Victory to you







包みを開けた二人は目を丸くし、顔を見合わせた。
それは一見して何の変哲もないボディソープ。
だがその実は普通のスーパーなどでは決して手に入ることはない品物だった。
「これは…」
どういうことだとミュラーはあからさまに顔をしかめてみせたが、フィリーネはこれでもかと目を見開いたままピクリとも動かない。
今日の仕事の最後に皇宮に寄った際に、二人への贈り物という名目でフィリーネがビアンカから手渡された物だった。
箱に入れられ丁寧に包装されたそれをフィリーネは重さからアルコールの類だと勝手に認識した。だから何の疑いもなしにミュラー宅のリビングで、彼の隣に陣取って嬉々として包みを解いた。
それがこの結果である。
少々趣向を凝らした営み専用のクレンジング。
ボディソープと銘打ってはあるが、彼らの話によると髪も洗えるらしい。
彼らとは勿論、キスリングとルシエル、ビッテンフェルトとビアンカのカップルのことだ。

燦然と鎮座する一風変わった贈り物からは視線を外さずにフィリーネがやがて口を開く。
「キャンディもあるって聞いたの…」
「え?」
ミュラーの気配に、彼を真正面から捉えると、
「チョコじゃなくってキャンディもあるってビアンカとルシエルが言ってた」
「そ、そうなのかい?」
砂色の双眸が泳ぐのを見逃しはしなかった。
「持ってるんでしょ?」
「どうして…」
「だって今隠そうとしたわ」
「そんなことはない」
「それに、そうじゃなかったらビアンカだってこんなもの贈ってくるはずないもの。それともあのチョコがまだ残ってるの?」
「チョ、チョコはもう残ってないよ。あれは使い切った…!」
言い切ってから後悔した。
だが後の祭りである。
「使い切ったって…チョコは…って…」
「いや、だからそれは…」
やっぱり持ってるんじゃないか。
フィリーネは確信した。
「じゃあ、キャンディは持ってるっていうことなのね」
あえての確認である。
ミュラーは、今にもテーブルを叩いて激昂しそうな彼女の勢いに押されて我知らず両手を眼前にかざし身構えた。
だが、なんなのそれと詰め寄り、更なる追及の手を伸ばそうと臨戦態勢に入ったかと思われたフィリーネが、次の瞬間には何を思ったか突然深い溜息を吐くと首を大きく横に数回振る。そして、思い直したようにミュラーを見据えた。瞳には憂いの色が濃く浮かんでいた。呆れているといっても過言ではない。
「ねえ、どうして?最近の貴方はおかしいわ!」
「おかしいって…」
絶句するように言葉を飲み込んだ。
「だってそうじゃない。こんな変なもの使って、その…したい…だなんて…」
しかしそこまで言ったところで、ルシエル宅で読んだ占いがフィリーネの脳裏に唐突に浮かび上がる。

――ただし、几帳面で完璧主義のため、自分にも相手にも厳しくしすぎます。その部分で相手の男性を疲れさせてしまうかもしれません――

(厳しい?ナイトハルトに?私が?)
慌てて頭を振り否定する。
(そんなはずない。だってこんなの絶対におかしいもの…!)
そういうプレイがあることは知っていた。だけどそれは決して現実のものではなく、成人男性向けのメディアの中の空想だとしか考えていなかった。それなのに、前回といい、今回といい、まさか自分の隣にいる自分の最も大事な彼の手によってそれがなされようとは。
「…そんなのありえない…」
思うとはなしに呟いた言葉は果たして自分の直面している現実に対してなのか、それとも妄想の産物だと思い込んでいたプレイの数々に対してなのか、杳として知れなかった。

一言ぽつりと呟いてうな垂れてしまったフィリーネにミュラーは掛ける言葉が見つからない。
見えない表情から彼女が、今何を考え、何を思うのかは窺い知ることなど出来はしない。が、その原因が自分にあるということは身に沁みて実感出来る。愛する人をこんなことで苦しませる真似は決してミュラーの望むところではなかった。しかしその反面で己の欲求を成したいという抗いがたい本能が存在するのも事実で、ミュラーは自分の持つ二面性に人知れず苦悩する。

