ある日の日常〜鉄壁さんと隊長さん〜






皇帝ラインハルトが自らの結婚の意思と皇妃となるヒルダの懐妊を公式に発表した新年、帝国はお祝いムードに包まれた。
それは帝国軍の高官達も例外ではなかった。
そんな新年から数日後、高級士官クラブ「海鷲」で幾人かの将帥達と杯を交わしたキスリングは、同じくその場にいたミュラーと共に夜のフェザーン市街へと繰り出した。
辿り着いた先は、ミュラーが行きつけだという小さなバー。
落ち着いた雰囲気のそこで二人は奥のテーブル席に陣取り酒を酌み交わしていた。

「あぁ、ついに皇帝もご結婚あそばすのか・・・しかもフロイライン・マリーンドルフは既に懐妊しているという・・・」
ミュラーがウィスキーのボトルが置かれたテーブルに正面から突っ伏した。
最初の「海鷲」から、かれこれ3時間は飲み続けている。酒量自体は限界を超えるものではなかったが、日頃の激務と新年の喜びとでお互い多少ではなく酔っていた。
「なんだ、お前は嬉しくないのか?」
意外だという顔のキスリング。
右手には半ばまで茶色い液体で満たされたグラスを持っている。
「嬉しいに決まってる。これが最上の喜びでなくて何とする」
テーブルと接吻した格好のままのミュラーの声はくぐもっていた。
その声音にはアルコールの成分が含まれている。
「では何故そんなことを言う」
グラスに口を付け、軽く一口含みながらキスリングは素朴な疑問を士官学校同期の僚友に投げかけた。
「・・・・・・」
が、ミュラーから即座の返答は得られなかった。
キスリングは待った。
だが回答を求められた相手は何も語らずテーブルと熱い接吻を交わし続けている。
「おい、ミュラー。何故そんなことを言うんだ」
とりあえず再度問いかけ、尚も得られない返答を待ちながらもう一口。
だが、砂色の頭部は一向に動く気配を見せない。
いい加減寝てしまったのかとキスリングが諦めたその時、砂色の瞳を酒で赤くしたミュラーがおもむろに顔を上げた。
「聞きたいか?」
「は?」
「聞きたいのかと聞いている」
こいつは何を言ってるのか。
聞いているのはこっちだと一瞬脹らみかけた怒気を押さえ頷いてやる。
「聞きたいに決まってる」
と、ついでに、多分ミュラーが望んでいるであろう言葉も追加して。
すると砂色の頭が大きく頷き、おもむろに話題を切り出した。
「お前、今年いくつになる」
それは最初の展開からは驚くほどかけ離れたものだった。
「は?」
この飛躍具合にキスリングのトパーズの瞳と口はキレイな丸を描いた。
酒が入ると人間意味不明の言動が多くなるものだが、これもその一種か。
しかも、そんなことはお互い分かりきってることではないのか。
「31だ。三十路の壁は去年越えた。」
事実を正確に述べ、腹立ち紛れに余計な一言も付け加えてみた。
しかし酔いの回ったミュラーはそんなことを意に介しもしない。
「俺もだ」
当たり前だ。
「だよな。31だよな」
まるでキスリングに対して呆れるようにアルコールで焼けた熱い溜息を吐くとミュラーは再度テーブルに突っ伏した。しかし、すぐにムクリと起き上がる。
「で、恋人の一人や二人いるのか?」
この質問にはそれまで幾分冷静だったキスリングも口に含みかけたウィスキーを吹き出しかけた。
「お、おまえ!」
いくら酒に酔ってるとはいえ切り出されたくない話だったからだ。
ミュラーも年がら年中仕事に追われ1年365日果たしてどのくらいの期間地上の重力に身を任せるのか分からない身だったが、これはキスリングも同様のことであった。しかも彼の場合、休むことを知らない生ける美神に直に付き従う身の上だ。バイエルラインではないが、正に仕事が恋人状態なのは明白である。
「いい加減にしろよ。さっきから黙って聞いてればグダグダと。大体、お前、俺の質問には全く答えてないではないか」
