おわるものU(5)





「フロイライン・リーゼンフェルト。貴女にとってミュラー元帥は大切な方ですか?」
差し挟んだテーブルの向こう、皇太后ヒルダがおもむろに口にしたのは率直な言葉だった。
「……」
フィリーネは絶句する。
そうだとは思ったが、やはり皇太后陛下は知っておられる。
では何故?
「私は…」
だがフィリーネより一呼吸早く皇太后が口火を切った。
「実は今朝早くミュラー元帥が参内いたしました」
洗練された仕草でカップをソーサーに戻しながらヒルダが静かに事実を述べる。
「元帥が正式に求めた私的謁見だったのです」
「私的な?」
それが何の為であったのかフィリーネには察しがついた。それでも疑問の形を取ったのは絶対的な自信が持てなかったからである。しかし次の皇太后のセリフは彼女の予測を確実なものに変える。
「それが何の為であったか。フロイラインにはお分かりになるでしょうか?」
「おそらくは…」
だからそう答えた。
「恐れながら、それもあって陛下においては先ほどのようなことを申されたのではないでしょうか」
これは先刻ヒルダが会話の流れの中で唐突に古い時代の考えをミュラーも持っているかもしれないと述べたことを指している。
「そうですね。そうかもしれません」
このことは相手にも通じたようで、彼女は納得した様子で頷くと言葉を続けた。
「だからといって、今回のミュラー元帥の参内があったから私は貴女方二人の関係を知ったわけではないのですよ。フロイライン」
前置きしたヒルダは二人の関係を知った経緯をフィリーネに語って聞かせた。
「それに…」
更にミッターマイヤー元帥が夫人と二人で皇宮を訪れた件も付け加えようとしたが、それは寸前で取りやめた。全てを語ってしまい、それらに気遣ったフィリーネが本心を曝け出さない事態を危惧したからだ。その代わりにたった今懸念したばかりの事柄を口にする。
「私は貴女の本心をお聞きしたいのです」
「私の本心を。だから陛下は私人としての私と話したいと言われたのですか?」
ヒルダは頷いた。
「実は過日貴女のことは調べさせてもらいました。その経歴も人となりも。そういった点から、もし貴女が私の想像通りの人間であるならば公人としての貴女はきっと本心を仰らない」
確かにそうかもしれないとフィリーネは思った。しかし、ミュラーの事となるとどうだろうかと考えた時に彼女には自信が持てなかった。少し前だったら決して本心を明かすことはなかっただろう。だが現在のミュラーと自分はある意味最終局面を迎えているといっても過言ではない。であるならば…という思考はヒルダの半ば自身を卑下したような言葉によって停止させられた。
「おそらく私は恋愛というものに疎いのです。一番多感であるはずの少女の頃さえ関心が持てなかったくらいですから」
そう言って、先帝の妃となり子まで成したことは奇跡に近いと微笑む皇太后は、しかしその独身時代を後悔しているようには決して見えなかった。
「そういう事情もあって今回は私人の貴女とお話をしたいと思ったのです。皇太后としてミュラー元帥との関係を言及すればいいのかもしれません。しかし、正直私には図りかねたのです。公人としての貴女が元帥との本心を例え権力者の命だからといっておいそれと話すものなのかと…」
「では私人としての私は話すと思われた?」
ヒルダは首を振る。
「それもないように思えます。第一、私は貴女の私生活において交流がありません」
「そうですね」
フィリーネは納得したというように僅かな間瞑目した後に続けた。
「でも実は今の私は自信がないのですよ。公人としても私人としても…」
ヒルダの目線がどういうことかと訴えている。
「ミュラー元帥との件を彼の主君であられる皇帝の摂政である皇太后陛下の前で隠すことも偽ることも。事実においても本心においても」
「では…」
「先ほどの陛下の問いにお答えいたします。私にとってミュラー元帥は大切な方です。かけがえのない方と云っても構いません」
言い切ったフィリーネの双眸が青い極上の宝石のような輝きを放つ。
