尋 問  (1)







 事態が公表されると早晩駆け込んできた人物がいた。


 いつもより早い時刻に帰途に着いたミュラーが既に自宅で寛いでいると、玄関のドアが激しく叩かれる。インターホンを押すのも面倒だというように気ぜわしげにドンドンと何度も重苦しい天然木素材の扉を連打された。壁に掛けられた時計に目を遣ると、時刻は既に午後十時を廻っている。
 何事かとゆったり寝そべったソファから跳ね起きて、慌てて玄関先に駆けつけると、守衛の兵士が問題の人物の暴挙を抑えるのに躍起になっている真っ最中であった。
 しかしながら、守衛の兵士の動きは一見して何処か本気に欠ける風情だ。自宅警備とはいえ、軍の人選は的確な筈である。
 どういうことかという疑問が頭をもたげながら目を凝らしてみると黒地に銀で縁どられた独特の長衣が目に入った。
「キスリング!?」
 半ば条件反射的に叫んでいた。
 途端、もみ合う形になっていた二名の動きがぴたと停止し、キスリングと呼ばれた男が若い守衛の兵士を遠慮なく押しのけ、長衣の裾を翻し、ミュラーの眼前目がけてズカズカと大股で歩み寄ってきた。突進してきたという表現が正確かもしれない。
「どういうことだ。本気なのか!?」
 言うが早いか胸倉を掴まれた。
 その唐突な事態にミュラーが今や傍観者と化した兵士に視線を走らせると、未だ年若い下士官は目を白黒させている。目の前で繰り広げられ始めた突発的な軍の高官同士の衝突に驚きを隠せないといったところであろう。
 この時確かに下士官の青年は驚きのあまり硬直していた。何しろ、今にも殴られんばかりの勢いで引きずり上げられている人物は現役軍務尚書であり帝国軍の七元帥の一人であるのだ。更にはその元帥閣下を締め上げている人間も彼の記憶には深い人物であり、どちらも自分にとっては雲上人であると共に憧れに等しい存在でもある。
 先ほど親衛隊長のキスリング少将が物凄い剣幕でミュラー元帥宅の扉を叩き始めた時も驚いたが、この期に及んでも尚驚きはいや増すばかりであった。胸中で自ずと右往左往し、全身から吹き出る驚愕と焦りと緊張と諸々の意味が込められた汗が出るのに任せるしかなかった。
「キスリング、待て」
「待てじゃない。聞かせろ!」
「とにかく落ち着け」
「黙れ。その言葉、そっくりそのままお前に返してやる」
「いいから!兵が見ている……!」
 滅多にお目にかかれないミュラーの覇気にキスリングが我に返ると、下士官が怯えた目でこちらを見ていた。
 自分らしくないとんだ失態にキスリングは内心で自分自身を叱咤し、毒づいた。そして体勢はそのままに、鷲掴みに掴んだミュラーの胸元をゆっくり放してやると、行き場のない苛々を発散するごとくに赤銅色の頭を右手で掻きむしる。
「くそっ……!」
 誰に云うともなく吐き捨て、誰の許しも乞うことなく無言でミュラー宅の玄関をくぐると、後に続く格好になった家主がおよそ軍人らしくない苦笑気味の笑顔で年若い下士官をねぎらった。


「酒でも飲むか?それともこの後また仕事に戻るのか?」
 玄関の扉を閉めた途端にまたしても掴みかからんばかりの勢いを取り戻したキスリングであったが、何とかなだめすかしてリビングに落ち着かせた。
「いや、このまま帰る。明日は公休だ……」
 憮然という言葉がそっくりそのまま当て嵌まりそうな表情でソファに腰を下ろす。
「だったら久しぶりにゆっくり飲むとするか。俺も明日は休みなんだ。幸いなことに良い酒も手に入った」
 貰い物だけどと付け足すことを忘れずに現物を掲げてみせると、不満げな面持ちでキスリングがポツリと呟いた。
「良い酒なんか多分必要ないぞ」
 答える代わりにミュラーは首を傾げ、砂色の瞳を緩めて先を促す。
「大方予測してるんだろ。俺の用件」
「……まあね」
 テーブルに酒の用意をしながら頷いた。
「お前の耳には今更痛い内容だぞ」
「おそらくそれも知ってるよ……」
 グラスに琥珀色の液体が注がれる。
「美味い酒もまずくなる」
「それはどうだろうな」
 言いながらグラスが手渡された。
 急な来訪にほとほと困っているだろうに、それでもやんわりとした表情を崩さずに文句の一つを言うこともなく見知った闖入者を受け入れる様はやはりミュラー故のことなのであろう。キスリングは何を言うこともなく素直に杯を受け取るのだった。


