夜明け T
宇宙暦800年・帝国暦2年。
ナイトハルト・ミュラーは先日凶弾に倒れた不世出の英雄ヤン・ウェンリーの弔問をすべくイゼルローン要塞を訪れようとしていた。
そして、今や肉眼で確認出来る距離にまで迫ってきた要塞を直視しながら、出立前にした皇帝ラインハルトとの会話を思い起こしていた。
ラインハルトは彼に言った。
「生前キルヒアイスが不思議なことを言っていた。イゼルローンに余に似ている少女兵がいたと」
「少女・・・ですか?」
「ああ、だから余は言ったのだ。自分は男だぞと。それを言うなら似ているのは姉上のほうにではないのかと」
「・・・・・・」
「だが、あいつは違うと言う。余に似ているのだと・・・。しかし、容姿が似ているわけでもなく背格好が似ているというわけではないという。だから、余は言ってやった。それは似ているとは云わないのではないかと。そしたら・・・ヤツは何て答えたと思う?」
ナイトハルト・ミュラーは皇帝<カイザー>のその問いに少しだけ考え込んだ。しかし、
「図りかねます・・・」
あっさりと両手を挙げた。もちろん、実際に両手を掲げたわけではないが。
「瞳がそっくりだと言ったんだ。その瞳が発する何かが余に似ていると」
そして、ラインハルトは付け加えた。
「そのキルヒアイスが会ったという少女がまだ存命なら、卿も会う機会があるかもしれない」
難攻不落と云われるイゼルローン要塞。
これまでに幾度もの攻防戦を経て、現在そこの主として居座っているのは旧自由惑星同盟の元ヤン艦隊を中心とした面々である。
「ようこそおいでくださいました、ナイトハルト・ミュラー元帥」
要塞に到着したミュラーを待っていたのは亜麻色の髪を持つ未だ20歳を越えてはいないだろう年若い司令官。先頃、ヤンの後を継いで革命軍司令官に就任したユリアン・ミンツである。
この年若い司令官は自己紹介に次いで、ヤンの妻で今は未亡人となってしまったフレデリカを、そして他の主な提督をミュラーに紹介してくれた。
ふとミュラーは先ほどから彼らの傍らにあるが未だユリアンの口から語られない年若い女性士官の存在に気づいた。
その女性士官はミュラーと視線が合うとそれまでの表情をキリリと引き締めた。
(彼女だ)
何故かは分からないがミュラーは直感的にそう思った。
ラインハルトが彼の出立の間際に語ってくれた話に登場した少女兵。
あの話はローエングラム王朝が樹立される1年ほど前に行われた捕虜交換式での出来事。その際に故人であるジークフリード・キルヒアイスが件の少女兵に会ったということだったはずだ。
あれから現在までに3年半ほどの月日が流れている。少女を大人に成長させるのには充分過ぎるほどの歳月の経過なのではないか。
長い金髪を後ろで1つにキッチリと束ねたその姿はどこか品を感じさせる。そして、瞳は・・・・・・青だ。それもどこか意志の強さを感じさせる青。
(確かに似ている)
素直にミュラーはそう思った。
キルヒアイスが言っていたというように決して容姿や姿格好が似ているわけではない。むしろ体格に至ってはラインハルトとは逆で、その容姿と比例するように細い女性らしい姿をしている。
しかし、ラインハルトの姉であるアンネローゼとも決して似てはいない。あくまでラインハルトに似ているのである。
では何故そのような印象を受けるのか。
ミュラーは考える。
やはり、それは故人が語っていたように瞳がそうさせているのではないか。
ラインハルトが現在の地位を獲得するための経緯ををミュラーは少なからず知っている。今や過去の遺物となった旧王朝を滅しようなどと、何故に親友と誓い合ったのかを。
この自分よりいくつも年少だと思われる女性士官もそうだというのか。
ミュラーはフィリーネと視線を合わせたこの短い時間の中でそんなことを思い巡らしていた。
「ごめん、フィル」
ユリアンの声でミュラーは現実に引き戻された。
年若い司令官は、ミュラーへの紹介がまだだったことを小声で短く謝罪しているようである。それは親密なものを感じさせる印象があった。それはこの2人が旧知の間柄であることを想像させた。
フィリーネは目立たないように視線をユリアンに送ると、やはり目立たないように小さくかぶりを振った。
「紹介が送れて申し訳ありません。こちらが今回通訳を務めさせていただきますフィリーネ・フォン・リーゼンフェルト大尉です」
ユリアンである。
あまり直接対峙することのない帝国と同盟の人間。しかし、もともとの出自は同じである。会話が成り立たないということはまずありえないが、こういった政治や軍事といった公式の外交の場ではほんの僅かな解釈の違いが大きな亀裂を生むこともある。故に通訳というものが必要になる。小型の翻訳機などというのもあるが、やはりお互いに人間である。微妙な言葉のニュアンスのやり取り等では結局人間に頼ったほうがより確実ともいえるので、この人間の通訳を使うというアナログな方法を好んで使う人々もまだまだいるのである。
