Zum Licht, zu dem kein Aug gedrungen.
〜かつていかなる目も達したことのない光へと向かって〜





白い天井と白い床と白いベッド。
何もかもが無機質な此処は、可視不可視関係なくその懐に取り込み、挙げ句己の存在さえをも全て掻き抱いてくれるかのようだった。
当初はそれが心地良かった。
なのに、今はこの白い腕<かいな>に支配されるのを拒否する自分が居る。

ミュラーはこれまで約3ヶ月寝食を共にした病室を見回した。
長いようで短い3ヶ月だった。
思いがけない出来事が多々あった。
砂色の瞳をゆっくりと天井に扉に部屋の片隅にと移動させれば、ここでの様々な出来事が脳裏を駆け巡った。
身体と精神に刻まれた傷が己を被い、闇に飲み込まれそうになったこともあった。
しかし、こうして退院という日を迎えてみれば、その記憶は霞がかかったように朧気で思い出すこともままならない。
対して、苦悶の日々の中、自分を包んだ人間<ひと>の温かさだけは鮮明で、今でも一つ一つがその数だけ明確な色と形とぬくもりを持って己が内に容易に再現されていく。

やがて、ミュラーは視線を窓外へと移した。
そこには活気に満ちた世界があった。
9月初めの残暑漂う陽光は、強く白く、だが何処か優しい光を地上に降り注いでいる。
自分もこれから改めてそこの住人となる。
数ヶ月ぶりに歩み始める世界への畏れという感情がなきにしもあらずではあるが、それでも心の底は再び与えられた幸運に躍動を禁じ得ない。

ミュラーは今朝まで愛用したベッド上に纏められた荷物に手を伸ばした。
その手の行き先には、黒地に銀糸が縁取られた懐かしい軍服が折り目正しくプレスされ主の帰りを待っている。
以前そうしていたように無造作にそれを掴んだミュラーは、しかし僅かに顔をしかめた。
手を伝った感が、思いの外硬質で重厚だったのである。
それでも、片袖を通して更にもう一方も…と本来の自分を形作っていけば、不思議なことにその都度軍服がその身になじんでいくことが実感された。
仕上げに襟元を整えた時には、以前の自分を完全に取り戻したような錯覚さえ覚え、勢い込んで病室に設えられた鏡に己の姿を映してみた。
するとそこには、長期間の療養生活ゆえに多少痩せ衰えてはいるが、確かに帝国軍大将ナイトハルト・ミュラーが存在していた。

ミュラーは大きく一つ肩で息をした。
「立たねばなるまい」
鏡に映った自分に言い聞かせるように発した言葉は、白い部屋に小さくこだまし吸い込まれていった。彼の決意を受け止めるかのごとくに。

立たねばなるまい。
儚く失われていった命のためにも。
ここで生を営み、懸命に命の炎を燃やす人々のためにも。
例え己がどんなに小さく、弱く、自身さえも儚い人でしかなくとも。
立たねばなるまい。
ここで暮らす人々を守るために。
心優しい人々が暮らすこの故郷の地を守るために。

そして…。
あの方の欲する世界を手に入れるために。

<END>


ラストです。
ラストも第1作同様、表題を「マーラー:交響曲第2番『復活』第5楽章」 から取らせて頂きました。この曲の第5楽章への指示は「スケルツォのテンポで、荒野を進むように」。本来の歌詞の意味とは違うかとも思ったのですが、シメということであえてこの部分にしました。


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