求婚 V





「ここはハイネセンでも一番美しいと云われている場所なんです」
フィリーネが両手を広げて嬉しいそうに説明してくれた。
ミュラーの夏期休暇5日目。
2人はハイネセンポリスから離れた高原地帯に来ていた。
ここは以前にヤン夫妻が新婚旅行の地に選んだ場所でもある。
緑なす山々が連なり、その麓にはのんびりと草を食む牛たち。
その牛たちが与えてくれる製品の数々はこの地の名産品になっている。
「正に絶景ですね」
ランドカーを降りたミュラーは大きく深呼吸し、高原の清々しい空気を思い切り吸い込んだ。
今日は天候にも恵まれ絶好の行楽日和だ。
「こっちです。ここのソフトクリームは絶品らしいです」
フィリーネがミュラーの手を引いた。
強引に引っ張られ体勢を崩しながらも彼は相好を崩す。
「もしかしてそれが貴女の真の目的ですか?」
「まさか。でも、それが目的の一つでもあります」
2人は小さく笑い合うと、腕を組んで歩き始めた。


「本当に美しい場所だ」
歩きながらミュラーは高原の風景を絶賛した。
「フロイデンには叶わないかもしれませんけど」
「そんなことはない。きっと勝るとも劣らない」
「フレデリカ先輩が薦めてくれたんです。キレイな所よって」
「ヤン夫人の?」
「はい」
「もしかしてここに来るのは初めて?」
「小さい頃にはあるらしいですが、よくは覚えてないです。だから写真と話で知っているだけでした」
ミュラーはフィリーネの境遇を詳しく聞いたことはなかった。
だが、時々彼女の口から語られる過去を繋ぎ合わせることによって、おおよそのことを想像することは出来た。
「では今日は思い切り楽しまなければ」
あえてそう言った。
「そうですね」
青い瞳が嬉しげに細められ、ミュラーの腕に絡んだ細い腕に力が込められた。


「お二人さんもどちらかが帝国の人間かね」
馬車を改造したらしいスタンドが高原には点在していた。
そこで、フィリーネが美味しいと言ったソフトクリームを2つ注文した際に売り子の老人が声を掛けてきた。
その問いに少々の戸惑いを感じながらも頷くと、老人は自分も帝国からの亡命者で今はここの牧場主でもあるという旨のことを話してくれた。
「変なことを聞いてすまなかったね。帝国なまりの混じった会話が聞こえたような気がしたもんで、思わず声を掛けてしまった」
申し訳なさそうに老人が微笑むと、彼の目尻に柔らかな深い皺が何本も刻まれた。
思わずミュラーはこの初めて会った老人に問いかけていた。
「私たちも、ということは最近は多いのですか?帝国の人間が」
「ああ、増えてきたね。喜ばしいことだよ」
「喜ばしい?」
「見たところ、お前さん達もあんたは帝国の人間で、お嬢さんのほうは同盟の人間ではないのかい?」
フィリーネは黙って頷いた。
「戦争も終わって徐々にだがお互いの行き来も自由になってきた。お互いを知れば親しくもなる。わかり合える。友人にだって、恋人にだってなれる。果ては家族にだってなれる」
これが喜ばしいことじゃなければ何だというのだと老人は言い、
「特に儂のような向こうから来た者にとっては何とも言えなく嬉しいよ」
と締めくくった。
老人の深い皺に彩られた瞳が赤い。
「おじいさん・・・」
フィリーネの呟きに老人は慌てて鼻をすすり、ぐいと牧場主らしい太い腕で両の目をこすり上げる。
「砂色のあんたはここに駐留してる軍人さんか何かかい?」
聞かれたミュラーが素直に首を横に振ると、
「そうか。じゃあ、たまにしか会えないのだろうから今日は楽しむといい」
そう言って自慢のソフトクリームを2つサービスしてくれた。


噂に違わぬソフトクリームに舌鼓を打った2人は牧草地に並んで腰を下ろした。
途中、帝国軍人と思われる幾人かとすれ違った。
彼らの中にはミュラーの存在に気づき折り目正しく敬礼する者もあったが、彼は笑ってプライベートだからとそれを受け流した。
しかし、そんな彼らのほとんどに共通していたのは親しげな連れがいたことである。
もちろん相手は女性である。
恋人なのか家族なのか、どちらにしてもその多くはハイネセンの人間だろう。
彼らは一概に幸せそうな笑みを浮かべていた。
(この光景がいつまでも続いて欲しい)
思いながらミュラーはフィリーネの隣で仰向けに寝転んだ。
空は果てしなく青く、真っ白な雲はゆったりと流れている。
喜ばしいと言った老人の人なつこい容貌が脳裏をよぎる。
「先日の話ですが・・・」
おもむろにフィリーネが口を開いた。
ミュラーの意識が彼女に向けられる。
先日の話。
彼にはそれが何であるか瞬時に理解することが出来た。
是か否か。
無意識に否定されることを怖れた彼はとっさに起き上がることが出来なかった。
しかし目線だけは彼女に向けてみる。
当然のごとくその表情は見えない。
知らず呼吸が止まり、彼女の言葉の続きを待つ格好となった。
永遠のような一瞬。
彼女の口が次の言葉を紡ぐべく動き出した。
「お受けしようと思います」
ミュラーの砂色の瞳が見開かれる。
彼は少なからず驚愕した。

