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「ミュラー提督!」

背後からの声に振り返ると、間髪入れぬ勢いで巨大なボールが飛んできた。
反射的に身を守る体勢を取り、顔面めがけて飛んできた物体を受け止めれば、それはボールではなく無造作に丸められた紙袋だった。
中に何かが入ってるようだったが、思いのほか重量はない。

「相変わらず良い動きだな」
「キスリング!?」

投球者と思しき男が彼の特徴でもある金色の瞳を不敵に細めてニヤニヤしながら近づいてきた。

「危ないじゃないか」
「危ないも何も、こんな凶器で怪我をするようなミュラー提督でもないだろ」
「それはそうだが……!」

憮然として抗議を試みるが、どうせああいえばこういう展開になるに違いない。
ミュラーはあっさり反撃を諦めると、暗殺未遂の犯人の元に歩を進めた。

「何だよ、これ」
「まあ、開けてみろよ」
「どうせろくでもないモノなんじゃないのか?」

丸められた紙袋はすっかりくしゃくしゃだ。こうなってしまっては、どんなに節約上手な主婦でも皺を伸ばして再利用することは叶わないだろう。そのくらいには無残な有様になっていた。

「見かけに騙されるなよ。それに、ろくでもないかどうかは俺が決めることじゃない」
「それはそうだけどね……」

呆れたように零しながら、丁寧に皺を伸ばして開け口を探す。じゃないと、いとも簡単に袋は破れてしまいそうだ。
すると、漸く袋の入り口を発見し中身を確認した砂色の瞳が大きく見開かれる。

「!?」
「どうだ。恐れ入ったか」
「恐れ入るって……何だよ、これ」

中にはクッキーだのキャンディだのが、ぎっしりとまではいかないがそこそこ入っていた。

「お返しだよ」

何の変哲もないトパーズが極上のそれに変化した。

「お返し?俺、何かしたっけ?」
「おいおい、忘れてるのか」
「ああ、おそらく」

真にそうだと首を傾げるミュラーにキスリングは呆れてみせる。

「お前、あれだけのことしておいて、本気で言ってるのか?」
「あれだけって、何だっけ?」
「本気かよ。因みに聞くが、今日が何の日か知ってるか?」
「当たり前のことを聞くな。今日は皇帝<カイザー>がお生まれになった日だ。誕生日だ」

きっぱりと言い切る答えに迷いも淀みもなかった。
しかし期待する解答では甚だ無い。
不敬に値すると指摘される可能性もあるのだが、とにかく今望む答えは違うのだ。

「って、キスリング准将。今日の準備は大丈夫なのか?」
「心配するな。今は休憩中だ」

そうかとミュラーが安堵の吐息を漏らした。
質素倹約を旨とする皇帝ラインハルトの断固たる意志の下に、生誕を祝う記念行事は殊の外簡素なもので、具体的には夜会という名の立食パーティのみである。招待客も出来うる限りの人数に絞られ、そこに並ぶ飲食も中の上クラスの一般家庭であれば簡単に供されるご馳走の類だ。

「それより、今日という日だ」
「だから、皇帝の……!」
「もちろんそうではある。だがあと一つ、世の中の経済を廻す為のイベントがあるだろう」

皇帝の生誕を祝う以外に何があったであろうとミュラーはひとしきり考え込んだ。

「正直、俺は好かない。今日という日が皇帝<カイザー>の生誕日であるならば、そのようなイベントは無くしてしまって全力で陛下の誕生日を祝ってもいいのではないかと思ってる」

そういえばこいつはイベント嫌いだったなとちらりと思い出したりしながらも、頭の片隅にとある名称が星のように小さく煌めいた。

「ホワイト・デーか!」

同時にちょうどひと月前の出来事が鮮明に蘇った。

「そういえば、友チョコやったよな」

ぽつり呟いた。

「ああ、貰った貰った。高級品のこっぴどい訳あり物件」
「こっぴどいって心外な……」
「お前は心外じゃなくても相手に失礼だろ、あれは。しかし旨かった」
「だろ」
「だろ、じゃねえよ」

己の悪行といっても差し支えないであろう行状をすっかり忘れ果てたようにケロリと述べる口調に些か腹が立った。しかし、その次に出たミュラーの台詞には怒りを通り越して心底呆れ果ててしまう。

「で、お返しなんかもあったりするわけか?」
「お前、ばっかじゃねえの!?」
「バカって……相変わらずの言い様じゃないか」

眉を下げ、肩を落とし、心底悲しげだと云わんばかりの表情まで浮かべてやがる。
知らずキスリングの眉が釣り上がり、言葉のリズムに合わせて人差し指で力強く紙袋を何度も指差してやる。

「それだよ。そ、れ、!」
「これ?」
「ああ、そうだよ。それがお返しってヤツ」
「これが!?」

信じられないというように裏返る声と共にミュラーが手を突っ込むと、色とりどりの包み紙に個別でくるまれたクッキーとキャンディが鷲掴みで取り出された。

「不満か?」
「不満も何も……いや、嬉しいよ。嬉しいけど、この紙袋…しわしわ……」
「何か文句が?」
「これ、心が籠った贈り物にしてはひどくないか?」
「あのな……」

絶句しそうになりながらもキスリングは、それが宮廷女官や侍女達から親衛隊に贈られたバレンタインの所謂義理チョコのお返しの余りであることを声高に暴露してやる。

「お前にはそれで充分だ。それでも食って、ちっとは精神的に成長しろ!相手を思いやる気持ちを養え!!」

甘いものでも食えば心も柔らかくなるだろうよ、と付け加えた。

「キスリング、前から思ってたけど」
「あ?」
「お前、案外手厳しいな」

苦笑して捨てられた子犬のようにそう述べるミュラーを見ていると、胸の奥から罪悪感が湧き上がってくるから不思議だった。
これも温厚篤実で鳴らした彼の人となりの成せる技なのか。

(野暮天め……)

胸中で独りごちると、そんな旧友に嫉妬する自分がいた。

「手厳しいのはどっちだよ」

それだけ言い置いて踵を返した。

「休憩は終わりだ」

背を向け、白手袋に包まれた右手だけを挙げた。
背後から自分の名を呼ぶ友の声が耳朶を打ったが、振り返るような愚かな真似はしなかった。

「今度、酒でも奢るよ!」

次がいつかなどお互い激務をこなす身で分かりもしないのに相変わらず口だけはいっちょまえの男である。
遠ざかるミュラーの姿を頭に思い描きながらキスリングは、優秀な親衛隊長であり准将である軍人へと意識を転じるのであった。



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