夜明け U 







宇宙暦801年、新帝国暦3年6月。
ラインハルトのフェザーン帰還に併せ、ユリアンを含む数名がそれに同行した。
ハイネセンからフェザーンまでの行程およそ3週間。その間、ユリアン等イゼルローン軍一行は帝国軍の総旗艦であるブリュンヒルトへの乗艦を許された。

フェザーンへの行程、ユリアンは皇帝<カイザー>の元を何度か訪ねている。それは皇帝<カイザー>の体調が良いときに限定されたが、それでも足繁くという表現が当てはまるのではないかという頻度でだ。
「フィル、皇帝<カイザー>が君と会いたがっている」
その日も皇帝<カイザー>の下を訪ねていたユリアンが、戻って来るなりフィリーネにそんなことを言った。
「私と?」
フィリーネにはそれが何を意味するのか全く理解出来なかった。
皇帝ラインハルトとは一面識もないし、自分はヤンやユリアンのように同盟内の有名人でもない。どころか、今ここにいるポプランやアッテンボローなどと比べても小物だ。それを何故に会いたがるのか。
その疑問をそんな話を持ってきた当人のユリアンに素直に尋ねてみた。
「君は皇帝<カイザー>に似ているらしいよ」
「私が?」
まさかと思った。様々な媒体を通してフィリーネはラインハルトの容貌を知っている。
つい最近は間近とまではいかなくとも本物の彼も見ている。
でも、一切そんなことは思ったことがないし、周りからもそんな意見は聞いたことが無かった。
「君と直接会ったことがある帝国軍の提督達が、以前皇帝<カイザー>に言ったらしい」
「それは・・・ミュラー提督とキルヒアイス提督?」
フィリーネの脳裏に砂色の髪と深紅の髪を持つ2人の帝国軍提督の顔が浮かんだ。そして、その名を口に出す。
ユリアンはそれにただ頷いた。
「フィルがそう言うんならきっとそうなんじゃないかな。皇帝<カイザー>は個人に関しては特に何も言っておられなかったし、僕も聞かなかったから」
「でも似てるなんて・・・」
フィリーネは少しの困惑と不安を感じる。
彼女にしてみれば今回のこの申し出は正に寝耳に水だ。
自分はただ、ユリアンに付いていくというカリンの女性1人では心細いからという理由と、万が一ユリアン達の何かの役に立てるかもしれないという己の思いに従い付いてきただけだ。
ここにきて、こんなことが、それも皇帝<カイザー>直々の申し出があるとは思わなかった。
「大丈夫だよ、フィル。皇帝<カイザー>ラインハルトは君が困るようなことは何も仰らないないはず。だから、君が拒否するなら断ってくれても構わない旨のことも仰っていた」
ユリアンがフィリーネの不安と困惑を察して言葉を添えた。
「でも、正直、この申し出には僕も驚いたけどね」
そう言ってユリアンは無邪気な笑顔を作った。

フィリーネの皇帝ラインハルトとの謁見は皇帝<カイザー>自身の体調の問題もあり、その3日後に実現することになった。
当日、フィリーネはラインハルトの従卒の1人に案内され、彼の寝室を訪れた。予定では艦内に設けられている応接室での謁見ということであったのだが、ラインハルトの体調を鑑みての急な予定変更であった。
フィリーネが寝室に案内されると、中には寝台に皇帝ラインハルト、そしてその側にナイト・ハルトミュラー上級大将が控えていた。
フィリーネが敬礼するとミュラーが答礼し、ラインハルトが寝台脇の椅子を勧めてくれた。彼女は少々遠慮しながらもそれに腰を落ち着けた。

