尋 問  (3)







「しかし、せめてもう少し世の中が落ち着いてからでも良かったのではないのか?」
滑らかになった口ぶりのキスリングが珍しく眉を下げて問うてみれば、砂色の頭が揺れて首を傾げた。
「どうだろうな。が、今がちょうど良い機会だとは思ってるよ」
何処か満足気な面持ちを覗かせたミュラーはあることを打ち明け始めるのだった。

先日の皇太后との謁見の中で現役の帝国軍元帥であり軍務尚書でもあるミュラーは、辞任の意向とその理由を述べた。そして話が落ち着くのを見計らった後に、後任には軍部以外からの人選を望む旨を皇太后に奏上していたのだ。
もともとローエングラム王朝においては、成立初期の段階から政治体制の軍閥化を憂慮する声が無きにしも非ずであった。しかしながら、初代皇帝ラインハルトは軍畑の出身で、その麾下にも多くの優秀な諸将を抱えていた。であるから、王朝成立時から軍部中心の政治体制が敷かれることは自明の理であり、致し方のないことであったのかもしれない。だがしかし、和平の世を迎えた昨今に於いてはそれらも過去の話になりつつあるのも事実である。
公正明大な安定した専制君主制を保ち続けるためには軍部主体の偏った政治であってはならないのではないか。
ミュラーは心密かにそう考えていた。
だからこそ、これが好機だとばかりに奏上したのだが、果たしてその意見が実際に受け入れられるかどうかは今後の皇太后ヒルダとその身辺の判断に委ねるしかない。

また、その一方でミュラーは筋を通す意味も込めて、主席元帥であり先代ローエングラム麾下においては先任提督でもあったミッターマイヤーには謁見直後に、いの一番で事の成り行きとその真意を明かしている。
ミッターマイヤーはミュラーという逸材を失うことに対しての遺憾の大きさを言葉の端々に滲ませながらも、後任の件についてもフィリーネとの件についても首肯してくれた。
その時の光景が脳裏に蘇る度に、苦渋の決断を迫られる如く苦悶に細められたミッターマイヤーの灰色の瞳が、そして最後にポツリと漏らされた言葉が、ミュラーの胸をきつく締め付ける。
「反逆という名の下に、もう、誰も失うことがあってはならない……」
ロイエンタールのことであろうことは容易に察せられた。
頬杖をつくように顎の下で組み合わされたミッターマイヤーの両手の十指に力が籠められるのが手に取るように分かった。それは当時の苦悩と今なお続く後悔をこれでもかと孕んで小刻みに震えていた。
そうだ、例えその身の一切が潔白であろうとも、過分な疑いを掛けられる要因は持ってはならないのだ。
おそらくこれは、あの事件の真相を知る者であれば誰もが思い描く所感であろうが、ロイエンタールの無二の親友であったミッターマイヤーから発せられることによって、より一層の現実味を以ってミュラーに迫った。
「それにしても、卿も意外と情熱家なのだな」
そう言って軽い冗談のつもりだろう、笑んでみせたミッターマイヤーの相貌は淡い陽炎を彷彿させる痛々しさで、疾風ウォルフと渾名され、部下からも同僚からも親しまれる剛柔兼ね備えた首席元帥の普段の力強さとは無縁のものであった。

