消せない罪 その名は妄想





「よぉ。キスリング。ずいぶんと眼福したんだってな。」
久しぶりに海鷲でのミュラーとの待ち合わせに早く着いたキスリングはビッテンフェルトに背後から急にこう切り出されて危うくグラスの酒を取り落としそうになった。
「・・・閣下。失礼ですが何をおっしゃっておられるのか小官にはわかりかねますが。」
「なんだ?とぼける気か?ネタはあがってるんだぞ。」
ビッテンフェルトはそう言うとニヤリと笑い、片目を閉じ、キスリングの嫌な勘はどうやらあたりのような雰囲気だった。

「キスリング。遅れてすまなかったな・・・」
そう言いつつドアを開けたミュラーは同期の隣に腰を下ろしている年長の僚友の姿を見ると、無言できびすを返そうとした。
「どうしました?ミュラー閣下。少々早く着きましたが気にされずともよろしいですよ。」
キスリングの黄玉色の瞳が逃亡は許さないという念を固形化したような勢いでミュラーを射抜いた。
「よぉ。ミュラー、卿も災難に遭いつつも眼福もしたそうだな。で、どうだ?大佐とお前のリーゼンフェルト嬢は。ばっちりだったんだろ?」
ミュラーがけして同階級の者には見せない殺気に満ちた視線をキスリングに投げつけると、相手は思い切り首を横に振り、察したビッテンフェルトがネタ元への誤解を訂正した。
「こいつではない、嫁さんのほうだ。サンダルフォン大佐に聞いた。ばっちり見られた、と言っていたぞ。」
ちらりとミュラーを見ると、珍しくも青くなったり赤くなったりしている。ルシエルがどのような話をこの猪にしたのかが気になっているのだろう。これは後で大変だ、とキスリングは嵐の原因の銀の髪を思い浮かべた。
(ルシエルのヤツ。・・・帰ったらとっくりと教えてやる必要がありそうだ。口は災いの元ってことを・・・な。)
そう内心で一人ごちるとキスリングはグラスの酒を一気に煽り、次を注いだ。そんな同期の傍らに腰を下ろしたミュラーの脳内にまたもや、一瞬垣間見ただけのルシエルの豊かな肢体がよぎり、ぎょっとして半身を引きつつ傍らのキスリングに気まずげな視線を走らせるが、彼はそんなミュラーの内心に気がついた様子はない。

「で。実際どうだった?俺は大佐の方はま、実物はとっくに拝んでるからいいんだが、キスリングは?ミュラーの相手をどう見た?」
「は?実物?」
思いがけない発言にミュラーがつい声を裏返らせて反応し、キスリングを見ると彼は天を仰いでいる。
「ああ、拝ませてもらったと言っても俺と大佐がどうこう、というわけではないぞ。ミュラー。色々と大佐には世話になってな。その時の成り行き、というか・・・あぁも堂々とされるとそれはそれで興がそがれるが、しかし随分と挑発的なウサギだったわけだが。なぁ、キスリング。あの折はお前にも世話かけたな。あの後は無論・・・だったわけだろ?」
しばらく前にルシフェルの悪戯で、とんでもない光景が繰り広げられたことを言っているのだろう。
「はぁ・・・。まぁ、それなりに・・・と。何を言わせるんですか。」
キスリングは力なく笑うしかないが、ふともう一匹のウサギが脳裏に蘇る。ルシエルの見立てもあるが随分と露出が多くこぼれんばかりの有様で恥らう様子は自分には経験のないもので余計に扇情的だったと思い至る。

同期の目にふと宿った好色な気配にミュラーは唖然としつつも奥底の声が囁くのを自覚していた。
(ウサギ・・・バニーか。とてもフィリーネには頼めない・・・。ビッテンフェルト閣下みたく大佐に・・・。いや、彼女にしたってどんな顔して頼めば・・・てか余計なこと言われて俺の人格じたいを疑われかねないかも。ああ、俺って。)
「ま、色々と大佐には世話になっているわけだ。そういえば先日のもなかなかだった。しかしあれだ。あの彼女がいれば早々中だるみとか倦怠期とかもなさそうだな、キスリング。いやはや俺もなかなかに自信があるほうとは思ったが、卿にはどうもかなわんようだ。しかし、まぁ。お前も見かけによらんもんだな。ミュラーもあれだ。刺激が欲しければ大佐に頼んでみるといい。驚く趣向を考えてくれるぞ。」
「ちょ・・・少々お待ちください。アイツはいったい何を閣下にしゃべったんですか!?」
「おや?いいのか?ミュラーの前で話題にしても?」
ぐっと息を呑むキスリングを置いて、ビッテンフェルトは体ごとミュラーに向き直るとこう言った。

