はじまるもの I 







フェザーン郊外に位置するこの惑星最大級のショッピングモールは平日にも関わらず多くの客で賑わっていた。
そのほとんどは母親とその子供という組み合わせではあったが、それでも平日の日中にこれだけの集客を望めること自体、賞賛に値すると云わざるを得ないだろう。
もちろんこのモールを経営する母体は旧フェザーンのレジャー企業である。

「さすがフェザーン資本・・・」
昨日からフェザーンでの公務に勤しんでいたフィリーネ・フォン・リーゼンフェルトは、仕事の間隙を縫って1人このショッピングモールで過ごしていた。
思わず漏れた言葉は、ここを初めて訪れた外部の人間なら誰でも口にする一言であろう。
それにしても、ゆっくりショッピングを楽しむなど何年振りのことだろう。
最後にショッピングに勤しんだのはいつのことだったか。
彼女の中でその最後の記憶は遠い彼方の出来事のように思えた。
「ホント、仕事ばっかりだったのね、私」
今まで雑誌でしか見たことがなかった流行りの衣類やアクセサリーが並ぶショップの数々を覗きながらフィリーネは、そんな自分に呆れた。
そして、ショップに備え付けられた鏡を覗き込めば、実は今も軍服姿な自分を発見し、再度呆れる。
時間がないからと自らに言い訳しつつの軍服姿なのだが、これが少しでもお洒落心を持っていれば違うのだろうかなどと考えながら。
と、覗き込む鏡越しにまだ幼児といっていい年代の男の子が1人で歩いているのが目に入った。
それは行き交う人波の中の一コマと云ってもいいくらいありふれた光景ではあったが、何かフィリーネの心に引っ掛かった。
ほんの少しだけいつもの定位置からずれていた軍用ベレーを急いで普段あるべき場所に戻すと、くるりと男の子の方に向き直り後を追いかけた。
さりげなく男の子に追いつき、追い越すと視界の端っこで彼を盗み見る。
男の子は今にも泣きそうな顔をしていた。
(迷子だ)
直感的にそう悟ったフィリーネは声を掛けた。
「君、お母さん<ムッター>はどうしたの?」
子供の視線まで腰を下ろし問いかける彼女にその幼児はただかぶりを振るだけだった。
「はぐれちゃった?」
男の子は黙って頷いた。
その青い瞳からは今にも涙が零れそうである。
フィリーネは彼を安心させるかのように小さな頭を優しく撫でてあげ、
「お姉ちゃんと一緒に捜そうか」
と微笑んだ。
半べそ顔が首をコクンと一つ縦に振った。
「よし、じゃあそうしよう」
フィリーネはさてと男の子の手を取った。
まずは本人なり母親なりの名前を聞かねばなるまいと思い問うてみる。
「フェリックス・・・」
母親の名前はエヴァというらしい。
姓は分からなかった。
昔イゼルローン要塞にいた頃、ごくたまに巨大な要塞内部で軍用施設に迷い込んで途方に暮れる子供達を何人か保護したことがあった。その際は一般区に案内してやると、大体の子供達は無事に帰路につくことができた。そうでない子供達は艦内放送に頼った。
ましてここは商業施設である。
フィリーネは館内放送はお手の物だろうと男児の手を引いた。
道中、昔そうしてやったように彼女はフェリックスが不安がらないようにと、取り留めのない話をする。
「フェリックスくんはいくつなの?」
彼女の腰の位置で三本の指が不器用にかざされる。
「そうかぁ、3歳かぁ。お姉ちゃんもその頃迷子になったことあるなぁ」
それは確かに真実だった。
ハイネセン市街地のデパートで両親とはぐれてしまい、煌びやかな館内を泣きながら歩いた記憶が思い出される。
幼い記憶のほとんどが忘却の彼方になってしまった今でも、華やかで賑やかなデパートの風景と、それとは真逆の自身の恐怖と不安は忘れることが出来ない。
「でもね、お母さん<ムッター>すぐに見つかるから大丈夫だよ」
その言葉も確かに真実である。
あのときも店側に保護された自分をすぐに両親は見つけてくれた。
ふとフィリーネはある思いつきをした。
「ね、お姉ちゃん抱っこしてあげるから、お母さん見えたら教えて」
フェリックスの同意を得るか否か抱き上げた。
抱き上げた幼児の小さな身体は、その重みに比例するかのように暖かく柔らかだった。
これで少しは彼の視界も開けたはずである。
「見えるかな−?」
フェリックスがその言葉に呼応するかのようにキョロキョロと辺りを見渡した。
と、フィリーネの耳に後ろから駆けてくる女性と思われる靴音が聞こえてきた。
彼女には直感めいたものが働き、その靴音は自分たちを目標にしているだろうことが分かった。
フェリックスを胸に抱いたフィリーネが振り返る。
「お母さん<ムッター>!!」
途端に胸の中の男児が叫んだ。
「フェリックス!!」
靴音はやはり女性で目的は自分達だった。
そして女性はこの幼児の母親であるらしかった。
「お母さん見つかって良かったね」
肩で息をし、駆け寄る女性にフィリーネはフェリックスを手渡した。
「迷子になってしまったようで」
「ええ。ちょっと目を離した隙に何処かに行ってしまって」
と頭を下げた女性はクリーム色の髪とすみれ色の瞳を持つフィリーネより年上の、だが可愛らしげな母親だった。
エヴァンゼリン・ミッターマイヤーである。
このときフィリーネはまさかこの母親と子供が帝国軍元帥ウォルフガング・ミッターマイヤーの妻子であるとは思いも寄らなかった。
「本当にありがとうございます」
母親と出会えた安心感から泣きじゃくるフェリックスをあやしながら顔を上げたエヴァは、あらっという表情をした。
フェリックスと離ればなれになる少し前にこの同盟軍士官を見かけていたからだ。

