夜明け V (1)







宇宙暦801年、新帝国暦3年7月26日。
ローエングラム王朝初代皇帝ラインハルト・フォン・ローエングラムの容態は急激に悪化した。
イゼルローン軍司令官ユリアン・ミンツは、その報を滞在するホテルにて受け、彼に付き従ってフェザーンへと赴いている者達と共に急ぎ仮皇宮へ駆けつけた。
そんな中、フェザーン各地において爆破テロが起こり、彼らがいるこの仮皇宮へもテロリスト達の魔の手が伸びていた。

仮皇宮内のあちこちで銃声がする。
事の重大性を察したユリアン、アッテンボロー、ポプランは彼らに与えられた部屋を飛び出そうとしていた。
それにならいカリンとフィリーネも飛び出そうとする。
「君たちはここにいて」
ユリアンは彼女らを制止した。
「でも!」
女性2人が抗議の声を上げた。
「わざわざこんな日を選んで来るなっていうの」
そんな抗議の声など耳に入らないのか、ポプランは見えない相手に対して文句を言った。
「とにかくお前等2人は足手まといだ。ここでおとなしくしてろ」
アッテンボローはそう言うと部屋を飛び出した。
ユリアンは部屋に取り残される2人に大丈夫だというように黙って頷くと、ポプラン共に彼に続いた。
部屋にはフィリーネとカリンだけが取り残された。
出て行ってしまった3人もそうだが、残された2人も丸腰だ。
「そんなこと言ったって、もしここまで侵入者が来たらどうするのよ」
カリンが閉じられた扉に向かってぼやいた。
その彼女の不安は当然のことで、フィリーネもそれには同調した。
「でもユリアンも言ってたけど銃声はまだ遠いわ。それにここにまで大挙して来るようなことにでもなれば・・・」
その先を言うことはフィリーネには憚られ、あえて口を閉ざすことにした。
「でも・・・」
と外の様子を伺おうとしたのだろうカリンが窓際に寄っていく。
「カリン!」
フィリーネの叫びが早いか、身体が動くのが早いか判別できないくらい瞬時に、彼女はカリンの身体全体にのし掛かる形で飛び出した。
そして2人が重なって倒れる瞬間にいくつかの銃声が鋭く響いた。窓ガラスが飛び散り、倒れた2人にそれは容赦なく降り注いだ。
カリンは一瞬何が起こったのか分からなかった。しかし遠いような近いようなどこかで銃声が聞こえたのは認識できた。
「危ないって・・・」
カリンの頭上から聞き慣れた声が響いた。
その声と自分にかかる重みに彼女は、フィリーネが自分に飛びかかってかばってくれたことに初めて気づいた。
今の銃声と窓ガラスが割れる衝撃音。
それだけでも今し方自分たちに起こったことが何であるか分からないカリンではない。そして、自分にかかるフィリーネの身体の重み。
最悪の結末がカリンの脳裏をよぎり、慌てて身体を起こそうした行動はフィリーネの声で中断される。
「待った。身体が破片だらけ。静かに起きて」
カリンの背中にかかっていたフィリーネの重みが静かになくなった。
「この状況で、もろに窓際に立ったら危ないって習わなかった?」
自分の身体の破片を払いながらフィリーネがカリンの手を取った。
彼女の暖かい手を取りながらカリンは、そういえば聞いたことがあったかもしれないと当時の講義風景を思い出し小さく頷いた。
「ごめん・・・なさい」
うつむいてそれだけ言うのがやっとだった。
もし今の自分たちの行動のタイミングが少しでも違っていれば大変な事態になっていたことは間違いない。しかも自分ならともかく、自分をかばったフィリーネが最悪の結末の当事者になっていたら。
自分は今とんでもないことをした。心底そう思った。
「流れ弾・・・だと思うけど、ちょっと外の様子見てくる」
「私も!」
弾かれるように顔を上げ、同行を願い出た。
しかし、そんな言葉は即座に否定される。
「いや、カリンはここにいて。少しそこまで様子を見てくるだけだから。もしかしたら、帝国軍の兵士に何か情報を聞けるかもしれないし」
フィリーネの予測ではおそらくここまでの敵の侵入はない。本当に不幸な偶然で流れ弾がこの部屋のこの窓を打ち抜いただけだ。それに仮にもここは銀河帝国皇帝が養生している館。守っているのも皇帝<カイザー>に忠義の限りを尽くさんとする精鋭ばかりだろう。だから未だここは安全。そう踏んだ。
それに今の状況が知りたい。何のために何が起こっているのか。これは誰の仕業なのか。実際の騒動の状況も。
「私の勘だけどここは安全。今のようなことはないと思う。だからお願い」
カリンはフィリーネをよく知っている。その人となりだけではなく、軍人として優秀だということも。
だから渋々ながらも素直に頷いた。
この納得の裏には先ほどの恐ろしい出来事も一翼を担っている。自分の意気込みとは裏腹に生身で危険にさらされることの多大な恐怖を知った。そしてその恐怖は今もまだカリンの全身を支配している。会話しながらも全身が小刻みに震えているのを自身で嫌というほど感じている。
そんなカリンに気づいたフィリーネは彼女を安心させるために笑顔を作ろうと努力した。そして優しく言葉を掛けた。
「大丈夫だから、ね」
カリンはこれにも黙って頷いた。
それを確認したフィリーネもまた大きく頷き、部屋を後にした。
しかし恐怖に半ば取り憑かれているカリンは気づけなかった。
優しい声で柔らかな笑顔を向けたフィリーネの白皙の頬に鮮血が滲んでいたことに。




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