け入れたほうが効果は期待できるだろう。少しだけ酔いを含んで薄紅色を帯びているうなじを目の端に収めつつ言ってみると、獲物はぐっと言葉に詰まった様子を見せる。どうやら完全にこちらのペースに載せることには成功したらしい。内心で小躍りしたいのを抑えつつビッテンフェルトは彼にしては珍しく語尾を濁してみせた。
彼を覗き込んでいたビアンカは一瞬言葉に詰まった後で恐る恐るという風に頬に手を伸ばしてきた。その手をそっと取り頬に当てる

「あの・・・だって・・・そのごめんなさい。」
「誠意は?」
「え?」
「誠意ってのは形にして見せてくれるものだろ?こんな機会はめったにない。ぜひ見せてほしいものだ。」
ニヤリと笑うビッテンフェルトにビアンカはまたあっけにとられたような表情を浮かべたもののすぐに苦笑すると細い指を伸ばして、ビッテンフェルトの顔から眼鏡を取り除け、ゆっくりと顔を傾けてきた。柔らかい体を受け止めながらビッテンフェルトは内心で久々の勝利の凱歌を挙げた。

ビッテンフェルトにとって至福ともいえる時間が過ぎ、少し乱れた呼吸を整えて時計を見ると真夜中よりも朝に近い時間になっていた。
「明日、休みにしておいてよかったかも。これで仕事は辛すぎるわ。」
気だるい表情で眠たげな声を上げるビアンカの髪を指でもて遊んでいたビッテンフェルトも頷いた。デスクワーク続きの日々に徹夜はそろそろ辛い歳になってきているようで今日の休日は正直ありがたい。場合によってはまだまだ勝利の余韻に浸ることもできるかもしれない。
ふとビアンカが思いついたように上体を起こして言った。
「あ、お土産。すっかり冷えちゃったけどレンジで大丈夫だよね。」
「ああ。スプリンクラーの水も直接はかからなかったみたいだし、使えるだろう。俺が行くか?」
「いいの。いいの。今日は私がやってくるから。この辺片付けてリビングに来てね。」
そう言うと唇に軽いキスを残しシャツだけを羽織った姿でビアンカは姿を消した。
(結果よければすべてよし・・・だな。この見返りならスプリンクラーの多少の水なんぞたいしたこともないわ。)

一人完全勝利に酔いしれるビッテンフェルトだったが、彼はすっかり忘れている。
キッチンには昨夜の残骸の一部が明後日のごみ出し日を待つべく待機していることを。そしてその中に誰よりも彼女に見られてはいけないものがあることを。


<END>



←第9話/TOP/番外編(2)→