フィリーネがユリアンとカリンを訪ね、思いの限りを発散させた時。
彼女は押さえの効かない己に混乱しながらもカリンの言葉に気づかされた。
自分は今まで自分を信じて生きてきたこと。
確かに今までの自分はそうだったこと。
しかし、今の自分はカリンが言うように決してそうではない。
だったら何故今の自分はこんなにも埒があかないのか。
答えは簡単だった。
「怖れている?」
何を。
そんなことは分かりすぎるほど分かっていた。
自分は怖いのだ。
ナイトハルト・ミュラーという存在を失うことが。
何故なら、自分が彼を受け入れて彼と人生を共に歩み始めようと決めれば、おそらくこれまでの懸念は現実のものになってしまうだろう。
そうなったときに最悪全てを失ってしまう危険性があることを、彼女は嫌というほど理解している。
だからこそ、怖れるのだ。
決断を下すことを。
今のこの楽しい時間のまま永遠に時を止めてしまえればいいのに。
そんな思いも頭をよぎる。
しかしもはやそれは許されるべきことではない。
何故なら、自分は何をすべきか知ってしまったから。
私は私の答えを出し、それを明確に伝えなければならない
愛するあの人に・・・。


「!?今なんて・・・」
一瞬、ミュラーは彼女が何を言ったのか理解することが出来なかった。
「お受けしようと思います」
するとそれを察したのか、フィリーネがこちらを振り向き再度言い切った。
太陽の光を背負った彼女の姿は濃い陰影に包まれていた。
が、それでもその表情に笑みが浮かんでいることは間違いようがなかった。
ミュラーは跳ね起きた。
「本当に私でいいのですか?」
先日フィリーネが言ったのとほとんど違わない言葉が驚愕の声と共に発せられる。
「いいんです。ナイトハルト、貴方がいいんです」
驚きと喜びと、様々な感情がミュラーの中で渦巻き始めた。
二の句が継げない。
だが、それには構わずフィリーネは続ける。
「本当はあの場で『はい』と言いたかった。でもその先を考えると私はうなずけなかったんです。もしかしたら、貴方に全てを失わせてしまうかも知れない。もしかしたら、私自身、貴方を失ってしまうかも知れないと。でも、カリンに・・・友人に諭されて気づいたんです。だから、私は私に正直になりました」
ミュラーは大きくかぶりを振った。
「そんなことはない。いや、貴女は事実を言ってるのかも知れない。しかし貴女が私を失うことなど絶対にない。誓ってもいい!それより・・」
しかしそこからは、後から考えれば考えるほど、何とも格好のつかないことを言ってしまったとミュラー自身が己に失望を禁じ得ないものとなった。
「私は貴女より9つも年上で、家庭人としての素質があるとは思えない。何故なら私はおそらく家庭より自分の職務を優先してしまうだろう。まして、私は貴女も知ってるように子供達を頭ごなしに叱ってしまうような、そんな大人としての思慮にも欠ける人間だ。それでもいいと、貴女は言うのか?」
今になって必死に自分の欠点を上げ連ねるミュラーがフィリーネにはどこか滑稽に思われた。だから彼女もそれまでの緊張の糸を解き、知らず無防備の笑いを漏らしてしまう。
口に手を当て笑いが漏れないようにと努めたが、どうやらそれは無駄な努力のようだった。
押し殺した笑い声がミュラーに伝わると、彼は何かおかしな事を口走ってしまったのかとでも思ったのか怪訝な表情になった。
不思議なことに、そんな彼を見ていたフィリーネの中でこの人で間違いないという確信に似た感情が強く芽生える。
そして、その感情は更なる肯定となって彼女の口から発せられることとなった。
「いいんです。そんな貴方だから私は大好きなんです。必要なんです。それに、それを言ったら私だって料理は全くダメです。主婦になるには失格な人間です。努力はしますけど、才能自体ないかもしれません。それではダメですか?」
と、何が起こったのかという表情の彼の眼前に顔をグイと突き出し、じっと砂色の瞳を見つめた。
「いいえ。というか、そんなこと考えたこともなかった・・・」
青い瞳に見つめられたミュラーが半ば呆然とそう答える。
「なら、偶然ですね。私も、貴方が言うところの年の差だとか素質だとかは考えたこともありませんでしたよ」
そう言ってどこか挑戦的に彼を見つめる瞳には、彼女の特徴でもある強い光が宿っていた。
ミュラーがフィリーネを知るきっかけとなったあの瞳である。
彼の脳裏に出会ったときの彼女が思い出された。
同盟軍の軍服を身につけ、長い金髪をキリリと結んだ青い瞳のまだ年若い女性大尉。
あの頃はまさか自分達がここまで来るとは想像だにすることが出来なかった。
こんなにも愛しく大切な無二の存在になり得ようとは思いもしなかった。
ミュラーは半分開きっぱなしだった口を閉じると、うつむき気味に両目も閉じた。
そして口角を少しだけ上げ、満足そうに笑む。
「なるほど・・・」
一瞬の後、一陣の爽やかな風が高原を駆け抜けた。
帽子を飛ばされた誰かが短い悲鳴を上げる。
それがきっかけとなった。
「ぷっ」
2人は同時に吹き出した。
「あはは!」
お互いの顔を突き合わせて大声で笑い合う。
思えば、こうして2人で大笑いすることなど初めてのことかもしれない。
どちらからともなく抱き合った。
そして短いキスを交わす。
フィリーネがミュラーにその身を任せると、彼は優しく彼女を抱きしめた。
「幸せになろう」
「ええ」


終わりを迎えようとする夏の空はどこまでも青く、どこまでも高い。
高原では子供達が楽しげに戯れている。
彼らの歓声は高い空に木霊する。
そして、それは宇宙全体にも響き渡り、生きとし生けるものを幸せで満たしてしまう。
そんな錯覚を覚える、そんな日の出来事だった。


<END>



自分でもビックリするくらいの短時間で書き上がった一品です(笑)
結果はもちろん決めてたのですが、まさか笑って締めくくれるとは自分でも思ってませんでした。

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