一気に気色ばんだキスリングは先ほどから舐めるように飲んでいたウィスキーを一気に飲み干し、席を立とうとした。
「ちょ、ま、待て。待て、キスリング」
これには酒に支配されたミュラーもさすがに焦った。
「違うんだ。そうじゃない。だから待て!」
今にも飛びかからんばかりの勢いで慌ててキスリングを引き止めにかかる。
「じゃあ、何だと言うんだ」
キスリングはふんと鼻を鳴らさんばかりの勢いでミュラーを見下ろした。
「聞いてくれ」
まるで嘆願するような情けない鉄壁の要請に若き親衛隊長は思いの外あっさり折れた。
聞いてやるという尊大な態度を隠しもせず、ドスンと椅子に座り直す。
「俺はな、キスリング」
そこまで言うとミュラーは言葉を切って、うつむいた。
「なんだ」
キスリングの鋭い視線がミュラーに突き刺さる。それは常人なら萎縮して言いたいことも言えず終いになるような威圧感のあるものだった。
しかし今のミュラーにそんな眼光は関係ない。
「本当は」
「だから、なんなのだ」
キスリングはイライラした。
普段は猫にも豹にも例えられる足のつま先がもどかしさに床をカツカツ叩き出している。
「酔いが覚めちまうだろ」
いよいよ隊長も我慢の限界かというすんでのところで、鉄壁がおもむろに顔を上げ、一気にその内に秘めた思いをぶちまけた。
「皇帝<カイザー>が晴れて御結婚あそばすなら私もそれに倣いたかったのだ!」
キスリングは目まいを感じた。
いや、これは皇帝<カイザー>の忠臣であれば当然の思いであるかもしれない。
あるかもしれないが、今や帝国の重鎮たるナイトハルト・ミュラー上級大将が酒にまみれて、士官学校同期の知らない仲ではないといえ階級的には下の自分に、今にも号泣し出さん勢いで激白してしまってもいいものなのか。
発言の内容は賞賛されるべきものであるかもしれないが、このタイミングが・・・問題のような気がした。
とてもじゃないが下の者に見せられるものじゃないだろう。
キスリングは内心頭を抱えながらそう思った。
「お前は、そうじゃないのか?」
今は彼の心中など知るべくもないミュラーが半ば座り掛けた目でキスリングの顔を覗き込む。
「それは・・・」
違うと言えば嘘になる。だが何となくここでそう答えてしまうのは嫌な気がした。
だから他者に力を借りることにした。
「そういえば、先年天上<ヴァルハラ>に召されたシュタインメッツ提督もそんなことを言っておられたと聞いたことがある」
「ああ、提督か。提督な。あの方には5年来の恋人がいたらしいな」
「らしいな」
頷いてキスリングははたとなった。
自分が今、別の地雷を踏んだような気がしたからだ。
「5年・・・お忙しい提督を5年の間黙って支え続けた女性がいたんだ」
「あ、ああ。そうだな」
己の額からツーと流れる汗をキスリングは感じざる得なかった。
来る。これは来てしまう。
ミュラーがテーブルに置いた両手をぎゅっと握りしめるのが見て取れた。
「なのに、俺は。俺たちは!」
どうやら天上<ヴァルハラ>におわすシュタインメッツ提督はキスリングに力を貸してくれそうにはなかった。
どころか、いつの間にかキスリング自身もミュラーの仲間に含まれているようである。
しかし実際のところも彼とは志を同じくするもの同士。
同じ旗の下に同じ主君を仰ぐ僚友には違いない。
だが、今のミュラーに仲間呼ばわりされるのは何となく遠慮したかった。
長い夜はまだまだ終わりそうにない。



<END>




お酒を買いに行って思いついたお話です(汗)ちょっと君たちサシで飲んでみないかい?と(笑)往路で1つ。復路で1つ。合わせて2つ。1本にまとめようかと思ったのですが長くなったので、とりあえず往路分だけ(笑)残った復路分はいずれまた・・・。