薄明の果てに III (7)







元貴族の邸宅だという屋敷を改造したそれは旧都オーディンでも1、2を争う高級なホテルだった。そしてその高級ホテルは今、遠くバーラト星系からやってきたゲスト達の滞在先になっている。
ホテルエントランスに一台の民間仕様のランドカーが到着した。
ここ数日間そのエントランスで宿泊者を迎えるのは、ホテル勤務のベルボーイではなく帝国軍の兵士達だ。
到着したランドカーに兵士が近寄った。
それは言わずもがなホテルに入る客の身元確認をするためだ。
兵士達はここを訪れる客に対して最低でも高圧的な態度を取らないようにと厳命されていた。出来うる限りの笑顔と親切心を持ってとも命ぜられていた。
だから、ランドカーに近寄った兵士は慣れない営業スマイルに四苦八苦しながら、車内を覗き込んだ。
しかし、その笑顔は車内の人物を確認した途端に激しく打ち消される。
(軍務尚書閣下!!)
彼は心の中で叫んだ。
思いも掛けない人物の登場にノド元が大きく上下し、慌てて取った敬礼は無様なものだった。
「すまないが中に入れてもらえないだろうか」
若い兵士の緊張の極みを別段気にする風でもなくミュラーは、いつもの柔和な物腰で願い出た。続けて自分たちが到着したことをハイネセン一行に伝えて欲しい旨を願い出る。
彼の真摯な願いに首を横に振ろうなどという暴挙に出れるはずもない兵士は一目散にホテルフロントに向けて走り出した。
そんな兵士の行動を訝しげに見守っていた他の兵士達も、ランドカーから降りてきた人物の姿が誰であるかを知り得た瞬間に一斉にその身を固くする。
(どうして軍務尚書が・・・それも民間のランドカーで)
その場にいた全員が同時に思ったことである。
ミュラーは、敬礼し動くことを忘れたかのような兵士達の見守る中で助手席側のドアを開けてやる。
車内で一連の出来事の一部始終を見ていたフィリーネが多少困惑した面持ちで降り立った。
ミュラーを見上げる瞳には戸惑いの色が明らかに見て取れる。
彼は大丈夫というように彼女の背に手をやり、ホテル内に案内した。

ホテルのフロント前には広大なロビーが存在していた。
そこでミュラーとフィリーネはハイネセン一行の誰かが降りてくるのを待った。
その間に、急な軍務尚書の来訪を告げられた警備部隊の隊長とホテルの責任者が慌てて挨拶に来た。
そんな彼らにミュラーは職務の労をねぎらい、丁寧に急な来訪の謝罪をした。
そして彼らと入れ違いにハイネセンから来たゲストが2人降りてきた。
ユリアン・ミンツとフレデリカ・グリーンヒル・ヤンだ。
彼らが互いに挨拶を交わすと、ミュラーは事の簡単な経緯を説明し、遅くなってしまったことを詫びた。しかし彼は、意図的に帰りの車内での一件は伏せた。言ってはいけないような気がしたからだ。
「お疲れでしょうから早くお休みになったほうがいい」
ミュラーが気遣わしげにフィリーネに言葉を掛けると、彼女は無言でこくんと首を縦に振った。
こんなときの彼女が本当に疲れていることを経験で知っているフレデリカが共に辞する旨をミュラーとユリアンに伝えると2人はさもありなんと頷き快く送り出してくれた。

去り際にフィリーネは彼女が今持ち得るだろう最大の気持ちを込めて頭を下げた。「今日は本当にありがとうございました。そして色々とご迷惑をお掛けしてしまって申し訳ありませんでした」
言葉を贈られたミュラーはそれに対して柔らかな笑顔で答える。
「いえ、こちらこそ久しぶりに有意義な1日を過ごさせてもらえましたから、どうかお気になさらずに」
そして、ロビーにはミュラーとユリアンが取り残される形となった。

