新たなる扉 (3) 







どれくらいの時間が流れたであろうか。
「ところでナイトハルト。そのお嬢さんには会わせてくれんのか?」
父親からの突然の申し出に、ミュラーの涙が一気に引いていく。
「は?」
「私もお目にかかりたいわ、ナイトハルト。ハイネセンの方だというけど、フェザーンにもちょくちょく来られるんでしょ?」
「はぁ……いや……」
「今後は滅多に会えないとはいえ家族になるんだ。一度くらい結婚前に会いたいと思うのは当然だと思うがね」
「それはそうでしょうけど……」
ミュラーは言葉を濁した。
実際の問題として、仮に今日この時にフィリーネが急ぎハイネセンを立ったとしても、フェザーンまではゆうに十日は越える行程だ。そのリミットの十日後まで両親がフェザーンに滞在するなど有り得ないことのように思われる。
「ナイトハルト、フィリーネさんが次にこちらに来られる予定はいつなの?」
両親をおもんぱかった姉が口を挟んだ。
「おそらく父さんと母さんがこっちに滞在してる間には無理だよ」
「来る予定はあるのね」
姉の確認に頷いたミュラーが、続けて残念そうに、
「実は次の来訪が最後になる。つまりはこちらに居を構えるということなんだ。だけど、二週間後だ」
「二週間後!?」
落胆とも驚嘆とも取れる両親と姉にミュラーは理由のない罪悪を覚え、更に続けた。
「でも、彼女がこちらに来たら、結婚の報告と彼女の顔見世も兼ねてオーディンを訪ねる計画を練っていたんだ。幸い俺もまとめて長い休みを取れるし、都合が良いだろ」
真実だった。
軍務尚書を辞任する意向が認められたミュラーは、旧ローエングラム元帥府入府以来の長期休暇を取得して、フィリーネと共に旅行がてらのオーディン訪問を満喫するつもりであった。この機会を逃せば、尚書は辞めたからといって元帥の地位まで失うわけではないミュラーに次の長期休暇がいつ訪れるのかなど見当もつかない。だいたいにして次の人事も保留の状態である。広い宇宙のどこかの帝国領を皇帝の代行として治めよという名目で、辺境の果てまで飛ばされる可能性だって無きにしもあらずだ。そうなってしまえば、オーディンに帰るなど夢のまた夢、今度のようにわざわざ両親がフェザーンを訪ねてくれていたとしても会うことなど到底叶わないことだろう。
「だから、父さんたちには申し訳ないけどそれまで待ってもらって……」
という提案は、しかしながら、姉のマルガリータによる新たな提案によって中止を余儀なくされた。
「なら、父さんも母さんもそれまでうちにいればいいわ」
「二週間も!?」
驚いた弟が目を丸くして引っ繰り返った声を上げるが、
「あら、何も問題ないでしょ。実家は兄さんに任せておけば大丈夫なはずだし、何よりマリーとアルノーが喜ぶわ」
ケロリと言ってのけた。
「義兄さんはどうするんだよ」
「二か月の長期出張中よ。それに、例えあの人がここにいたって異論があるはずないわ」
それは確かにそうであろうとミュラーも頷かざるを得なかった。何故なら、両親と義兄の関係は大変良好だと、はたから見ても明らかであるからだ。
「だから、ね!お父さんもお母さんもここにいてちょうだい」
娘にそこまで言われれば、両親には何らの異存もあるはずはない。
こうしてミュラーの両親のフェザーン滞在は決定されたのである。

