祝 賀 (1)







新帝国暦5年1月1日。
先帝ラインハルトの喪が明けて初めて迎える新年。
昨年は喪のために控えられた新しい年を祝う祝賀会も今年はつつがなく執り行われ、皇太后による新年の挨拶から始まった宴も今は出席者同士が自由に歓談し合う社交の場の様相を呈していた。

「自分はよく知りませんが、こういった宴も前王朝時代は贅の限りを尽くしたものだったと聞いてます」
「話には聞いたことがありました。そして、先帝のラインハルト陛下がそういった慣習を変えられたとも」
「はい」
そう満足そうに頷いたキスリングも今日ばかりは皇帝一家の警護の任から外れ年に一度の祝いの宴を楽しんでいる。
そして、彼の会話する相手は同盟側から招待された一人であるフィリーネ。
「それにしても、こうして少将と会話するのは初めてですね」
「そうですね。普段は直接的な接点はありませんから」
今日までお互い知らぬ相手でもなく二言三言話したこともあったが、こうして言葉を交わすことは初めてのことかもしれなかった。
余談だが、キスリングは先帝薨去後に准将から少将に格上げされている。
「失礼ですが、少将はこうしてお話してみると存外親しみ易い方だったので、正直ほっとしました」
「そうですか?」
「はい。いつもキリリとされてるので、先ほどぶつかったときはどうしようかと思いました」
これより少し前、会場内でフィリーネはキスリングと軽く衝突してしまった。それは慣れない軍礼服を着た彼女が、こちらもまた履き慣れないヒール高のパンプスによって足をもつれさせた所以である。
「それは・・・職務を離れれば私はこんな人間です」
「だから正直に、ほっとしたと言いました」
フィリーネの言葉に思わずキスリングは声を上げて笑った。
笑いながら彼の黄玉の瞳がフィリーネの肩越しにある人物のそれと邂逅した。
ナイトハルト・ミュラーである。
キスリングに釣られて振り返ったフィリーネも彼を見止めた。
すると、向こうもこちらに気づいたようで、こちらに近づいてきた。
「今日は出席者か」
ミュラーは見知った顔に向かって穏やかに語りかけた。
「はい、元帥」
先ほどまでとは一転、真面目ぶった表情でキスリングが答えるとミュラーはそれを手で制した。
「やめてくれキスリング。せっかくの祝いの席なのだから」
「しかし・・・」
キスリングがチラリとフィリーネに目線を送りながら口ごもると、ミュラーは困ったかのように眉を下げるのだった。
「いいから。階級はなしだ。いつもの調子で構わない。無礼講だ」
「・・・わかりました」
何処か納得し切れない様子で頷いたキスリングだったが、「では」と肩の力を抜いた。
するとキスリングは一瞬だけ俯き目を瞑り、小さく息をついた。
そして、次にその顔を上げた瞳にはミュラーがよく知る彼の私人としての光が宿っていた。
それを確認したミュラーがほっとした様子をするのを見逃さなかったキスリングは内心で、相変わらずな彼に軽く吹き出した。
「方々に挨拶は済んだのか、ミュラー?」
「あらかたは、な。お前こそ」
「俺もだ。だから、この場を楽しんでいた。そこにお前が来た」
「来てはいけなかったのか?」
「いや、別に。だから、無礼講は助かる」
「そうか」
「ああ」
そこにはフィリーネが端から見て明らかなほどリラックスした二人がいた。
「お二人は、親しいのですか?」
それまで二人のやり取りを黙って聞いていたフィリーネが口を開くと、帝国の将二人は不思議そうに顔を見合わせた。
「そう、見えますか?」
その問いに先に応えたのはキスリングだ。
「はい」
思ったままを頷くと、キスリングが親指でミュラーを指しながら笑みを浮かべる。
「こいつとは士官学校の同期なんです」
「ああ、なるほど」
それに対しフィリーネがあっさり納得の意を示すと、ミュラーも彼女に向かって頷いた。
「それにしても。お前、こいつはないだろう」
「無礼講だと言ったのはお前だろ」
「そうだが。それでも公の場だぞ」
「いつもの調子で良いと言ったのもお前だ」
その光景を視界に入れながらフィリーネの中では、ヤンとアッテンボロー、ポプランとコーネフといったヤン艦隊の面々の軽快で微笑ましいやり取りの数々が走馬灯のように浮かび、身の内が暖かくなるのを感じた。
しかし、それも現実に彼女を呼ぶ現在の居場所である公使館の武官の声によってかき消えた。
声のした方向に目をやると、上司でもある武官が手招きしていた。
どうやら、自分に来て欲しいらしい。
呼ばれれば行かねばなるまい。
そんなことを思いながらフィリーネは今や楽しげに語り合う二人に辞去の挨拶をする。
「あちらで呼んでいるようですので小官はこれで失礼します」
「ああ、それは・・・」
言いながらキスリングがそちらを見ると、彼女を呼んでるらしい武官と目が合った。
ふと隣を見れば、ミュラーも己と同じ方に視線を送っていた。
「では」
フィリーネが敬礼し、二人もそれに応える。
「また、お会いしましょう」
そう言葉にしたのはミュラーだった。
彼の砂色の瞳が優しげに細められている。
それに対してフィリーネはただ頷き、踵を返した。
キスリングは何とはなしにそれを見守る形となった。
しかし、その時、彼の第六感的感覚がある予測と予感を生み出す。
反射的にキスリングは傍らのミュラーを見遣った。
依然、砂色の視線は遠ざかる白い軍礼服を追っていた。
その表情はミュラーという人物の代名詞たり得る柔和なもので、他の誰かが見ても別段気に掛ける類のものではなかったのかも知れない。
だが、キスリングはミュラーとは決して短い縁というわけではない。
キスリングは、その一見変わらなく見えるミュラーの表情の中に混じったある種の異物を見抜いてしまった。
更に今し方彼の中に突如生まれた感覚。
その二つを掛け合わせた時、キスリングは己の思い描いた認識がはっきりと形を成していくのを感じずにはいられなかった。



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