夜明け前 T  (3)
(宇宙暦797年・帝国暦488年1月〜イゼルローン要塞にて〜)







イゼルローン要塞の司令官室でフィリーネを待っていたのは、司令官のヤン・ウェンリーとその副官フレデリカ・グリーンヒルだった。
「フィリーネ・フォン・リーゼンフェルト中尉、イゼルローン要塞に着任しました」
「ご苦労」
フィリーネが敬礼し、この要塞の司令官であるヤン・ウェンリーがそれに応え答礼する。
まずは型どおりの軍隊式の着任の挨拶をかわすと、ヤンは彼には不似合いの畏まった風貌を崩し、親しげに握手を求め、彼女もそれに応じた。
「待っていたよ、リーゼンフェルト中尉」
「ありがとうございます」
「グリーンヒル大尉も君をお待ちかねだ」
ヤンの言葉に彼の後方に控えるフレデリカに視線を送ると、彼女も目を細めて握手を求めてきた。
「お久しぶりです、グリーンヒル大尉」
「ほんと、久しぶりね。元気だった?」
「はい、おかげさまで!」
フレデリカ・グリーンヒルはフィリーネの士官学校の1期先輩にあたる。
在籍中、常に優秀な成績を維持し、次席で卒業を迎えたこの先輩をフィリーネは敬愛していた。
その関係は、フィリーネが士官学校2年時にまでさかのぼる。

当時、彼女は苦労して入った士官学校で、更なる苦労をしていた。
彼女は毎日の課題の多さと授業の難しさに着いていくのがやっとだったのだ。
それは飛び級して入ってきた者にとっては特にそうなのだが、とにかく予習復習はかかせなかった。そこに毎日の課題が入る。
数少ない息抜きの機会にフィリーネは何度も思った。
「自分がもっと賢い人間なら良かったのに・・・」
飛び級するということは、人それぞれとはいえども本来の学習期間を短縮することになる。また本来の適正な学習年齢を無視して、その内容を頭に詰め込む。
そうやって努力して入学を許された者達が初めて、適正年齢で入ってきた者達と共に学ぶのだ。
だから、フィリーネと同じ待遇の者達が苦労しないということはまず考えられない。

「それはこの資料を参考にするといいわよ」
ある日、この2年の間にすっかり日課となってしまった図書室での調べ物に悪戦苦闘していたフィリーネに声をかけてきた女生徒、それがフレデリカ・グリーンヒルだった。
突然目の前に差し出された分厚い参考書にフィリーネは疲れ切った顔を上げた。
そこにはヘイゼルの髪と瞳を持つ美人がニッコリと微笑んで立っていた。
「でも・・・」
フィリーネは突然の彼女の行為に困惑し、その青い瞳を見ず知らずの美人と差し出された参考の間で幾度か往復させた。
「これ、返却しようと思って今持ってきたばかりなの。その課題にはこれが最適なはずよ。苦労して当たり前だわ」
そう言って目を細めるフレデリカを見ながら、フィリーネの頭の中で何故か「美人」という単語が浮かんで消えた。
「どうぞ」
そんなフィリーネの言葉を待たずにフレデリカは、自身が最適だといった参考書をフィリーネの使うデスクの上に置くと、あっという間に図書館を出て行ってしまった。
そのことが明確なきっかけになったか定かではないが、それからフィリーネとフレデリカは校内で見かければ挨拶を交わす仲になり、そう多くの時を経ずして急速に親しくなった。
フィリーネはこの才色兼備が服を着て歩いているような先輩が大好きだったし、姉のように慕った。そしてフレデリカもまた、フィリーネを妹のようにかわいがってくれた。
その関係は2人が軍務に従事するようになった今も変わってはいない。

(グリーンヒル大尉はフィルに起こったことを知ってるのだろうか?)
親しげな様子でやり取りする3人を目前にしながらユリアンは思った。
そもそもユリアンはフレデリカとフィリーネが友人同士だということを今回の人事で初めて知った。
それはヤンも同様だったらしく、今回の人事を副官であるフレデリカに報告したときのその喜びように目を丸くした口だ。

今回の人事。
フィリーネ・フォン・リーゼンフェルト中尉を常駐の通訳としてイゼルローン要塞に着任させたい。
そういった主旨の文をヤンが軍の人事に打電したのは、2月に行われる捕虜交換式の開催が決定してすぐのことだった。
周囲からは特に通訳という席を設けなくとも良いのではないかとの意見もあった。
今後、もし、帝国軍と何某かの接触があった場合、同盟軍人においては帝国の人間と意思疎通が出来ないということはまずあり得ないことだし、イゼルローンには腕に覚えのありすぎる薔薇の騎士連隊も常駐している。彼らは帝国からの亡命者の子弟で構成されている。なので巧みに帝国公用語を操るという点では、その辺の通訳者よりも役に立つ。
だが、ヤンはその意見を聞き入れなかった。
ユリアンは知っている。決して予測の範囲を出るものではないが、きっとそうだろうとヤンの心中を察している。
ヤンがエルファシルの英雄として名を上げた戦闘で、フィリーネの両親・兄がエルファシルで戦死している。そして、詳しく聞いたわけではないが、どうやらフィリーネの次兄とヤンは士官学校の同期で知らない仲ではないらしい。更にはその次兄を通して長兄とも面識もあったようなのだ。つまり、フィリーネの兄たちの死はヤンの友人知人の死でもあった。
彼はひょっとして、その兄たちとの会話の中で年の離れた妹の話を聞いたかもしれない。
ヤン本人はそれらの事柄についてユリアンに語ったことはなかったが、運命の糸はエルファシルから6年後、彼と逝ってしまった友を結び付ける。これもまた知己の間柄であるジェシカ・エドワーズによって、彼はフィリーネという亡き友人の妹に出会うのである。
当時すでにフィリーネは士官学校卒業を翌年に控えていた。士官学校を卒業するということは実際の戦場に身をさらし、場合によっては初陣で死を迎えても文句は言えない立場になるということだ。
このときから、おそらくヤンは彼女の行く先を気に掛けていたに違いない。
それから数年。ヤンは堂々とフィリーネを保護する名目を得た。
それは、その真意を知る他者から見れば、職権乱用も甚だしい行為なのかもしれない。そういったことを嫌うヤンも多分にそれを自覚しているだろう。
それでもヤンはそれを実行し実現した。

ユリアンは今目の前で久々の再会をそれぞれに喜び合うヤンとフレデリカ、そしてフィリーネを見て思う。
それでもこれで良かったのだと・・・。

<END>

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