我知らずその光に当てられたヒルダは眩しいものを見るように目を細めた。
しかしそうなれば、ミュラーの想い人の告白をただ黙って祝福することは出来ないのが彼女の現状であり立場でもある。
「しかし貴女は以前に革命軍に加わっていたこともある。そんな貴女がもし元帥の伴侶となった場合に違う旗を仰ぐことが出来るとおっしゃるのですか?」
ブルーグリーンの瞳を厳しく細めてヒルダが詰問する。
が、フィリーネはこちらが拍子抜けするほどあっさり答えを返してきた。
「出来ます」
「本当に?」
ヒルダが念を押すと、フィリーネは破顔した。
「と言いますか、正直分からないのです私には…旗を仰ぐという意味がが。確かに私は自由惑星同盟という民主主義の国に生まれました。そして軍人になって、革命軍にも所属したりもしました。だからといって何かしら主義を持ったことは一度もないのです。軍人になったのはそうなりたかったから、革命軍に入ったのはただ単にヤン元帥とその周囲にいる人々が大好きだったからなのです。それだけなんです」
「そこに己の主義や思想といったものは一切なかったと言うのですか?」
「はい。思いだけです」
「それだけで?」
呆れたような声をヒルダが出すと、相手は困ったように僅かに眉を下げる。
「はい。陛下におかれましては俄かには信じられないことかもしれませんが、それが私の真実なのです」
「では、この状況に至っても後悔はしてないのですか?」
「はい。と云うと嘘になるのかもしれませんけど…というのは確かに悩んだことはありましたから」
「それは元帥との事で、ですか?」
「ええ。しかし、あの経験がなければ今の私は此処にいなかったのかもしれませんから。それは仕方のないことです」
実際はそれらのことはミュラーがフィリーネに言ったことであり、その言葉に彼女が従ったことではあったが、ここではあえて伏せた。
「では、そのことによってミュラー元帥が今の地位や名誉をなくすことになったら貴女はどうされるのですか?」
そのヒルダの問いに一転フィリーネの表情が途端に凍りつく。
「それは…分かりません…」
その声は先ほどとは打って変わって弱々しく消え入りそうだ。心なしか震えてもいる。
ヒルダの視線の先でフィリーネの眉がゆっくりと寄せられ苦悶の表情を浮かべると青い宝石が俯けられた。
「それでもいいと?」
しかし皇太后の容赦はない。
「…良いか悪いか答えねばならないとしたら、悪いとお答えするしかありません」
声帯に侵略し始めた凍気を必死に払うようにして絞り出した声は抑揚のない無表情なものだった。だが、それでも言わねばならないとフィリーネは意志のみで口を懸命に動かす。
「ひょっとしたら自分勝手な思いなのかもしれません。それでも…」
だがその先は声にならなかった。
本心と思考が一致しないのである。
フィリーネは内心で呻いた。
そしてそんな彼女を見守るヒルダの心は痛みを訴える。
何故に自分がこのような苦痛を彼女に強いなければならないのかという思いが湧き上がる。己の内で唇を噛みしめた。
よくよく考えてみなくとも、そもそもが全て偶然だったにすぎないのだ。
ミュラーとフィリーネが敵同士だったことも。
それでも惹かれあってしまったことも。
そして、自分が皇太后という立場だということも。
ヒルダとて人間だ。
こんな時は堪らなく自分の地位が鬱陶しくてたまらない。
しかしたった一人でそんな己と戦わねばならぬのも自分の使命の一つであると彼女は常日頃考える。
ヒルダは情に流されそうになる己の弱い心を払拭するように思い切って口を開いた。
それはきっと目の前で苦痛にあえぐフィリーネを楽にしてやる効果ももたらすに違いない。そんなことを頭の隅の皇太后ではない一人の人間としてのヒルダの部分で思い描きながら。
「それでもミュラー元帥がよいと?」
一呼吸半ほどの間があった。
その後に金色の頭がコクンと一つ縦に振られる。
ヒルダは自ずとほっとし、内心で安堵の大きなため息をついた。






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