夜明け V (2)







部屋の外に出たフィリーネはまず辺りの様子を伺った。
しかし、おそらくここではない遠くから銃声と人声が聞こえてくるものの、館内はシンと静まりかえっている。どうやら無粋で不躾な侵入者達の泥靴の足跡も未だ中までは及んでいないようである。
そう判断したフィリーネは全くといっていいほど知り得ない館内に歩を進める。こんな事件でも起きなければ、自由に歩き回ることなど許されないだろう仮皇宮。平常時に他国のそれもつい先日まで敵対していた自分が歩き回っているなんてことが見つかれば、その場で人生が終わってしまっても文句は云えないだろう。
「皆、外に出払ってる?」
そんな独り言を呟きながらも、慎重に進む。
先ほど敵はいないと判断したが確認したわけではない。どこでどのような事態に巻き込まれるか皆目検討など付かないのが本音だ。まして今の自分は丸腰。後ろからいきなり頭を打ち抜かれる可能性だってゼロではない。

長い廊下の先にホールと覚しき空間が目に見えた。
廊下の壁に背中を密着させ、出来るだけホールから自分の姿が見えないようにそこを目指す。
緊張してるのか嫌な汗が背中を伝い、軍服のジャンパーの下に着たシャツを濡らしていくのが分かった。壁を背にしたせいで、それが見事に身体に張り付いていく。
はっきりいって気持ちが悪い。しかしそんな不満を漏らしているヒマはない。
(あと少し・・・)
そう思ったフィリーネはとっさに緊張の度合いを高めた。
気配を押し殺す。
(誰か・・・来る・・・)
今自分がいる通路を抜けた先、左側。
敵か味方か分からないけど、まずはそれと対峙したときの心の準備をする。
(どうか敵ではありませんように!)
誰かも分からない相手に祈った。
頬を汗が伝う。
いや、汗ではない。血だ。
そのとき初めてフィリーネは自分の頬から血が流れていることに気づいた。
そう思ってみると、身体のあちこちが小さく痛みを発している。
さっきのガラスのせいだ。あの際に所々切ってしまっているらしい。
(こんなこと今気づかなければいいのに!)
昔から後悔というものは先に立たないというのが現実だ。
フィリーネは痛いという現実を感じるのをやめることにした。
だからといって痛みが引くわけではないが、出来るだけ思考の最後尾に持って行くように努力を始める。
そんなことをしているうちにも気配がする位置に近づいた。
敵とも味方ともつかないが、とりあえず先方に気づかれないように気配を殺し、背中を更に壁際に押しつけた。
足音が近づいてくる。
(1つ・・・2つ・・・3つ?)
聞こえてくる足音の数を数える。どうやら向こうは3人のようだ。
(どうか敵じゃありませんように!)
そう思うが早いか攻撃態勢で飛び出した。
と何も思う間もなく、手首を掴まれた。
掴まれた手首の痛さを感じるより早く、眼前にブラスターの銃口が広がった。
(撃たれる!)
瞬間に死を覚悟し、きつく両目を瞑った。
しかし、銃声は聞こえなかった。
「貴女は・・・」
閉じられた瞳からではなく耳から入る聞き覚えのある声。
恐る恐る目を開いてみれば、見覚えのある青年が自分にブラスターを向けていた。
「ミュ・・・ラー提督?」
数週間前にブリュンヒルト内で会話した青年提督の顔が視界に広がった。
その表情は、緊張の為か驚きの為か固くこわばっている。
おそらく自分も同じ表情をしているだろう。そんなことをフィリーネを思った。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
両者とも二の句が継げない。が、それは彼の部下らしい兵士の指示を仰ぐであろう「閣下」という声で緩和された。
気づけば3つの銃口がフィリーネに向けられていた。
「貴女でしたか・・・」
最初に口を開いたのはミュラーである。
彼は心底ほっとしたようなため息と共に銃口を降ろし、部下にも視線で銃口を降ろすように指示した。
それから、きつく掴んだフィリーネの手首を解放した。
「すみません。出歩くのはどうかと思ったのですが、外の様子が気になって・・・」
フィリーネは彼に掴まれた手首をさすりながら、事実を述べた。
「分かります。しかし・・・」
そう言いながらフィリーネに改めて視線を送ったミュラーの砂色の瞳がはっとなる。
「ケガをしているのですか!?」
「あ、これは・・・はい」
自分自身先ほど気づいた頬の傷に手をやる。と、指先に冷たく何とも形容し難い感触を覚えた。
そんな感触を覚えた指先に目線を送ると赤い液体が確認された。どうやら未だ出血は止まっていなかったようである。
「さきほど、流れ弾・・・だと思うのですが、それで窓ガラスが割れて・・・」
「では、被害を被ったのは貴女方がいた部屋なのですね?」
「はい」
「いえ、流れ弾で被害が出たらしいという報告を受けまして、今確認のためにこちらに来た次第なのです」
そう経緯を説明すると、ミュラーは部下に手当の用意をするようにと手短に命を下しし、ホールに点在していた中の手近にあるソファーを薦めた。
フィリーネは素直にそのミュラーの言葉に従い、ソファーに腰をかけた。
正直、この短時間で精神力を相当消耗した。軍に入隊を決意してから、訓練も実戦も経験してきたが、これほど消耗することはなかった。人というものは実際に心身ともに危険にさらされることによって、こんなにも消耗してしまうものなのかと今更ながらに実感するのを否めなかった。
と、そこでフィリーネは部屋にたった1人残してきたカリンの存在を思い出した。
部屋を出るときはあまり話すことは出来なかったが、相当の恐怖を体験したはずである。おそらく今も誰もいない部屋で恐怖に震えていることだろう。
何事か連絡を取り合っているミュラーの通信が終わるのを待ち、その旨を彼に伝えた。するとミュラーは、部下を1人迎えにやらせるからとりあえずここにいるといいと言ってくれた。

