黄金獅子の空の下〜再会〜






「キスリング!キスリングじゃないか!?」
振り向いた青年士官の黄玉<トパーズ>の瞳に、こちらに向かって駆けてくる懐かしい姿が映った。
(ミュラー!?)
ナイトハルト・ミュラーはギュンター・キスリングと同年齢で士官学校の同期だ。
しかし、懐かしさに思わず挙げかけた右手は寸前で止められた。
軍服が自分の着ているそれとは違うことに気づいたからだ。
自分は佐官用。
そして、彼の着用している軍服は遠目に見ても将官用だ。
(やはりあれはヤツのことだったのか)
キスリングは本日付で新設された親衛隊へと配属されることになっている。
これは今回ローエングラム公ラインハルトが新たに配置した部署で、彼は大佐として親衛隊隊長の役職を拝命する。
彼は配属に先立ってローエングラム元帥麾下の主な武官の名簿を手渡されていた。これは配属に当たって挨拶すべき人間の名を連ねた書類ともいえる。
その1ページ目の何行目かにナイトハルト・ミュラーの名があった。
階級は大将。
この人物の士官学校卒業年度はキスリングのそれと同年であった。
その時点で彼は、このミュラーなる人物が自分の知るミュラーであるという確信を得ていたが、いかんとも信じ切れなかった。

士官学校時代のミュラーの姿がキスリングの脳裏に浮かぶ。
彼は年齢より2つ3つ幼い容貌を持ち、その砂色の瞳には穏やかな光を称える温和で物静かな少年だった。
正直、出会った当初キスリングはミュラーの人となりは軍人に向かないのではないかと思っていた。
しかしどうして、彼はよくやった。
キスリングの記憶が正しければ、ミュラーは士官学校で常に上位の成績を誇っていたはずだ。
そして彼はキスリングの当初の予想に反して、その穏やかさの中に普段は決して見せることのない激情も秘めていた。
特に艦隊戦を想定したシュミレーションの授業などではどこにそんな根性を持っているのかというほど粘りが強く、負けん気が強かった。
その性分に比例するように件の授業の成績は常に上位だったはずだ。
しかし、めったにない敗北などこうむった日などは本気で悔しがっていた。
そんな彼をなだめるのに友人達が手を焼いていた光景が、今でも昨日のことにように鮮明な映像としてキスリングには思い出される。
卒業時、そんなミュラーとキスリングは、また何処かで会おうと握手して別れた。
ミュラーの少年の面影が残る容貌には笑顔が浮かんでいた。
キスリング自身も笑顔で別れたような気がする。

あれからもう7年の歳月が流れている。
自分は今、ローエングラム体制下の軍隊で大佐の地位を得た。いくら戦時であるとはいっても、20代後半で大佐とは見事な出世であろうと多少なりとも自負していた。
しかしミュラーはどんな軍隊生活を送り武勲を立ててきたのか、今や帝国軍大将閣下である。
それも、ローエングラム公ラインハルトの麾下に名を連ねて、である。
これは現在の帝国では充分なステータスとして認識される。
不思議なことに、同期のとんでもない出世に対して嫉妬といった類の感情は持ち得なかった。
(再会を約しはしたが、まさかここで会うとはな)
キスリングは旧友の出世具合にどこか納得している自分を感じ、無意識に口の端を満足げに上げるのだった。