 酒の用意が出来ると二人差し向かいで乾杯する。
 多忙な日常に対するねぎらいにか、それともこうして二人で酒を酌み交わすことが出来る幸運にか、どちらからともなくグラスとグラスを軽く触れ合わせてみたが、それでも決してミュラーの今回の成果に対する祝福でないことは誰の目にも明らかだった。
「さて、お前も知ってるとは思うが俺は回りくどいのは好きじゃない。だから単刀直入に聞くが……本気なのか?」
 一口で杯を煽り切ったキスリングが上目遣いに聞いてきた。黄玉の瞳が金色の光を放っている。
「本気じゃなければ公になど出来ないさ」
 案の定の問いに答えながらミュラーはやれやれと肩をすくめた。
「それはそうだろうがな。お前の意向を軍内部とはいえ公にしたということは他の元帥方の審議にも掛かっているのだろう?元帥たちもよくぞ承諾したもんだな」
「いや、ありがたいことに簡単には承諾してくれなかったよ」
 ミュラーの軍務尚書辞任の意志は、つい先頃行われた御前会議に於いて明らかになっている。本来、その日は全く別の案件を審議する場になる予定であり、ミュラーの意志表明はさらりと片付けられるはずであった。
「当初の会議の目的は何処へやら、俺の話題に集中することになった」
 だろうなとキスリングは納得した。
 そもそもミュラーは初代ローエングラム体制下にあって主席上級大将を務めた人物である。そして次代になり、軍の体制が七人の元帥を置くようになると、自ずと筆頭元帥がミッターマイヤー、次席がミュラーであるというのが暗黙の了解になった。
「で、理由を説明したのか?」
「いいや。皆、おおよその見当はついていたようだからね。詳細は求められなかった。それで良いのかとは問われたがね」
「だろうな。お前の事情を知れば誰も良い顔はしないだろう」
「案外あっさり解ってくれるんだな」
 ミュラーが苦笑いする。
「解るだけさ。実際、俺の意見は前から変わらない。そうそう簡単に変えられるものでもないだろ」
「だろうね」
 けろりと頷いてみせるミュラーにキスリングは内心で舌打ちした。ああいえばこう言う。暖簾に腕押しよろしく、この男には何を言っても通じない。そんな気がした。
 昔から変なところで頑固なところがある奴ではあったが、人生の岐路が掛かった重大な決断の時においても己の意志はそう簡単には曲げられないというのか。
(まあ、それは俺も同じか……)
 口には出さずに独りごちると気を取り直した。
「それで結局のところ言われたんじゃないのか?今までのキャリアを棒に振るのかと」
「そこまで率直にではなかったけどね。まあ、そんな類のことは言われたかな。特にビッテンフェルト元帥なんかは熱くなってたよな」
 キスリングには当日のビッテンフェルトの様子が目に浮かぶようだった。そして、対応に追われるミュラーの姿も……。
 咬みつかんばかりの勢いの元帥を、まるで猛獣か珍獣を扱うかのようになだめすかして必死に抑えるその光景が、まざまざと脳裏に映し出されると我知らず口元が緩むのを必死にこらえ、話題を正規の方向へと導く作業に奔走する。
「まあ、俺から言わせれば正気の沙汰とは思えないがね」
 後頭部に両手を組みどっかりとソファに身を沈め、向かいに座る当事者を正視した。
 キスリングの言葉は続く。
「女なんてこの帝国にだってフェザーンにだってたくさんいる。百歩譲って同盟側から相手を選んだとしても、脛に傷持つ相手に当たる確率はそうそう高くはないぞ」
「脛に傷って……。相変わらずヒドイ言い草だな」
 両の膝頭を土台に肘を付けると両手の指を交差させ顎を支える。その表情は苦笑いと云ったところか。
「事実だろ。一国の中枢を担うお方の相手としてはどうかと思うぞ。お前は時代がそうだったんだと言うのかもしれないが、時間は続いているんだ。過去のことではあっても昔話ではない。つい最近のことだ」
「だからこそ、そのくらいの覚悟を必要とするんだろ」
「他人事<ひとごと>のように言いやがって。正直なところ、俺には分からないね。そこまで価値のある女か?あの少佐が」
 吐き捨てるようなキスリングの言葉であった。
「じゃあ、聞くが、お前はどう思う?彼女のこと」
「は?」
 思いもよらぬ質問にキスリングは内心で面食らった。逆に問いを浴びせられるなど予測の範疇外だったからだ。
「俺よりお前のほうが普段の接点は多いんじゃないのか?たまに話してるのを見かける。彼女のフェザーン来訪の頻度を鑑みれば、少ないとはいえないくらいには会話してるんじゃないのか」
 確かにミュラーの言う通りかもしれない。直接の仕事上においての接触はほとんどなかったが、それ以外で顔を合わせれば二言三言は毎度のごとくに話す機会を持っていた。その事実に今さらながら気づいていしまった。
 それにしてもミュラーというヤツは存外目聡いヤツだ。 
 呆れると共に少しばかり感心した。
「見張ってるのかよ」
「お前のことを見張ってどうする」
 今日初めてお目にかかる屈託のない爽やかな笑顔だった。
「俺じゃねえよ」
 ふんと鼻を鳴らして顔を逸らすと、視界の隅っこで声を上げて笑うミュラーの姿が映り込んだ。
 不覚にも心が安堵の吐息を漏らすのを禁じ得なかった。
 だが、それを表に出してしまってはこうしてわざわざ出向いてきた意味が半減する。
 改めて気を引き締め、本来の目的に狙いを定めるキスリングであった。


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