***

「また都合の良いことだな」
ミュラーはキスリングの皮肉で我に返った。
「差し出がましいことだとは思ったけどね……そうでもしないとやってられないことがあるのも事実なんだよ」
温厚だと称されることが常態化したミュラーにだって出世欲だとか名誉欲だとか云う類の欲望は人並みにあるつもりだ。自分には過分な役職だと謙遜しつつも、三十代初めに軍務尚書という職責を賜わったことは己の経歴に華を添えることだと自認していたし、また誇りにも思っていた。更には周囲の自分に対する期待の大きさも熟知していたから、それに応えてみせようという意欲もあった。故に今回の件に対して本音を曝け出してしまえば、後ろ髪が引かれる事この上ないのだ。
それにしても、そんな思惑の泉が決壊することがなく、血を分けた家族はおろか、ミュラーを取り囲む一切合財がその部分に感知しないでいられるのは一重に彼の性格の成せる技であろう。
「また、お前らしくない暴言だな」
「そうかな?だけど偽らざる俺の本心だよ」
いとも簡単にニッコリ笑み答えてみせているが、此処に来るまでどれほどの苦悩があったのだろうか。
キスリングは穏やかな砂色の双眸を視界に入れ、人知れず思いを馳せる。
しかしおそらくそれは永遠にミュラーの胸の内にしまい込まれ外に出ることはない心情に違いない。故に例えキスリングが彼の心境を正確に推し量っていたとしても、決して知ることはない真実でもある。ミュラーの心の殻は彼の人となりに反して非常に堅固だともいえる。キスリングはそんな彼を知っているから憂慮するのだ。普段は滅多に使われることのないお節介という衝動に火が付き、自分でも予想しない突飛な行動に出てしまうのだ。
「……まったく……!」
想像の果てに出た言葉は、何の変哲も創意工夫も無い毎度の如くの憎まれ口でしかなかった。これもまたいつものことである。
ミュラーは吐き捨てるようにそっぽを向いてしまった横顔に向かって、
「そういうお前だから俺も安心する」
と心底ほっとした様子で静かに言うと、キスリングの顔面が僅かばかり紅潮した。
「全てを認めたわけじゃない」
「知ってるよ」
これまでフィリーネとの関係に苦しまなかったのかと問われれば、答えは自ずと否である。しかしながら、ミュラーの中のミュラーがこの機会を逃してはならないと叫んでいる。だとしたら、するべきことは一つしかない。決断するためにも、己の本心と折り合いをつけるためにも、帳尻を合わせるしかなかった。
「理屈で人を好きになるわけじゃない……というのは俺の考えだけどね。せめて俺はそうだということさ」
「……」
確かにそうであろうと心で頷きながらもキスリングは、現実には首を縦には振らずに無言を貫いた。それでもミュラーの言葉は続く。
「そして周知の如く、お前も俺も自分の考えを曲げることは出来ない」
「ああ、その通りだ」
今度は頷いた。
そんなことはそれこそ出会った当初からお互い分かり切っていることだった。それでも互いに上手く感情の遣り繰りをして、時には衝突しながらもこれまで付き合ってきたのだ。
きっとこれからもそうであろう。
キスリングは何事かを決意したように正面に向き直る。
「ミュラー、お前とは長い付き合いになりそうだよ」
「偶然だな。俺もそう思ってる」
砂色と黄玉の全く異なる色合いを持つ視線がぶつかり合うと、どちらからともなく口元が弧を描いた。それは気の置けない二人が自ずと交わしあう了解の合図でもある。
テーブルに置かれたグラスの解けた氷がカランと耳に心地よい音を立てると、二人同時に酒瓶に手が掛かり、顔を見合わせあった。
キスリングがミュラーの手を払いのけるように先手を取って酒瓶を持ち上げ二人分のグラスに新たな酒を注ぐ。
眼前で落とされゆく酒は、先ほどとは全く違う種類の鮮やかな琥珀色をしているようにミュラーには思われてならなかった。
(同じ酒なのに気分次第でこうも違うとは)
人知れず苦笑した。
「どうした?」
向かいに座る相方が杯を掲げながら訝しげな表情をするが、それには答えない代わりに、
「それにしても最初の剣幕からは考えられないな。正直、どうなることかと冷や冷やしてたよ」
心の内の苦笑いを違う話題にすり替えると、
「俺も熱くなり過ぎた」
釣られる格好でキスリングの口からも自嘲めいた吐息と共に素直な言葉がこぼれ出た。
「なりふり構わない様子だったからな」
「その点に関しては反省している」
赤銅色の頭が照れ隠しに掻かれるのを微笑ましい気持ちで見守った。
「明日から言われるぞ。キスリング少将はおっかないってな」
「怖くなきゃ親衛隊長なんて務まらんとも思うが」
だが一点、トパーズが氷の剣に姿を変えてジロリと砂色の瞳を射ぬく。
「それとこれとはまた違った恐ろしさだと思うけどね」
対するミュラーは痛くもかゆくもないといった体でさらりと言ってのけるのだった。

***

「キスリング。お前、本当は知っていたんだろ。いや、感づいていたというべきかな」
「何を」
「俺がこういう決断をするってさ。あの日、年明け早々に皇宮ですれ違った時から……いや、もっと前からかな」
「どうだかな」
「耳にも入っていたんだろ」
「……」
「なのに、役目だからと公になるまで待っていた。違うか?」
「さてね」
「口の堅さは一流だな」
「……じゃなきゃ、親衛隊長なんか務まらんよ」
「だろうね」
本当のところキスリングは、かなり以前から今日<こんにち>の事態を予期していた。それは皇太后のスケジュールにミュラーの私的謁見が加わったことを目にした瞬間に確信へと変貌を遂げ、好むと好まざるとに関わらず謁見内容が耳に入ってきた時には不本意にも肩を落とした。
だが、今となってはそれももう過去の出来事になろうとしている。
「今回ばかりはやっかいな職務だと思ったよ」
キスリングは事の子細を一切語らずにそうとだけ言うと、参ったように眉を下げ、瞳を淡い当惑の色で満たした。
「すまなかったな」
「謝罪するのか?方向が違うだろ。謝るなら俺にじゃない」
「わかってるよ。だけど、せめて今は構わないだろ」
「あんまり俺を舐めるなよ」
「ははは……舐めたって舐め切られるお前じゃないだろ」
「わかってるじゃないか」
「恩返しじゃないけど、お前の時には力になってやる」
「ぬかせ。舐めるなって言っただろ。俺はお前のような馬鹿な真似などしやしないさ」
「ふっ……お前らしいな」
そう言って、どちらからともなくグラスを掲げた二人は今日何度目かとなる乾杯をするのであった。

<END>

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