果たして、そんなことを考えてる間に相手はもう眼前に迫っていた。
「キスリング。久しぶりだな」
そう言って両腕を広げ思わぬ再会を喜ぶミュラーは士官学校時代と変わらぬ温和な笑みをたたえていた。
しかし、卒業時の少年っぽい幼さはもう既に過去の遺物になってしまったらしく、相変わらずの柔らかい雰囲気の中にも精悍さが色濃く浮かんでいる。
男の顔になった。
キスリングは素直にそう思った。
彼が知る士官学校卒業時のミュラーが一瞬の幻影のように今の彼に重なり消えた。
その時ふとキスリングはこの同期の出世頭であろう砂色の男を少しだけからかってやりたい思いに駆られた。
そして、むくむくと彼の中にわき起こった衝動はそれを瞬時に実行させるのに成功することになる。
彼はいかにも自然に姿勢を正すと、目の前の大将に敬礼をした。
一瞬、ミュラーが呆気に取られるのが分かった。
何故自分に対して恭しく礼を取るのかといった表情だ。
そんな彼の思いをキスリングは正確に読み取り、
「上官には敬意を払わなければなりません」
と、まだ現場に慣れない新兵が上官に対するように、正確にマニュアル通りの回答を仰々しくしてみせた。
その態度に少しだけ冗談という成分を混ぜてみたキスリングだったが、これはミュラーという人間を知り、士官学校時代の5年間を共に重ねた彼だからこそ出来得ることだった。
当然のことながら、普段職務に忠実なキスリングは他者の前ではこのような態度は絶対取らない。あくまで相手がナイトハルト・ミュラーであるからだ。
「やめてくれキスリング」
案の定、ミュラーの砂色の双眸に困惑の色が浮かんだ。
「しかし今は大将閣下であります」
それでもキスリングは最敬礼に近いのではないかという姿勢を崩さない。
「キスリング、頼むからよしてくれ」
ミュラーは真剣に困ったような様子で、硬い光沢のある銅線のような髪色の同期生に懇願した。
キスリングはそんな旧友の情けない姿に当時に戻るような錯覚を覚える。
知らず黄玉<トパーズ>の瞳が愉快気に細められた。
「冗談だよ」
言いつつ、指先にまで神経を行き届かせ礼を取っていた右手をゆっくりと下げ、久しぶりだなと当時を再現するかのようにその手を差し出した。
すると大将閣下にあからさまな安堵の色が浮かぶのが見て取れた。
「まったく、お前は・・・」
柔らかな笑みがこぼれ、キスリングが差し出した右手は固く握り返された。