エヴァはこのショッピングモールに朝一番に出かけてきた。
育ち盛りのフェリックスの衣服を見繕う為だ。
そして、広い店内を見て回る内に、とあるショップに差し掛かった。
何気にそこのショーウィンドウに魅入る同盟軍の制服を着た若い女性に目がいった。
終戦して数年、ここ最近、帝国領であるフェザーンでも同盟軍の軍服を着た人間を見ることは珍しくはない。
エヴァもその光景には慣れてしまった。
だからむしろ、この時の彼女の関心は女性兵士が魅入るショップに対してであった。
そのショップは、20代前半の女性に絶大な指示を得る旧フェザーン資本のアクセサリーブランドのフラッグショップだった。
大きなガラス越しに今期彼のブランドが一押しするアクセサリーが、そのコンセプトの下、華やかに美しくディスプレイされている。
いつの時代も、どこの世界でも、女の子の興味は同じ方向を目指しているらしい。
それに魅入る女性を見ながらエヴァは、自分もこの年代の頃このブランドに憧れを持ったなと、懐かしさに1人微笑んだ。
通り過ぎる瞬間、ディスプレイウィンドウに映る女性の容姿がチラリと見えた。
磨き込まれたそれに映る彼女の青い瞳が印象的だった。
(右端のネックレスが似合いそう)
思うとも無しにそう思った。
それはプラチナ台に女性の瞳の色と同じ真っ青なブルーサファイアをあしらったものだった。
エヴァはそれを着けた女性を想像して1人自分の想像力に満足した。
そして、それにしてもと彼女は思った。
(あの青い瞳・・・)
何故か脳裏に強く焼き付いた鮮やかな青だった。

「どうかしましたか?」
目の前の女性士官の声にエヴァは我に返った。
「あ、いえ」
と笑顔を作ると、青い瞳の士官はではお気を付けてと背を向けた。
慌ててその背に向かい名前を尋ねるが、士官は急いでいるのかそのまま足早に立ち去ってしまった。
黒いベレーと軍服が瞬く間に遠ざかっていった。

この時点で、エヴァンゼリンとフィリーネは他人であり、お互いの人生の中で通りすがりの一個人でしかなかった。
この先、お互いが深く関わることになるであろう事など、想像だにしていない。


<END>


新章突入です。IとIIの順番をどうしようかと迷ったのですが、とりあえずこうなりました。後日変更とかなってしまったらすみません(汗)

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