「女性に会うというのに、その場が余の寝室というのは避けたかったのだが・・・しかし今余は病人だということだ。許して欲しい」
開口一番にラインハルトはそう言い、
「貴女も一度会ったことがあるだろう。このミュラーが今日は余のお目付役だ」
と、儚げに笑った。
それらの皇帝<カイザー>の言葉は暗に女性としてのフィリーネを気遣っての発言だ。
そんなことは彼の人となりを考えれば、万が一にもないと誰もが分かっている。しかし、これはラインハルトの皇帝としての己の分別であり、また会ったこともない皇帝<カイザー>に突然会うことになったフィリーネに対しての気遣いの結果でもある。
フィリーネは緊張しながらも、そんな彼の気持ちを読み取り小さく頷いた。
「今はもう故人のジークフリード・キルヒアイスが最初に言ったのだ」
ラインハルトが話し始める。
「貴女は覚えてるだろうか。何年か前に彼がイゼルローンへ行ったことを」
「はい、捕虜交換式でした」
フィリーネは今は亡き遠い人との遠い思い出を脳裏に描いた。
仕事上でのわずか数時間だけの関わりではあったが、彼の燃えるような赤い髪とその優しげな容貌、柔らかい物腰は今でもはっきり覚えている。あのとき、彼は同盟軍の女性兵士に歓喜の渦を巻き起こし、仕事とはいえ側に控えることを許されたフィリーネは式典後に女性兵士達の羨望の的になった。
その彼も今はもうこの世の人ではない。
「帰還後、彼が言うのだ。イゼルローンに余と似ている少女がいたと」
その皇帝<カイザー>の言葉にフィリーネは、今回の事の発端は故人であったかと察した。
「その時はそれだけのことだった。だが、ヤン・ウェンリーが亡くなり、帝国軍から余の名代として、ここにいるミュラーを弔問の使者にしようと考えたとき、ふとあのときのキルヒアイスとの会話を思い出した」
そしてミュラーにその話題を振り、ミュラーはフィリーネを見つけたと皇帝<カイザー>は続けた。
「失礼を承知で申し上げますが、ミュラー提督はそれだけの情報で私が分かったと?」
「それはミュラーに直接聞いたほうがよかろう」
フィリーネのその問いにラインハルトは小さく笑むとミュラーに視線を送った。
ミュラーがそれに応えるように皇帝<カイザー>に一礼し、口を開く。
「一目見て分かりました。貴女がジークフリード・キルヒアイスが言っていた人物だと」「やはり似ていると思ったのですか?」
「はい」
そう言われてもフィリーネは納得できないと思った。
「あの・・・そのようなことを言われたのは初めてで・・・実際に陛下にお会いしたことがあるユリアン・ミンツもヤン・ウェンリーもそのようなことは言ってなかったのです」
これはもしかしたら不敬罪というものにあたるかもしれないと思いながらも、フィリーネは率直なところを口に出した。
「だから余も言ったのだ。女性に対して男である余に似ているというのは違わないかと。余には姉が1人いるのだが、似ているというなら姉にだろうとも。しかし違うと。余に似てるという」
フィリーネの不安を全く意に介せずラインハルトは言葉を繋いだ。そして更に続ける。
「姿形ではない。瞳が似ているというのだ」
「ひとみ?」
ラインハルトの薄氷の瞳とフィリーネの青い瞳が交錯した。
数瞬の後、ラインハルトが再び笑みを浮かべた。
「貴女と私の持つ何かが彼らにそう思わせたのかもしれないな」
それだけ言うと、ラインハルトは初めて疲労を覚えた表情をした。
するとミュラーは慌てて外に控えているだろう医師と従卒を呼び戻した。
瞬く間に皇帝<カイザー>の身辺は慌ただしくなる。
そんな中でもラインハルトはフィリーネに対する気遣いを忘れなかった。
「今日はありがとう、フロイライン。長年の噂の主と対面出来て嬉しかった」
それだけ言うとミュラーに彼女を送るように命じ、目を瞑った。

「何故、そう思ったのですか?」
ミュラーに送られながらフィリーネは自分の中に未だ残る疑問を青年提督に投げかけてみた。
「先ほど陛下も言っておられた。フロイライン、貴女の瞳ですよ」
「皇帝<カイザー>と私の・・・ですか?」
「ええ。しかし・・・」
ミュラーはそこまで言うと足を止めた。
釣られてフィリーネの足も止まる。
「今更、このようなことを言ってしまうのは陛下にも貴女にも申し訳ないのですが・・・」
その言葉にフィリーネがミュラーを見上げた。
するとミュラーの砂色の瞳と真っ向から対峙する形になった。
ふいにその砂色の瞳に優しげに、どこか安堵するように細められた。
「貴女は変わられたようだ」
「え?」
フィリーネの青い双眸が軽く見開かれた。
「キルヒアイスも、そして私もそう思った。しかし、今の貴女は陛下と似ているようで似ていない。少なくとも私が直感でそう感じた貴女ではない」
「そう・・・なのですか?」
その問いかけにミュラーは黙って頷いた。
「陛下が言っておられた陛下と貴女に共通する何かというのは、私には計りかねます。しかし、キルヒアイスと貴女が、そして私と貴女が会ってからそれなりに時を経ている。状況も変われば、人も変わる。考え方もその精神も・・・。陛下はそれでも良いのかもしれない。しかし貴女は・・・」
「私・・・は?」
そこまで会話したところでイゼルローン組が与えられた部屋の前に到着してしまった。
「今日は陛下の申し出をお受けくださりありがとうございました」
ミュラーはそう言って深々と頭を下げると、フィリーネに背を向けた。
そのまま立ち去ろうとする後ろ姿にたまらずフィリーネは声をかける。
「それはどういうことなのですか!」
ミュラーが振り返った。
フィリーネは駆け寄り、彼を直視した。
ミュラーが静かに口を開く。
「貴女は、今の貴女が本来の貴女に近いのではないですか?」
「本来の私・・・・・・」
自分自身考えたこともなかった一言にフィリーネは固まった。
そんな彼女にミュラーは
「自分が変わらないとか変わったとか、ハッキリと認識出来る人間なんていないに等しい。それを判断するのは他者です。あくまで私見ですが」
と言い、頭を人差し指で数回掻いた。
「しかし・・・これも私見ですが・・・以前の貴女より今現在の貴女の方がより好ましいように思えます」
「・・・・・・」
フィリーネは何も言えなかった。
そんなフィリーネにミュラーは敬礼ではなく一礼すると、再び背を向けて歩き始めてしまった。
遠ざかるミュラーの背を視界に収めながら、フィリーネはただ立ち尽くした。




<END>


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