求婚 T





ナイトハルト・ミュラーは、同盟領首都星ハイネセンの宇宙港に降り立った。
今回は遅い夏期休暇と職務を兼ねたハイネセン訪問である。
滞在日数は約2週間。
そのほとんどは職務に費やされる予定だ。
それでも彼は職務以外の短い夏期休暇期間を楽しみにしていた。
目的はもちろん恋人であるフィリーネとの逢瀬である。
普段はお互い職務に忙しい日々を送る上に、惑星間の謂わば超遠距離恋愛である。連絡は超高速通信に頼るしかなく、まして会えるのは片方がどちらかの惑星に職務で訪れた際のわずかな空き時間を利用した時でしかない。
更に今回は最後に会ってから、既に2ヶ月近い時間が過ぎようとしていた。


ミュラーは腕時計を見た。
まだ午後1時を少し廻ったばかりだった。
今日はシャトル到着の時間も考慮して仕事の予定は入れていなかった。
しかし到着した以上、ハイネセン駐留の帝国軍の軍部に到着の挨拶をしなければなるまい。
今回のハイネセン滞在の一応の名目は夏期休暇の為である。だから同行の部下達もいなければ、迎えの車もない。
「ランドカーでも拾うか」
独りごち、ランドカー乗り場に向けて歩き出した。
その時、
「ナイトハルト!」
聞き覚えのある懐かしい声がし、見覚えのある金髪にワンピース姿の女性が手を振る姿が彼の視界に飛び込んできた。
「!?」
ミュラーは驚いた。
確かにハイネセン訪問の予定と休暇の詳細も告げてはいたが、到着予定までは告げていなかった。本星での職務の都合もあり、直前までシャトルの時間を予測できなかったからだ。
なのに彼女は彼を迎えに出ていたらしい。
彼がその存在に気づいたのが分かったのか、長いワンピースの裾をなびかせながら彼女が走り出した。
が、あと少しのところで履き慣れないヒール高のサンダルがネックとなり足をもつれさせる。
転倒しそうになった彼女にミュラーは慌てて駆け寄り抱き留めた。
「フィリーネ!!」
結果的に抱き合う格好となった2人は両腕でしっかりとお互いを抱きしめあった。まるでお互いの存在を確認し合うように。
「驚きましたか?」
フィリーネがミュラーの腕の中で彼を見上げ、ニッコリと微笑んだ。
たった2ヶ月会ってないだけだというのに彼にはその笑顔がとても懐かしいもののように感じられた。
たまらず彼は彼女に口づけ、彼女もまたそれに従う。
長いようで短い時間が過ぎ唇が離れるとミュラーは、再度そのぬくもりを求め彼女を強く抱きしめた。
「ミッターマイヤー元帥がわざわざ超高速通信を使って教えて下さったんです」
「ミッターマイヤー元帥が!?」
フィリーネはコクンと頷く。
あの夜以降、ミュラーとミッターマイヤーの間でフィリーネの話題が明確に出ることはなかった。が、それでも事ある毎に彼ら2人のことを気遣うような発言がミッターマイヤーの口から発せられることはあった。そして彼の夫人であるエヴァンゼリンも2人のことを気に掛けてくれているらしいことも、彼の言葉からミュラーには察せられた。
「そうか・・・」
ミュラーは今は遠いフェザーンにいるであろうミッターマイヤーに多大なる感謝をした。


久々の再会の後2人は夜に再び会う約束をし、一旦ハイネセン市街で別れた。
平日だというのに夜のハイネセンには活気があった。
「ここ最近、新しいお店のオープンが続いて平日でもこんな感じなんです」
フィリーネがハイネセンは久しぶりだというミュラーに説明してくれた。
2人は連れだって新しくオープンした店の一つだというダイニングキッチンに入った。
お酒でも飲みながら夕食を取ろうという意見で一致したからだ。
「そのネックレス・・・」
ミュラーが先ほどから気になっていたことを口に出す。
「はい、あの時のネックレスです。似合ってますか?」
無邪気な笑顔で答えるフィリーネにミュラーは心臓が一つ跳ね上がるのを感じた。
今更何故こんなに胸が高鳴らなければいけないのかと自問自答しつつも冷静を装いながら頷くと、
「でも知ってました?宇宙港で会った時も着けていたんですよ」
と、フィリーネが半ば大げさに拗ねてみせた。
するとミュラーは慌てて大きく手を振り否定の体を表す。
「いや、あの時も気づいてはいたんだ」
そう彼は彼女に会った瞬間にその胸に光るネックレスの存在に気づいていた。
いたのだが、あの時の彼にとってそんなことは正直どうでもいいことだったのだ。
「まさか貴女が出迎えてくれるなど思いもしなかったもので」
驚きと嬉しさのあまり、すっかりネックレスのことなど蚊帳の外になっていた。
素直にそう伝えるとフィリーネは笑ってくれた。
その笑顔を眩しいものを見るように目を細めながらミュラーは、今回の大きな目的の一つを実行に移すことにした。