*****

ハイネセン中央宙港までの道のりは快適なものだった。
平日ということもあって道程に目立った渋滞もなく、空には雲一つない青空が広がっている。
5人乗りの地上車の助手席にフィリーネ、運転席にアッテンボロー、そして後部座席にはユリアンとカリンが陣取っている。フィリーネの荷物に関しては一足先に引越業者が宙港へと運び込んでいるはずである。何かの間違いさえなければ、持ち主とほぼ同時にフェザーンへ到着することになるだろう。
「ところでフィリーネ。フェザーンでの住まいはミュラー元帥宅ということでいいのか?」
アッテンボローが素朴な疑問を投げかけるが、この期に及んで肝心な事柄を聞いてなかったことに気づいたのはつい先刻のことである。
「そういう話もあったんですが、式まではミッターマイヤー元帥宅にお世話になることになりました」
「は?なんでわざわざそんな七面倒くさいことを」
僅かに目を見開いたアッテンボローに、後部座席ではユリアンが人知れずクスリと小さな笑いを漏らした。
「初めの予定ではミュラー元帥が住んでいる官舎にそのまま入るはずだったんです。でも……」
ミュラーから話を聞きつけたミッターマイヤーが、それはいかんとフィリーネの身柄を預かる旨を申し出てきたというのだ。ミッターマイヤー曰く『いかな理由があろうとも嫁入り前の娘が独身男性のところに寝泊まりするのはいかん』そうだ。
「なんだそりゃ」
アッテンボローは素直に呆れた。
見知らぬ男女ならともかく、ミュラーとフィリーネは以前より恋愛関係にあって、今は晴れて公然の婚約者同士だ。
「何の遠慮をする必要もあるまい。それとも何か?ミッターマイヤー元帥は、女性は結婚まで純潔を守るべきだという考えの持ち主なのか。だとしたら結構な確率で頭にカビが生えているに違いない」
「アッテンボロー提督、不躾ですよ」
笑いの成分を口に含んだユリアンが諭すが、アッテンボローの鼻息は荒い。
「それに、お前は何がそんなにおかしいんだ。笑うところじゃないだろう」
当の本人は知らないが、この展開は彼以外の若者三人が事前に想定していたそのままである。時代錯誤だと絶対言うに違いないというのが、彼と彼女らの見解が一致したアッテンボローの反応であった。
「仕方ないじゃないですか。帝国にはそういった貞操観念が未だ根強いんですから」
「それにしたってミッターマイヤー元帥は平民出身だと聞く。それでもか」
「そうですよ」
「だから私言ったんです。それなら式まではホテルに泊まりますって。なのに……」
しかし、フィリーネの次の言葉には、アッテンボローも矛を収めて遂には吹き出すこととなる。
「フロイラインは料理も苦手だと聞く。ついでに私の妻に料理を教授されると良い」
確かに的は得ている筈なのに何故か納得できないと続けたフィリーネは珍しく不満げに口を尖らせてしまった。

*****

宇宙暦804年、新帝国暦6年3月初旬。
ミュラーとフィリーネは久方ぶりの再会を果たすこととなる。

フェザーン宙港に到着したミュラーは忙しなく到着ロビーへと駆け込んだ。
フィリーネが乗った旅客用定期便の到着までには未だ間があったが、その前に合流しなければならない人物たちがいたからだ。フィリーネとの対面を望んだ両親と義兄を除いた姉家族である。

その日の終業時間はいつものミュラーに比べれば特段に早い時間で、待ち合わせの時間には充分間に合うはずであった。しかし、何となく姉たちが早めに宙港到着を果たしているような気がして仕方が無かったので、追い立てられるように元帥府を後にした。
そんな慌ただしい中でも、元帥用マントを外して、代わりに支給品の黒いトレンチコートを羽織ることを忘れなかったのはさすがというべきなのかもしれない。
今さらフィリーネとの関係を隠す謂れもなかったが、公共の場には人の目というものがある。軍の人間に出会えば例外なく恭しい敬礼をされるだろうし、万が一にもマスコミの人間に出くわしてしまえば、取材を要求される可能性もあるだろう。自分はともかく、家族は一般人である。目立つのは極力避けたかった。