フィリーネはほっと安堵の吐息をもらすと、ソファに身を任せた。
先ほどの嫌な汗が嘘のように引いていくのが実感できた。
すると、目の前に白いハンドタオルが差し出された。
タオルを持つ人物に視線を向ければ、それはミュラーである。
そのタオルの意味が分からず受け取るか否か逡巡していると、彼は片膝を折ってフィリーネの目線より少し下の位置に跪いた。
「とりあえず近場から拝借してきました。消毒というわけにはいきませんが、これで頬の傷を押さえるといい」
そう言って、自らタオルをフィリーネの頬に当ててくれた。
フィリーネはミュラーのその行動に心から恐縮し、慌ててタオルの持ち主を自分に変更する。
その彼女の行動が可笑しかったのか何なのか、ミュラーは小さく笑みを浮かべ、
「軍人とはいえ、女性の顔に傷が付くのはいいこととは思いませんから。まして、帝国内でそのようなことになったとあっては気分のいいものではありません」
と述べた。
砂色の瞳と青い瞳が一瞬交錯し、フィリーネが何かを言おうと口を開きかけたとき、聞き慣れた声が鼓膜を打った。
「大尉!」
カリンだ。
彼女はフィリーネの無事な姿を確認すると、護衛するように案内してきた帝国軍の兵士をあっさり抜き去り、走ってフィリーネの側に駆け寄ってきた。
「1人にしちゃってごめん」
フィリーネはそれだけ言うと、ソファに腰掛けた状態でカリンと抱き合った。
ミュラーはそれをきっかけに立ち上がり、再び何事かを部下に命じる。
その表情は、もはや先ほどの笑顔は微塵も感じられない彼の本職である帝国軍上級大将のものであった。

「あの・・・ありがとうございます」
見上げる格好になりながらフィリーネはミュラーに礼を述べた。
その言葉に対してミュラーは無言でかぶりを振ると、この場所は今のところは安全であるからここにいるようにと言い、更には護衛の兵を1人置く旨のことを付け加えた。
フィリーネとカリンは、そんな彼に再度礼を述べた。
「では、失礼かとは思いますが私はこれで任に戻らせていただきます」
ミュラーが敬礼をし2人もそれを返すと、彼の姿はあっという間に長い廊下の向こうに消えていった。

「どうしたの、それ?」
ミュラーが去り、入れ替わりにやってきた衛生兵の手当を受けるフィリーネを見ていたカリンが、彼女の右手首にうっすら残る痕に気づいた。
「あ・・・」
指摘されるまで気づくこともなかった真新しい痕にフィリーネの視線が注がれる。
「これは・・・」
さっきミュラーに掴まれた痕だ。
掴まれたときは緊張と恐怖で全く覚えていないが、それは熱をもって赤くなっている。後日鬱血するだろうということが予想された。おそらく掴まれた瞬間に通常の感覚を持っていれば、相当痛かったはずである。
「よく覚えてないな」
何となくそういうことで解決しておこうと思った。
「さっきはかなり緊張してたから」
カリンは当然その回答に納得することが出来なかった。しかし自分のせいでフィリーネが衛生兵のお世話になることになったんだと思うと、それ以上は聞けなかった。

それからどのくらい過ぎた頃であろうか。
事件が解決したという知らせが2人に届き、今回のテロの犯人は地球教の残党で、首謀者である大司教はユリアンの手により葬られたという報告を聞いたのは。

そして、その夜遅く、銀河帝国ローエングラム王朝初代皇帝ラインハルトが薨去した。

それは折からの豪雨が跡形もなく去り、フィリーネが生まれてこのかた見たこともないくらい星が降り注ぐ夜だったことを彼女は生涯忘れないだろう。




<END>


タイトルの「夜明け」ですが、このお話はヒロインであるフィリーネの物語であるという観点からこういうタイトルにしました。
ふと、あお自身、ラインハルトが亡くなるまでのエピソードも入ってるのにこれでいいのか?と思ったので、ここに補足します。
申し訳ない事ながら、今回カイザーは重要人物の1人ではあってもメインではないのです。ごめんね、カイザー。

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