「フィリーネ、貴女に話がある」
突然改まって話を切り出したミュラーにフィリーネの笑顔が停止する。
「話?」
「はい」
彼からいつもとは違う固いオーラが発せられるのをフィリーネは感じ、身構えた。
確かにミュラーは緊張していた。初めて戦場に出たときでさえ、これほどの緊張はしなかったのではないかと思えた。
いや、これはそもそも戦場に出るときの緊張感とは異なる別の未だかつて経験したことのない種類のものなのではないか。
そんな分析が頭をよぎり、ミュラーの中のミュラーが苦笑する。
「フィリーネ、実は・・・」
その時ミュラー本人は口ごもっていた。
想像した以上の緊張のせいか口から言葉が出てこない。
当然のごとく、彼の言葉を待つフィリーネも身構えたままだ。
ミュラーは自身を恨むしかなかった。
自分はこんなにも土壇場に弱い男だったのかと。
以前、酒に酔ったミッターマイヤーが自分の経験談を語ったことがあった。
その時のミュラーにとってその話題は笑いの種にしかならなかったし、語った当の本人も笑っていた。
しかし、いざ自分の番になってみると、とんでもないことである。
これは大変な労力を要するものではないか。
正に人生の分岐点。
それでも自分は今回ここで言おうと思っている。
結果はどうあれ、そう決めてきた。
だから・・・
「フィリーネ、私と結婚して欲しい」
あくまで男らしく年長者らしく努めようとしたが、脈は上がり、両の手からは汗が噴き出し、首筋には一筋の冷たいものが伝うのが感じられた。
しかし言い切った。
予測はしていたが、目の前のフィリーネは青い瞳を見開き、言葉を失っている。
是か否か。
その表情からそれは判断出来なかった。
それでも言ってしまえば、不安の方がより増した。
永遠であるかのような短い時が流れた。
その場だけ、まるで時が止まってしまったようである。
先ほどまで全く気にならなかった周囲の人々のざわめきや食器が擦れる音が、今はとても大きく感じられた。
そして、ようやく時が時として流れ始めたとき、フィリーネの見開かれた瞳から大粒の透明な雫が流れ出た。
それはこの極限ともいえる状態のただ中にあるミュラーにとって、何故だかこの世で一番尊い光の粒のように思われた。
「いいんですか、私で?」
表情はそのままに彼女の口だけが動いた。
ミュラーは知らず知らず彼女に見惚(みと)れていた自分に気づき、慌てて彼女の言葉を脳内で反芻した。
言葉が出るより先に首が縦に大きく動いた。
貴女でいいんだと。
貴女がいいんだと。
「本当に?」
「ええ、本当です」
やっとの思いで出した声は、そのまま彼の心の声となり言葉になる。
「貴女に私の生涯の伴侶となって欲しい。私は軍人で、いつどうなるかもしれない身の上だけど、それでも貴女がいるから私は帰ってこれる。そんな気がするのです」
「でも私は同盟の人間で・・・」
彼女の言いたいことは分かりすぎるほど分かった。
おそらくここでこういった約束をしてしまえば、国内外である程度の問題が持ち上がるのは必須である。
「フィリーネ、そんなことは分かりきっている。それでも私は貴女と共にいたいと願うのです」
ミュラーの右手が伸び、フィリーネの瞳から溢れた光の粒を優しくぬぐう。
すると、離れ行く彼の大きく暖かい手を追い駆けるようにフィリーネの手が重ねられた。
彼女はその二つの手を白い頬に押し当てると、まるでミュラーの手の感触を確かめるように頬をすり寄せ両の目を閉じた。
「嬉しい」
そして一言だけ呟き、沈黙した。
だが再びその青い瞳が開かれた時に出た言葉は、
「でも・・・」
しかしミュラーはその先を彼女に言わせなかった。
「フィリーネ、貴女の思っていることは分かるつもりだ。だから今この場で返事を欲しいなどとは思わない」
「ナイトハルト・・・」
「ただ今夜は、貴女のその言葉を聞けただけで充分だ。泣きながら嬉しいと言ってくれた、ただそれだけで・・・」
そこで一旦言葉を切りミュラーは照れたように微笑んだ。
「貴女に分かるだろうか。その一言にさえ、私がどれだけ喜びを感じているか」
とにかく否定はされなかった。
だが肯定もされなかった。
いや、おそらく彼女は肯定出来なかった。
それでも彼女の気持ちは、本心はよく分かった。
ミュラーは、それだけで充分だった。
とりあえず、今夜は。


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