薄明の果てに III (5) 







フロイデン行きを決めたミュラーの対応は早く、フィリーネはさほど待ったと思うまもなく彼が手配してくれたランドカーの助手席に座っていた。
そしてそのランドカーは軍用でもなければ帝室所有のものでもない一般のありふれたものだった。
フィリーネはこうしたミュラーの采配と気遣いに好感を持った。
そんなミュラーは今彼女の隣の運転席にいて、オートドライブにするための目的地設定に集中している。
白い夏用のシャツに黒のパンツ。これらは全て軍服の一部である。
おそらく、軍服の上着と元帥用ケープを着けていなければ帝国元帥などとわからないに違いない。それほどに今のミュラーは普通の青年の表情をしている。
この場を通る誰かが自分たちを見ても、ただの帝国軍人と一般人がドライブに出かける準備をしているくらいにしか思わないだろう。
そのギャップを想像したフィリーネはクスリと小さく笑んだ。
「どうかしましたか?」
それまでナビに集中していたミュラーが反応する。
「いえ、少し想像してしまって。まさか、ここにこうしているのが帝国軍元帥と同盟軍士官だなんて誰も思わないだろうなと」
目を細めてそう言ったフィリーネに対してミュラーは少し考える仕草をした。
が、あっさりとそれに納得したらしく、
「なるほど、そうかもしれませんね」
と彼もまた目を細めるのだった。

ランドカーを走らせてどのくらい経った頃だろうか。
運転席に座るミュラーの隣の助手席から小さな寝息が聞こえてきた。
見ると、先ほどまで窓外を流れるオーディンの風景に魅入っていたフィリーネが夢の世界の住人になっていた。
(疲れているのだろう)
フィリーネを含むハイネセン一行は約1ヶ月の行程を経てフェザーン経由でオーディンに昨夕到着したばかりだ。
そんな彼女の寝顔を見ながらミュラーは、先ほどのエンゲル家での光景を思い出していた。

毎回のように姉のマルガリータに自宅内のリビングに案内されると、ソファに見慣れない若い女性が座っていた。
事前に姉から事情を聞いていたミュラーはそれが件の人物だと即座に理解した。
まずは挨拶をしておこうと口を開きかけた瞬間にその女性は自分の名前を軍の職責付で呟くように口に出した。決して軽くはない驚きをもって。
が、ミュラーには見に覚えがない顔だった。
どこかで会ったことがあるだろうかと急いで記憶の引き出しを片っ端から開け始めた。
彼は職務上、顔写真入りで軍の広報だったり一般の新聞だったりのメディアにも登場することもあるし、もちろん軍内部では有名人だ。だから彼は知らなくとも彼を知る人物は決して少なくはないだろう。
そういった類で自分を知る人物なのだろうかとも思った。
だが、記憶の引き出しの1つで彼は立ち止まった。
(フィリーネ・フォン・リーゼンフェルト大尉)
その瞳が非常に印象的だった1人の同盟軍士官の名前が彼の頭に浮かぶ。
思わず階級付で呼びそうになったその名前をフロイラインと言い換えた。
全く気づかなかった。分からなかった。
というより、この幸福な一般家庭を絵に描いたような光景に存在する彼女と戦場で軍務に励んでいた彼女の姿が全く結び付かなかった。
そもそもミュラーは当然のことながら私人としてのフィリーネを知らない。
同盟軍の黒い軍服に黒いベレーをかぶり、長い金髪を後ろできりりと結んだ女性士官である彼女しか知らなかった。
(こんなに違うものなのか・・・)
長い金髪をそのままに、借り物であろう大きめのTシャツとジャンパースカートにその身を包んだ彼女は、この平和な光景の中にすっかりなじんでいる。
子ども達にも懐かれ微笑むその姿はミュラーが知るフィリーネ・フォン・リーゼンフェルトとは全く別人のようだった。
しかし、そのすぐ後に彼は初めて会ったときに印象的だった、ラインハルトによく似た瞳に再び出会うことになった。
それは彼が子ども達を叱った際にである。
子ども達をかばうように、ミュラーに己の意見を毅然と言い放った瞳。
それはまさしく彼が初めて彼女と会ったときにしていた瞳の表情であった。
その時に彼は改めて彼女がフィリーネ・フォン・リーゼンフェルトであると思い知った。

そんな彼女は今、ミュラーの隣で穏やかな寝息を立て眠り続けている。
エンゲル家を出た道すがら彼女が話した彼女の過去。
そういったものがあの彼女の強い瞳を形成してるのだとしたら、戦争とはやはり忌むべきものなのだ。
ミュラーは改めてそう実感せざる得なかった。
そして、彼女には子ども達と戯れていたときのような表情をいつでもしていてもらいたいとものだとも思った。
「お似合いなんじゃない?」
ふとミュラーの脳裏にマルガリータの一言が蘇った。
再度の姉の言葉の浮上に彼は激しくかぶり振った。
(そんなことあるわけがない)
それに対して、先ほどと同じ答えを彼は繰り返す。
万が一、そういう想いを持ち、それが例え成就したとしても、まずは公に認められるはずがないではないか。
自分は帝国において重責を担う1人であるし、彼女もまた同盟国内において必要とされる人物の1人である。
長い戦争が終結して、それが恒久的な平和であれと願い人々が日夜粉骨砕身している現在、国をそんなちっぽけな私事に巻き込めるわけがない。何故なら、それは最悪、国内はおろか外交問題にまで発展してしまうかもしれないからだ。
ゴールのない恋愛ほど苦しいものはない。
ミュラーはそう考える。
そして、そこまで思考を及ばせながら彼は自嘲した。
(まだスタートさえしてないのに)
それにしても昔からなのだが、彼は姉の言葉によく踊らせられる。
事実今もまた、始まってさえもいない関係の将来に想いを馳せ懸念している自分がいる。それはおそらく始まりさえ有り得ない関係に違いないのに。
ミュラーは自分の馬鹿な懸念を強く追い払うと、後部座席から自分の軍服用ケープを手に取り、静かに彼女に掛けてやった。




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