「士官学校卒業7年で大将か。大したものだな」
「卿こそ、大佐とは立派なものではないか」
「まさか、ここで会えるとは」
「まったくだ。当たり前のことだが、あの頃は予想だにしなかった」
「お互いにな」
「ああ」
お互いの偉業を称える言葉に嘘はない。
ひとしきり再会の感慨にふけると、おもむろに新任大佐が口を開いた。
「それにしても、あの物静かな坊やが大将閣下とは」
しかし冗談めかした言葉は、ミュラーには通用しなかったようである。
感動はどこへやら、意識するより幾分早く反応した片眉がピクリと動いた。
砂色の瞳が鋭く細められる。
「坊やとは頂けない言いようだな」
その声音も心なしか低くなっている。
旧友の口から出た言葉に引っ掛かる物を感じたのだ。
「お前は少なくとも見た目は坊やだった」
そんな視線をものともすることなくキスリングは言い切った。
確かに当時のミュラーはキスリングの印象通り、年齢より幼く見られることが多かった。しかし当の本人は早く大人に、せめて年齢相応でありたかったから、そう見られることが不満でならなかった。
それは一種のコンプレックスであったのかもしれないと、今のミュラーは当時を振り返る度そう思う。
何故なら、士官学校に入り軍人を目指すという理由の一つには、そんな感想を漏らす周囲を見返してやりたいという願望も確かにあったのだから。
それにしても、やはり同年のキスリングにそれを言われるのは面白くない。
知らずその表情は憮然としたものになっている。
そんな彼を眺めつつキスリングは続けた。
「それでも、ナイトハルト・ミュラーという坊やは、見た目と中身は違うという生きた証明のようなヤツだったと俺は記憶してる」
これは別に相手の怒りを静めるためにねつ造した嘘では決してない。
キスリング自身が昔から持ち続けるナイトハルト・ミュラーに対する感想である。
「少なくとも俺はだが」
二つの黄玉<トパーズ>から柔らかい光が発せられた。
次いでこの旧友が硬い光沢のある銅線色の髪をクシャリと一つ掻くと、この日の為に整えたであろう髪の数房があらぬ方向を向く。
「何となく予感はあった。出世するだろうと。これほど早くとは思いもしなかったが」
そんなキスリングの言葉にミュラーは静かに目を閉じうつむくと、ふっと一つ小さな笑いの粒を漏らした。
「キスリング、知ってるか?」
質問者の意図が掴めないキスリングが幾分訝しさを含んだ表情をミュラーに投げかける。
投げかけられた方はその表情を正面から受け止めると、
「俺は士官学校時代、白兵戦がらみの授業で一度もお前に勝ったことがないんだ」
と、おもむろに口にした。
キスリングはそんな事実あったかと記憶のスライドを一枚一枚捲るように急いで巻き戻した。
それが事実ならば、ミュラーにとってそれはひょっとしたら汚点の部類に入るのかもしれない。しかし、この若い青年提督はそのようなことは意に介していないとでも云うかのように爽やかな表情を自分に向けている。
「同期で一度たりとも勝利をもぎ取れなかった相手がお前なんだ」
確かにキスリングは士官学校の白兵戦絡みの授業は得意分野だった。
実際、チームで挑まねばならない課題なら毎回のようにチームの核の1人になっていたし、個人の模擬戦に至っては負けたという記憶がほとんどなかった。それは云うまでもなく、その系統の実戦授業に強かったからにほかならない。
それにしても、ミュラーに一度たりとも負けなかった事実はあったろうか。
これには、当のキスリングもはてと首を傾げざる得ない。
「記憶にないか?」
正直、無い。
ミュラーと対戦したことは何度もあった。それこそ、数え切れないくらい。
しかし、負けた記憶は・・・
そう言われてみれば、無い。のかもしれなかった。
少なくともミュラーに負けたと悔しがったことは一度もないような気がした。
もっともミュラー自体が全同期生の中でも優秀だったから、キスリング自身彼に負けても後を引くような悔しさを味わったことがないのかもしれなかった。
どうにもその辺が自分でも曖昧だ。
「お前、相変わらず猫のような歩き方してるのか。俺にはあれで苦しんだ記憶も結構な数ある。音も気配もないから背後から一突きされる確率が半端じゃなかった」
そう言ってミュラーは変わらない穏やかで優しげな微笑をキスリングに向けた。
「それは・・・知らなかった」
士官学校以来、初めて耳にする事実だ。
当時、到底敵わないのではないかと思っていた相手を知らず知らずのうちに苦しめていたとは。
そもそもミュラーとキスリングは同期でお互い顔見知りとはいっても、決して仲の良い友人同士というわけではなかった。かといって仲が悪いというわけでもない。つまり、2人は必要があれば会話するし行動もするが、お互い胸の内を語り合うというほどの関係ではなかったのだ。
それが今、こうして再び巡り会うことによって、まだ若く幼かったであろう自分達の思惑と記憶をお互いにさらけ出し合っている。
不思議なものだな。
それはどちらが覚えた感想であろうか。

「しかし、ローエングラム公が台頭しなければ俺たちがここで再び巡り会うこともなかったのかもしれない」
現在の帝国をほぼ手中に治める若く華麗な黄金色の元帥の名をミュラーが感慨深げに口にすると、
「そうだな」
とキスリングも同調し深くうなずいた。
「時代は正に今変わろうとしている」
黄玉<トパーズ>色の視線が晴れ渡った空に向けられ、それを追うように砂色の視線も己の遙か上方に移される。
どこの部隊であろうか。
その時、数隻の艦艇が澄んだ空に吸い込まれるように舞い上がっていった。
多分に漏れず彼らは、オーディンのこの晴れ渡った空を抜け、成層圏に達し、そして星々が煌めく大海に躍り出るのだろう。
遙か上空に消えていく艦艇群を視線で追いながらキスリングが感慨深げに呟く。
「多くの臣民が長い間切望しつつも、叶えられなかった方向に」
「よりよき未来に・・・か」
2人は互いに顔を見合わせると、何かを確認するようにうなずき合った。
今は地表にその身を置くキスリングも、そしてミュラーも、青い空の遙か遠くに確かに存在する広大無辺な星々の海に同時に思いを馳せるのだった。


<END>



キスリングとミュラーって多分同期なんだよなー。だったら、この2人の士官学校生活ってどんなだったんだろう。きっと2人とも成績は優秀だったんだよな−……というところから妄想がはらんだ作品です。お話の時系列的にはリップシュタット後、ラインハルトが宰相になった直後くらいです。