どうやらイゼルローンの人々はどうやらこのタイプに分類されるようだ。
魔術師と呼ばれた男は静かに横たわっていた。
銀河帝国皇帝であるラインハルトを、そしてその麾下であるミュラー等諸提督等を翻弄させ苦しめたヤンの口からはもう永遠に呪文が紡がれることはない。
そんな現実を改めて実感させられるほど静かにヤンは目を閉じている。
今にも息を吹き返してきそうだなどという表現もあるが、彼に関してはそれは決して当てはまらないだろうと思えるほど静かにだ。
帝国軍元帥ナイトハルト・ミュラーと彼に随行してきた者達はその厳かともいえる雰囲気の中で魔術師ヤン・ウェンリーの冥福を祈った。
その傍らでは、ヤンが凶弾に倒れてから何度もそうしてきたようにイゼルローンの面々もまた物言わぬ彼に頭を垂れるのだった。
「失礼ですが、大尉は元々帝国の方なのですか?」
弔問を終え、帰りの艦の準備が出来るまでの短い時間にフィリーネ・フォン・リーゼンフェルトと会話する機会が訪れた。
おそらく彼女は姓から判断するならば帝国からの亡命貴族の子弟なのだろうとミュラーは思っていた。だから、その素朴な疑問をその言葉のごとく失礼は承知で聞いてみた。
本来は聞く側もそうだが聞かれる側も気持ちの良い質問ではない。どんな事情があるにせよ国を出ているのだ。亡命者側からすればそこには生まれた国を捨ててしまったという大なり小なりの罪悪感もあるだろうし、臣民である者にとってはそれこそ国を裏切った人間なのである。しかし、そこにはやむにやまれぬ事情もまた存在する。国を裏切った者として憎むという感情を抱く者は今の帝国にはほとんどいないと云ってもいいのかもかもしれないが。
もちろん、ミュラーはこの種類の人間である。人としての常識も相手を思いやる気持ちもある。だからこそ彼は前置きをして質問をした。そして最後に、質問に答えるのが嫌であるなら答えなくとも構わないという旨の意志も付け加えるのを忘れなかった。
「ええ。そうともいえるかもしれませんが、違うともいえます」
そのミュラーの問いに対してフィリーネは何を迷うでもなくそう答えた。そして続けた。
「私の先祖・・・といっても先祖と云うには新しい人たちですが、彼らがハイネセンに来たのは100年ほど前のことですから。だから私はハイネセンで生まれ育った人間なんです。帝国のことはほとんど知りません」
「しかし大尉は流ちょうな帝国の言葉を話される」
ミュラーは彼女の話す言葉に対する正直な感想を言った。
そうでなければ帝国との公式の場には出てこないのだろうが、確かに彼女の帝国公用語は見事だ。多少古いと思われる言語が混じってはいるが、言葉の端々に丁寧さと上品さと美しさが見え隠れするのである。帝国公用語を話せる人間として、おそらくハイネセンでもトップを行く、いや帝国内でも充分かそれ以上なレベルなのではないのか。
「幼い頃から祖父母に教わりました。おかげでこれに関してだけは成績トップでしたが」
そう言ってフィリーネは小さな笑顔を作った。
釣られてミュラーも笑顔になりそうになるが、弔問に来た先でこういった笑顔はふさわしくないのではないかととっさに思い、それが零れてしまうのを自らの意志で制止した。
「そういえば、何年か前にやはりここを訪れたジークフリード・キルヒアイス提督にも同じ事を云われました」
そこまで言ってフィリーネははっとなる。彼がすでに故人であることを思い出したからだ。
ミュラーもそれを明確に察するのと同時に自分の直感が正しかったことを確認した。
キルヒアイスがラインハルトに語ったという件の少女兵はやはり彼女だったのだ。
ミュラーとフィリーネの会話はそこで途切れた。
2人が同時に故人への感慨にふけってしまったというのもあるが、それが別れの合図だと云わんばかりにミュラーの部下が出発の準備が出来たという旨の報告を彼にもたらしたからだ。
後日、皇帝ラインハルトはイゼルローンから帰還したミュラーから報告を受ける。
その内容は2つ。
今回のイゼルローン要塞訪問の目的であったヤン・ウェンリー弔問の詳細、そして図らずもジークフリード・キルヒアイスの言葉の真実を己の目をもってして確認したということを。
皇帝は後者の報告に対して一言呟くように言った。
「余も会ってみたいものだな・・・」
<END>
フィリーネが通訳として登場しますが、この「通訳」の定義はあおが勝手に付け足した設定ですのでご了承ください。
ちなみに実際は、帝国、同盟共に士官学校に帝国は同盟の、同盟は帝国の公用語を学ぶ授業があるらしいです。なので、通訳はなくても会話は出来るということです。
そこで、あおの素朴な疑問なのですが・・・おそらく同盟は「帝国公用語」という科目名。でも、帝国は?「同盟公用語」なんて科目名だったりしたら、???のような気がするのですが。もともと反乱軍ですからねぇ。果たしてどういう表記になっているんでしょう?謎です(汗)