「それにしても1人で街に出るって聞いたときも驚いたけど、ミュラー元帥と一緒だと聞かされたときはもっと驚いたわ」
エレベーターの中でフレデリカが呆れたように言った。
「すみません」
フィリーネは恐縮して小さく頭を下げる。
「でもお仕事も忙しいでしょうに、良い人なのね」
言いながらフレデリカは、亡き夫ヤン・ウェンリーが彼を高く評価していたことを思い出していた。
「まさかあんなことになるなんて思ってもみなかったので、色々とご迷惑かけてしまって」
あんなことの中には車内での一件が含まれている。
あの後ミュラーは彼女が落ち着きを取り戻すまで、ただ黙って見守っていてくれた。
そして彼女が落ち着き、それを合図とするかのように渋滞が解消されても彼はそれについて何も触れはしなかった。
フィリーネは私人として初めて対面した彼に見せてしまった自分の醜態に羞恥の気持ちを覚えるのと同時に、彼のその態度がとても嬉しく心地良いものに感じられた。
「本当に。今度お会いしたときにもきちんとお礼を言うのよ」
何も知るはずがないフレデリカがまるで母親のような口調でフィリーネを諭すように盗み見る。
フィリーネは黙って頷いた。


「本当に申し訳ありませんでした。お仕事もお忙しいでしょうに、色々とご迷惑をお掛けしてしまって」
エレベーターの中の女性2人の会話がそのまま伝わったかのようにユリアンは深々と頭を下げた。
「いえ、どうぞお気になさらずに」
ミュラーは笑顔でその丁重な礼に対して無用の意を口にした。
「しかし」
ユリアンは心底申し訳なさそうな表情を崩さない。
「本当にお気になさる必要はないですから。先ほども申しましたように、これは私が言い出したことなので、非があるとしたら私の方なのかもしれませんし」
砂色の瞳が、どうにかユリアンの憂えを表情を消そうと緩められる。
しかし、ユリアンはミュラーの職責がどんなものか知ってるし、明日に向けての今日とがどういう日であるかというのも知っている。ひょっとしたら、彼がいなければどうにもならないこともあるかもしれないのだ。
世の中には謝罪して済むことと済まないことが存在する。
そんなことは今まで嫌というほど思い知らされてきた。
だから彼は必死になった。
そんな彼を見ていたミュラーが諦めたように大きなため息をついた。
「でもヘル・ミンツ。今日は私にとっても有意義な1日だったのです」
年長者らしい落ち着いた笑顔でそう語る彼にユリアンははっとなる。
「ここのところずっと仕事漬けで、正直、外界には風景なんていうのがあるのも忘れてましたから」
ミュラーは照れたようにそう続けると、頬を数回人差し指で掻いた。
「それに・・・」
あの涙。
それまで彼の中でフィリーネは、その強い瞳同様女性ながらも気丈な、まして人前で涙を見せるなど想像も出来ない同盟軍の一士官でしかなかった。
しかし、今日出会った様々な表情の彼女は、その彼のイメージを根底から覆した。
ミュラーはユリアンをじっと見た。
2年前のイゼルローンでの光景が蘇る。
彼女とユリアンのどこか密接的な親しげな光景が。
(彼になら言ってもいいかもしれない)
彼の思考がそう判断した。
「泣かれました」
静かにそう切り出した。
その言葉にユリアンはえっとなる。
「フロイデンで過去の様々なことを思い出したようで。帰りの車内、泣いていました」
ミュラーの脳裏にあの時のフィリーネが生々しく思い起こされた。
それは知らず知らずのうちに彼に苦悩の表情を刻ませる。
言葉が途切れ、少しの沈黙が2人の間に降りた。
「彼女が、泣いたのですか?」
ユリアンがゆっくりと、確かめるように口を開いた。
その口調は内心彼自身が驚くほど、怖れと衝撃に満ちたものだった。
そんな彼の心境を知るはずもないミュラーが黙ってうなずく。
ユリアンは自分の中で何かが音を立てて壊れるのを感じた。
(とうとうこの日が来てしまった!)
彼の中の深い場所でもう1人の彼が叫んだ。
「確かに彼女のイメージからは想像出来ないかもしれませんが・・・」
(そうではない)
もう1人のユリアンが激しくかぶりを振った。
「彼女は確かに泣いたのです」
(それが貴方の前でだったというのか)
現実のユリアンの心の声ともう1人のユリアンのそれがシンクロした。
それが何を意味しているのか事の張本人であるフィリーネにも、その場にいたミュラーにも分からないだろう。だがユリアンは知っている。いや、正確には予測していた。
今、ユリアンには大切な愛する人がいる。カーテローゼ・フォン・クロイツェルだ。
だが遠い過去、彼はフィリーネに対してほのかな思いを抱いていた時期がある。その思いはあくまで彼の一方的なものに過ぎず、彼が子どもから少年へ成長する過程において自然消滅のような形で薄らいでいったが、それでも彼女は彼にとって大切な存在であり、おそらくそれは彼女にとっても同様だ。
何故なら、他の誰にも見せないだろう表情を彼女は自分にだけは見せてくる。そんな自負がユリアンにはあった。
しかし、そんな彼でさえ、引き出せない彼女の奥深くに眠るもの。
それが彼女の涙だ。
彼女はユリアンが知る限り、例えどんなことがあっても、誰の前であっても決して涙を見せなかった。自分の前であってさえも。
何時の頃からか彼は、フィリーネが涙を見せる相手が彼女の大切な存在になるだろうと想像していた。そして彼は、そんな自分の未来予測に密かに期待しつつ、怖れてもいた。
たぶん、今この時が自分が怖れ望んだ瞬間なのだ。
そう思わざる得ないユリアンがそこにはいた。
「アルフレート・・・というのですか?彼女の大切な人は」
ミュラーが口に出した意外な人物の名前にユリアンは我に返った。
多少混乱気味の頭と心を急速に落ち着けように努力したユリアンはミュラーに頷いてみせた。
「アルフレート・フォン・フェーリンガー。帝国からの亡命者の子弟で、アムリッツァで亡くなってます。聞いたのですか?彼女から」
砂色の頭が小さく横に振られた。
「いえ、話してくれたわけではありません。彼女が泣きながら口にしたのです、その名前を。彼との約束を」
「そうですか・・・」
そこで会話が途切れた。
2人の間に再びの沈黙の時が流れる。

