おわるものT (4)







「これを飲むといい。ブランデーを少しだけ入れたから身体が温まると思う」
大きめのマグカップに入ったコーヒーがミュラーの手に因ってリビングのテーブルに2つ置かれ、フィリーネはコクリと黙って頷いた。
ミュラーはそんな彼女の様子を視野に入れながら、意識してその隣に腰を落ち着けた。彼女と向かい合わせに座ることは、それがそのまま心の距離になってしまうように思われたからだ。
エアコンの低い静かなモーター音だけが室内に響き渡る中、二人は無言で深い茶色の液体を口に含んだ。

おそらくフィリーネから口を開くことはないのではないかと思いながらもミュラーは、かといって会話の糸口が掴めない自分を感じている。
彼女に聞きたいことは山ほどあったが、それもこれも要約してしまえば全てが一つの点に帰結する。
アルフレートとはどうなったのか        
結局の所それだけだった。
彼と再会出来ていないという可能性も考えられたが、それはないだろうと思われた。何より、今夜の突然の彼女の訪問と行動がそれを物語ってる。
久しぶりに触れた彼女の細い身体からは激しい感情のうねりが伝わってきた。
それが何を示す物なのか、正直ミュラーには計り兼ねた。
あの日以来、たゆたっていた不安のもやが一気に己の内を浸食するのを感じた。
反面、自分に子供の我が儘に似た甘えをするフィリーネを愛しいと思った。
だから、冷たい雪の吹き付けるあの場で決着を付けようなどと微塵も考えなかった。
こんな崖っぷちかもしれない状況の中でさえ、彼は少しでも彼女との直接の触れあいを求めたかった。
女々しいとか未練といった単語が脳裏を掠め、内心で失笑を禁じ得ない。
(それでも・・・・・・)
ミュラーはマグカップに視線を落とすフィリーネを見つめた。
いつもはあれほどまでに真っ直ぐ自分を見る青い瞳が、今は自分を見ていない。
しかし、いつまでもこうして向かい合ってコーヒーを啜り合っていることも出来まい。
ミュラーは覚悟を決め、あえていつもと変わらぬ口ぶりでフィリーネに語りかけた。
「今回は仕事でフェザーンに?」
「・・・・・・半々」
感情を押し殺すように低められた声音で、うつむいたままフィリーネが答える。
「半々?」
「・・・貴方にも用があったから・・・急遽代わってもらったの」
これは、今回フェザーンに出張予定だった武官と仕事を交代してもらったということだろう。
「用、というのは・・・」
ここで知らない振りを決め込んでしまう自分にミュラーは少しばかりの嫌悪を感じる。
「・・・・・・」
「フィリーネ?」
「知って・・・いたんでしょ?」
「・・・・・・・」
ミュラーはフィリーネの言葉に絶句した。
言葉に詰まった。
何と答えて良いのか分からなかった。
そんな彼をフィリーネの青い瞳が捕らえた。
「ねえ、知っていたんでしょ?だから、だからあの時・・・・」
自分を抱き締めた。
そして背を向けた。
いつもと違う行動を取った。
帰還を果たしたアルフレートの腕が自分を絡め取った時、フィリーネの中で瞬時にミュラーの不可解な言動の全てが繋がった。それはまるで、解けなかったパズルがふとした瞬間にあっさり解けてしまったような、そんな感覚だった。
「どうして、どうして言ってくれなかったの?」
言いながらも、何故ミュラーがそのことについて触れなかったのかは既に想像がついていた。
自分に決断させたかったのだ。
きっと自分が逆の立場でもそうするであろう。
しかも、その時点で分かり得た事実は職務上知ったものであって、おいそれと口にすることなど出来はしない事柄。
公と私。
天秤になど掛けなくとも、すべき決断を彼はしたのだ。
「君は、知らなかったのか?」
ミュラーは絞り出すように喉の奥底から声を発した。
その問いにフィリーネは知らなかったとかぶりを振る。
戦後、幾度となく行われてきた捕虜の帰還。
彼女は帰還者リストを閲覧出来る立場にいたにも関わらず、今回だけではなくこれまでも一度たりともそれに目を通したことはなかった。
そして、アルフレートにとって彼女は関係者であっても身内ではない。家族には届けられる公的な帰還通知さえ受け取る立場にはないのだ。
「わたしは・・・」