――大丈夫、犯罪的行為以外は案外受け入れてくれるものよ――

うつむくフィリーネを砂色の視界に入れながらミュラーの脳裏にもまた、先日の心理テストの結果が小悪魔的微笑を湛えた女性司会者の姿と共に蘇る。
(そうであるかもしれないが、それが誰にでも通用するとは限るまい)
それでもやはり、ビッテンフェルトとキスリングが体感した世界を自分が知らないというのも何処か面白くなかったし、単純に好奇心もあった。
前回は濃厚なチョコレート色に半ば全身を染め上げたフィリーネに男の本能を呼び起こされ、それを清める如くに愛撫してやった時の羞恥しながらも反応し高まる彼女の姿に興奮を覚えた。それはミュラー自身も初めて知る情欲の存在であったし、愉悦だった。
あんなことはもう二度としないとキッパリ断言出来るのであれば、フィリーネにとって自分は理想の男性になれるのであろうが、あの快感を一度知ってしまった今となっては到底無理なように思える。
「フィリーネ、だけど…!」

――爆発、する前に自分を開放してしまいなさい――

深夜の番組には到底不似合いとも云える女性司会者の涼やかな声が全身に反響する。
ミュラーは嘆息しそうになる自分を必死にこらえた。
これでは心理テストの結果通りに、しかも早晩にでも爆発してしまうのではないか。
(何だよ、これ。マニュアル通りじゃないか)
胸中で毒づいた。
本来ならマニュアルはおろか、深夜のヒマな大人たちをからかう道具でしかないはずの余興に、翻弄され支配されつつある自身にミュラーは気づかない。

「ねえ…」
果たして自己嫌悪の底なし沼に陥りつつある正にその時、ふいにフィリーネがぽつりと呟いた。
「でもナイトハルトはそうしたいの?」
「え?」
「ミュラー閣下にその方面は一度お任せしてみたらってルシエルとビアンカが言ったの。少なくとも貴女よりは大人なんだからって…!」
しかしそこまで言ったフィリーネは、はたと口をつぐむ。
果たしてこんなことまで言ってしまって良かったものかどうか。
口にしてしまった途端にそう思えてしまったからだ。
恋愛の相談事ならまだしも、自分たちの性生活についてまであの二人に相談しているのか。
ミュラーにそう思われ、軽蔑されるのではないかという考えが頭を過ったからだ。
知らず、一気に顔に熱がこもる。
「ご、ごめんなさい。そんなつもりじゃないの」
気づいた時には謝りの言葉を口にしていた。
だがミュラーには何故彼女が謝罪するのかが理解されかねる。
それどころか、ミュラーの中の黒い部分がにょきりと頭をもたげた――ように彼には察せられた。
渡りに船。棚からぼた餅。地獄に仏。
いくつもの都合の良いフレーズが駆け足で頭の中を走り過ぎて行く。
「こんなこと言うつもりじゃなかったのに…。ルシエルとビアンカのことも悪く思わないでね」
必至に訴えるフィリーネを尻目にミュラーには、今此処に存在しない女性二人が救いの女神に思えた。
頭の中では、神々しい光を背負った美しい二神が降臨の真っ最中である。
キスリング辺りがこの状態を知れば、唾棄した上でありったけの負の感情を詰め込んだ蹴りなどを飛ばしてくるに違いない。
「そんなことは思わないよ。それよりどうして彼女らに?」
理由などこの際関係のないことだったが、気分上昇中のミュラーにとって今はそういった話題でしか間を埋めることが出来なかった。内心では既に次の段階の計画に余念がない。
「だってあの二人、つまりはキスリング准将もビッテンフェルト閣下もそうなんでしょうけど、そういうことを楽しんでるように見えるんですもの。私には信じられないことなのに…」
「ふうん」
「だから言ったの。どうしてそんなに楽しそうなのって。私は嫌なのにって…」
「そしたらそう返ってきたと?」
すると、赤らめた表情を隠すようにフィリーネはコクリと一つ頷き、再度うつむいてしまった。
刹那、前回のメールの件もあるからと逡巡しかけたミュラーであったが、絶好のこの機会を逃す手はない。
「フィリーネ…」
差し伸ばした手が肩に掛かると、羞恥に顔をトマトのように赤く染め上げた顔がこちらを見つめた。潤んだ青い瞳が戸惑うように揺れ動いている。
理性の細い糸が切れる音をミュラーは確かに聞いた気がした。