「でだ。ミュラー。先日の話だが、大佐とビアンカだったらまぁ胸の迫力はビアンカのほうだが、大佐は鍛えた軍人なだけあってなかなかにいい脚をしてるんだぞ。特に足首のしまり具合がだな・・・と。」
と、途中で言葉を切るとキスリングを見やってニヤニヤと笑みを浮かべる。見られたキスリングの方はというと諦めなのか涼しい顔をしている・・・ように見える。
「で、ミュラーのところは後ろのラインがいいわけだよ。足すと相当なのができる、と思うんだがな。」
「何を言ってるんですか。何を。」
「いや。先日の会議でふと気がついただけ・・・と、怒るな。怒るな。あちらさんの軍服はスラックスだろが。」
ミュラーとビッテンフェルトの様子を傍らに一人グラスを重ねていたキスリングがぼそり、と発言した。
「それだと砂時計みたいになりませんかね。」
「リーゼンフェルト嬢は確かにひ・・・細い・・・うんスレンダーですからウェストが締まっててもいいんですが、うちのや補佐官殿に同じレベルを要求すればこっちはバランスを著しく欠くのではないかと思うんですがね。」
そう言われてビッテンフェルトは考え込むように宙を睨むと、手で『何か』を描くように動かした。
「うむ。言われてみると・・・そうなるやもしれんが。」
「でしょう。まして身長もそれぞれ・・・なわけですし。」
「そう言えば黄金比がどうだとか、ビアンカが言っていたな。」
「でしょう。」
「要はバランスと・・・。そう言いたいのか?キスリング。」
「それぞれがそれぞれに合うようにできてる・・・そういうことですかね。」
どんなに魅力的なパーツでもバランスを欠けば無様このうえなかろうし、何よりも彼女の中身がないときっと反応に自分は満足できないだろう、とそこまでは口にせずキスリングはもう1杯酒をあおる。

「よってたかって喧嘩売ってるんですか。」
二人の会話を口を挟まずに黙って聞いていたミュラーが可聴域ギリギリの低い声で呟いた。
「いや、けしてそういうわけではないぞ。前にも言っただろうが羨ましい時もあると。」
「そう言いつつ自慢して聞こえるんですがね。」
言い争いを始めた二人をグラスをあおりつつ眺めていたキスリングが急にガタンと音を立ててグラスを置いた。
「お前な。そんなに突っかかるってことは実は彼女の胸に一番不満なのはお前じゃないのか?」
「あ?」
「不満がないなら黙ってりゃいいんだよ。それを突っかかってくるってことは不満が内在してるってことだ?反論できるか?」
キスリングの言葉にミュラーは唖然とした表情を見せた後、ぐっと言葉に詰まる。そんな同期をどこか冷めたような目で見ながらキスリングが止めを刺した。

「手に届くから不満もでる。だが、それも考えるだけ、手出しできないって事態になってから臍を噛んだって始まらんってことだ。わかったか?ミュラー。」
(こいつ・・・・酔ってる。逆らっちゃ危険だ。)
長年の付き合いで察したミュラーはビッテンフェルトの服のすそをそっと引く。猪突だのなんだのといわれる彼だが、歴戦の猛将でもある証明に危機を察知する能力に衰えはなかった。無駄な攻撃は避けるべし。攻め時は別にある。

「なるほどなぁ。まぁ、俺も実際目はいくが恐ろしくて手を出そうとまでは思わんからなぁ。」
ビッテンフェルトがしみじみとそう言い、自分の酒を飲み干す。
「まぁ。想像するだけなら・・・できればそれもやめて欲しいですが。」
語尾を小さくにごらせながらミュラーもそう言うとグラスを空にする。
「ま、さすがに聞かれたら困るからな。こんな話はここだけのことにしとくに限るが。」
前回もそんなこと言って今話題にしてるのは誰ですか?と突っ込みたいミュラーだがとにかくその言葉はひとまず飲み込んだ。
「では。俺はこれで失礼させていただきます。」
ワンフィンガーほど残っていたグラスを空にしたキスリングは席を立つ。
「なんだ?もう帰るのか?」
「ええ。手に届くうちに。それにどうやら聞かねばならないことも判明したようですしね。」
答えたキスリングの黄玉色の目にひらめいた光を見たビッテンフェルトは、この男を怒らせることは避けたほうが無難と肝に銘じた。
「じゃ、俺も帰るとするか・・・。どうも飲みすぎたようだ。」
一瞬自失したようなビッテンフェルトだが、我に返ると席を立ち、ウェイターに地上車の手配を頼んだ。
「え?閣下もですか。」
「ああ、疚しい話題の自覚が急に出た。そうすると会って反省したくなったのでな。卿も戻るなら戻ったほうがいいだろうな。ではな。」
そう答えるとそそくさとミュラーを置いて去っていった。あとに取り残されたミュラーは呆然としていたが正面に向き直るとグラスにこぼれんばかりに酒を注ぐ。会うも何もすでに一緒に暮らしている彼らと違い、ミュラーの愛しい彼女は公務のためすでに宇宙船の上である。
(なんだよ・・・。好き勝手言いやがって・・・・。・・・てちょっと待って。あの二人勘定払ったか?)
かくてミュラーの声なき咆哮が海鷲にむなしく響くのだった。

〜Ende〜



真帆片帆」ゆうやん様から頂きました。
「隣の花は赤かった」→「酒の肴は突然に」→「a guilty conscience」から続くお話です。リレー小説のようになってきました(笑)故にゆうやんさん宅のお嬢様に加えて、すぎやま由布子さん宅のお嬢様も出演されてます。