宙港で抱擁を解いたアルフレートは言った。
「キレイになったね。大切な人、出来た?」
終戦後、捕虜収容所ではTVが解禁され、彼はニュース番組の中で偶然写り込んだフィリーネを何度か見たと語った。そして、目にする度に美しくなっていく彼女に対してある確信を得た。
「戦死報告が出て7年も経ってたら、当然といえば当然なのかもしれないけど」
その時初めてフィリーネはアルフレートの顔を見た。
自分も7年分年を重ねた同様、彼も同じくらい大人になっていた。
だが、そう自虐的とも取れる発言と共に出た笑顔には7年前の面影がハッキリと残っている。
フィリーネは激しくかぶりを振った。
「違う、そうじゃない。それは関係ない!でも・・・」
「でも?」
「ごめんなさい・・・」
どんな顔をしていいのか分からなかった。
込み上げそうになる涙を必死にこらえた。
しばしの沈黙の後、アルフレートは、
「そう・・・」
とだけ言い、儚げな笑顔を浮かべた。
「いい人・・・なんだろうね」
「・・・・・・」
「その人の前で、君は君でいられるの?」
「え?」
「泣ける?」
        」
フィリーネはその問いの真意を計りかねながらも黙ってうなずいた。
「そうか・・・なら良かった。だったら、いいんだ」
「え?」
首を傾げるフィリーネにアルフレートが告げる。
「君は誰の前でも決して泣かなかった。俺の前でさえも・・・。でも、今の彼にはそれが出来るんだろ?だったら、もう何も言うことはない」
それが最後だった。
抱擁でも、握手でもなく、敬礼をして別れた。
去り際、彼は「幸せに」と背を向けた。
フィリーネは遠ざかる背を視界に収め、彼とのことがこれで本当に終わってしまったことを実感せずには居られなかった。

「フィリーネ?」
今、心配げに自分の名を呼ぶミュラーの砂色の瞳がひどく懐かしいものに思われた。
確かに私はこの人に自分自身隠してきた部分を見せてきた。それは自分以外誰にも見せたくなかった部分ばかりだった。そして、彼はそれをそのままそっくり受け止め続けてくれた。
他人<ひと>はそれを甘えというのかもしれない。
それでも私はこのナイトハルト・ミュラーという男性の前では全てさらけ出してしまうのを止めることが出来ない。
言い換えれば、自分が自分でいられる場所は彼の前でしかないのだ。
そして、ミュラーの腕も言葉もその全てが彼女に極上の安らぎを与えてくれることを知ってしまった。
皮肉にもフィリーネはアルフレートの言葉で自分の気持ちを改めて認識することとなったのだ。
「わたしは・・・」
フィリーネの中で何とも形容し難い感情が溢れ、それ以上は言葉にならなかった。
彼女は形振り構わず彼の胸に飛び込んだ。
その2本の腕が有無を云わさずミュラーの背に廻され、きつく彼を抱き締め上げる。
反動でミュラーの手の白いマグカップが取り落とされ、硬質の床に濃い茶色の液体が大きく花開いた。
「会いたくて、会いたくて・・・会いたくて仕方がなかったの、貴方に」
それは、フィリーネの核となる部分から発せられた言葉のようにミュラーには聞こえ、一瞬彼は目を見張った。
今回アルフレートとの件があったものの、フィリーネと恋人として付き合い出してからこれまで、彼女の気持ちが自分にあるであろうことはミュラー自身分かっているつもりだった。
しかし、どちらかといえば自分の方が彼女を追いかけているような感が、何処かで拭えなかったのも事実だ。
おそらく、それは今回の件に対してのミュラーの懸念にも大きく荷担していることだろう。
だから、今フィリーネの口から発せられた彼を想う彼女の言葉は多少ではない驚きを彼にもたらした。
「フィ・・・リーネ。君は・・・」
交錯した彼女の深い青の瞳は濡れていた。
「お願い。だから、離さないで・・・お願いだから」
それはまるで懇願するような声音を帯びていた。
この時の感情を現す言葉をミュラーは知り得ず、彼はたまらずフィリーネを抱き締めた。
アルフレートと彼女との間で何があったかは、勿論知るはずもなかった。
かといって、それを問いただす術もミュラーは見つけることは出来なかった。
しかし、今この時、彼女がこうして自分を求め、この腕の中にいてくれることが全ての答えであろう。
抱き締めたフィリーネの身体は未だ冷たさを帯びていた。
だが、その彼女のぬくもりがミュラーの体温に因って、本来の暖かさを取り戻していく。
それはまるで、二人が心の深い部分から一つとなっていくかのようにミュラーには感じられ、彼はひどく安らかな満ち足りた思いに囚われるのだった。


<END>


何だかんだと溜め込んだ割にはこういう結果になりましたw
アルフレートとのからみをもっと詳しく書きたいとも思ったのですが、これ以上彼を出張らせても良くないかなというのもあって今回の構成変更になった次第です。あくまで過去の人物として作ったキャラだったので。そして実はこのお話、時期と展開にいくつかの案があったのですが、どれも職権乱用し過ぎだろう的になりそうだったので結果これになりましたw

←BACK/TOP/NEXT→