***

最初に開いた包みの中からは、透き通った青色の球体が顔をのぞかせた。
ミュラーはそれを摘まむと軽く口に咥え、フィリーネと共有する。
合わされた二人の唇の熱が飴玉に伝わると、瞬く間に融解していく様が五感を伝わって手に取る様に感じられた。
温かいとも柔らかいとも云える感触にフィリーネが僅かに呻くと、ミュラーは半ば水あめ状になった物体と共に自らの舌を彼女の口内に差し入れた。
「…甘い…」
絡まる舌と舌の間、フィリーネから思いがけなく発せられた感想は、正しくミュラーが彼女との情事の際に毎回感じている思いに他ならない。だが今回に限っては、それが果たして彼女の身体自体がそうであるのか、それとも飴玉という所謂菓子類が持つ甘さなのか、彼自身判断が付きかねる。
やがてどちらからともなく唇を離すと、水あめへと既に形状を変化させた元飴玉が彼と彼女を繋ぐ絆のように長い放物線を描いた。お互い側の起点は太く、中心に至るほど細く危うげなそれは、まるで二人の関係をそのまま表現しているように感ぜられ、ミュラーは何かを急ぐようにベッドサイドに置かれた新たなそれに手を伸ばす。
そして、次に取り出したのは透明な淡い桃色だった。
透き通ったベビーピンクの球形の向こう側、薄闇に目を凝らすフィリーネの姿が視界に入ると、いつものように笑んで見せる。
と、黙ってそれを彼女の双丘の真ん中にゆっくりと静かに据え置いた。
ミュラーの手の動きに合わせてフィリーネの視線が移動していくのが気配でわかった。
今や彼女の青い瞳も、自身のふくらみの間に置かれた物体を視認できるか否かの限界で凝視していることだろう。
二つのはらみの頂点と飴玉の淡いピンクが、まるで誂えたようにお揃いだ。
だが、体温で融解することが売りのキャンディは瞬く間に艶やな水あめに形状を変えていく。僅かに差し込む星明り以外の光が無い部屋の中で、それだけが貴重な宝石のように輝く様は淫靡という言葉に相応しい。
「フィリーネ…」
「え…?」
「君の体温が高い」
どういうことかと疑問の視線がこちらに向けられ、青色と砂色が邂逅を果たす。
「じゃなければ、こんなに早く溶けないよ」
全てが初めてのことであるし、一体どのくらいの温度で融解を始めるのかなどという知識があるはずもなかったから、ただの思いつきでしかない。それでも、そういうことを言わせてしまう何かが此処には存在した。
クスリと笑いを漏らすと、抗議の声を上げようとガバリと起こされるフィリーネの身体を寸前でシーツに押し戻した。
そして、指先で溶けかけのそれをなぞりながら片方のふくらみの頂点に口づけると、甘い吐息が室内に小さく響き渡り、それが合図であるかのようにミュラーは己の本能に埋没していった。

一体、どのくらいの時間、お互いの身体を貪ったであろうか。
弾みでミュラーの胸元に口づけたフィリーネがふと呟いた。
「甘い…」
そう言った彼女の顔は先ほどの飴玉のように薄桃色に紅潮している。
「貴方の身体も甘いのね。初めて知った…」
恥じらいのど真ん中で続けた言葉は尻すぼみに小さくなり、フィリーネは声だけでなくその全身をミュラーの身体に埋めてしまった。
その言動に男の本能が刺激されないなど考えられない。
せめてミュラーは心底そう思い、今や甘美な極上品と化したフィリーネの瑞々しい肢体を飽くまで食い尽くさねばならぬ欲望の虜と成り果てた。

***

翌朝、漸く眠りの神から解放されたフィリーネがゆっくりと目を開け一番に見たものは砂色の瞳だった。
「おはよう」
カーテンから漏れる朝の爽やかな陽光を背に優しげな双眸が微笑んでいる。
いつもの朝であるはずなのに、得体の知れない恥ずかしさが全身を支配した。
「おはよう…早いのね…」
本当は早いとか遅いとか今が何時であるかなど別に興味もなかったが、それしか言葉が見つからない。
「そうでもないよ。さっきから起きていた」
「え…じゃあ、もしかしてずっとここで?」
彼が無言で頷いた。
どうやらずいぶんと前から寝顔を見つめられていたらしい。
無防備な朝の顔を長時間見られるなどとんでもないと、顔が熱を持つ。
そして同時に昨夜の出来事が走馬灯のように過り、フィリーネは慌ててブランケットで顔を防御した。が、それも一瞬のことで、薄い防御壁はあっさりと鉄壁の異名を持つ男によって破壊される。
間髪入れず唇に軽いキスが落とされると、乱れた金色が愛おしげに撫でられた。
「も、もう二度昨日のようなことは困るから…!」
ミュラーとの情事を思い出すだけで羞恥を感じるのはいつものことだが、それでも特に昨夜のことは思い出すのも憚られて、まさかこの場に相応しい話題とも思えないのに思わず出てしまった。
案の定、小さな笑いが相手の口から飛び出した。
「でも君も楽しんでいたじゃないか」
「違うわ」
「違わないよ」
「違う」
「違わない」
「絶対違う…!」
終わりが見えない戦いに終止符を打つようにミュラーの温かな唇が再度落とされると、黙ってそれに従うしかないフィリーネだった。



<END>

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