家族との待ち合わせ場所は事前に到着ロビーとだけ決めていた。
しかし、実際には到着ロビーといっても広い。
具体的に何処という打ち合わせをしなかったことを悔やんだミュラーが、キョロキョロと辺りを見回し、やがて携帯端末に手を掛けようとしたその時、
「ナイトハルト!遅いわよ!!」
遥か前方で弟の名を呼びながら千切れんばかりに腕を振っている姉の姿が視界に飛び込んできた。助かったとばかりにそちらに駆けると、家族の眼前に姿を現したミュラーは肩で息をしている。久しぶりの全力疾走であった。
「やっぱり早いじゃないか」
案の定だった。約束の時間より三十分は早い。
「子供たちに宇宙船を見たいとせがまれてしまったのよ」
「それにしたって待ち合わせには充分間に合ってるはずだろ。これでも一生懸命仕事を切り上げて来たんだ。遅いはない」
不平を言葉で述べてはみたが、実は当初より内心では、例え約束の時間を守っても『遅い』と云われるのも覚悟していた。
それにしても、フィリーネが初めてこの地に居を移す日には自ら出迎えてやりたかった。だから、彼女を出迎えることが出来るギリギリの時間帯、ということでこの便を選んだ。
「同行者が増えただけだっていうのに、こうも予定が狂うとは……」
知らず内面の声が表に吐き出される。
「あら、予定を狂わせてなんかいないでしょ。それとも迷惑だったとでも言いたいわけ?」
「そういうことじゃなくて……」
姉弟でああだこうだと言い合いをしているとまもなく、場内に該当シャトルの到着を知らせるアナウンスが鳴り響き、それを合図に姉と弟の口は閉じられた。

果たして到着ゲートは出迎えの人であふれ返っていた。
その一角でミュラー一家は待ち人の登場を今か今かと待ちわびている。
やがて、ゲートが解放されるや否や、続々とハイネセンからの乗客が姿を現す。
「ナイトハルト、どんなお嬢さんなの?」
「写真を見せただろ」
「お姉ちゃんは金色の髪だよ」
「金色の髪って云ったってたくさんいるじゃない。大丈夫かしら」
「お母さん、ナイトハルトがその辺は心得てますよ」
「それはそうだろうけど……」
ゴチャゴチャと好き勝手に会話する外野のせいか落ち着かないミュラーだったが、この時初めてある事実に気づく。
(フィリーネに両親の来訪を伝えていなかった……)
今日の為に一部仕事を前倒しして多忙だったこともあるが完璧に自分のミスである。彼女の到着を待ちわびる気持ちと、これまでの経緯を家族の見守る中で打ち明けねばならないだろうことに些か頭痛の気配を感じるミュラーだったが、それもお目当ての金髪を見つけた時には忘却の彼方に消し飛んでしまった。

「フィリーネ!!」
我知らずミュラーが宙港に一際響く声を上げると、懐かしい青い瞳がこちらに向けられる。
「ナイトハ……!」
待ち望んだ宝物を見つけたような表情でそれに応えたフィリーネであったが、次の瞬間、明らかにその身体がこわばるのが見て取れ、素早くその原因を察したミュラーが居並ぶ家族にチラリと視線を送った。かと思うと、意を決したように脇目も振らずにフィリーネ目がけて大股で歩を踏み出した。
息子の後を追ってそれに続こうと試みた母親であったが、姉に無言で制止されると、母も黙ってそれに従い、家族もそれに倣う。
「よく来てくれたね、フィリーネ。疲れただろ」
フィリーネに駆け寄ったミュラーがまずはそう言って彼女を労った。
「ううん、行程は順調だったし、フェザーンに来るのは慣れているから。それよりナイトハルト……」
続く言葉を遮ったミュラーが家族を手招きした。
「両親なんだ。結婚の報告をしたら、何も考えずにオーディンから飛んできたらしい」
この状況をどのように説明したものかと思案するのを忘却の彼方に置き忘れたミュラーが、それでも要点のみを手短に説くと、彼は何に羞恥したのか最後には僅かに顔を赤らめた。
「そうだったの。お姉さんと子供たちには見覚えがあったのだけど、ご両親は知らなかったから……」
「驚いただろ」
「少しね」
そう言って笑顔を見せたフィリーネに救われた思いがしたのは気のせいではないだろう。
ミュラーの中で本来の彼が取り戻されていく。
「それよりも……」
「?」
「ようこそフェザーンへ」
両の腕<かいな>を開く彼の元へ飛び込むことに、勇気もためらいも、果ては羞恥さえもいらないことを今のフィリーネは知っていた。



<END>



←BACK/TOP/NEXT→