どのくらい経った頃だろうか。
ミュラーの携帯ビジフォンが振動した。
彼は失礼と手でユリアンに合図し、その回線を開いた。
そしていくつかの短いやり取りの後、もう行かなければならないと席を立った。
ミュラーの背を見るユリアンの脳裏に一つの疑問が浮かび、気づいたときにはそれを投げかけている自分がいた。
「ミュラー元帥は、何故僕に・・・いえ、私に彼女が泣いたことを言おうと思ったのですか?」
「わかりません」
ミュラーは砂色の瞳に柔和な笑みを浮かべ、小さく諸手を挙げた。
「しかし、貴方になら話しても良いような気がしたのです」
「僕になら・・・」
「はい。それと、貴方には話しておいた方が良いような気もしたのです」
ミュラーはそう言ってしまってから少し考え込んだ様子をみせた。
(まるで牽制してるような言い方だな)
彼は内心苦笑した。
苦笑しながらも、おそらくその考えは間違っているという直感めいた感覚を覚えていた。
きっとこの言葉は言葉のままだろうし、ユリアン自身もそのままに受け止めてくれるに違いない。そう思った。
その証拠に彼はミュラーの答えに納得したような表情をしてくれている。
「そうですか」
実際、ユリアンはその返答に納得し満足した。同時に彼とミュラーに新たな信頼関係が出来つつあることを実感した。

ホテルのエントランスに並んで出てみると、既にそこにはもう帝国軍の公用車と思える黒塗りのランドカーが待ち構えていた。
運転手らしい兵士がミュラーを見かけると敬礼してきた。
ミュラーはその兵士に対し答礼すると、ユリアンに別れの挨拶をし握手を求めてきた。
ユリアンも快くそれに応じた。
こちらに背を向け迎えの車に乗り込もうとする帝国軍元帥に対して、彼は迷いつつも思い切って聞いてみた。
「フィルを、いえ、大尉を元帥はどうお思いですか」
ミュラーが一瞬驚いたような表情を覗かせた。
当然かなとユリアンは彼の言葉を後悔する。
だが、すぐにこの元帥は目を細め、彼の求めに応じた。
「良い方だと思います。でもこれ以上は、今は答えないでおきましょう」
ユリアンは改めて、フィリーネとこの元帥に新しい扉が開かれていくのを感じずにはいられなかった。

<END>


やっと終わりました。といっても一段落ついただけですが。
しっかり「IV」あります(笑) 
しかし、何気にユリアンがかわいくて仕方ありません。

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