雪の贈り物





朝目を覚ますと自分の隣はもぬけの殻だった。
彼が昨夜確かに寝ていた筈の場所を手で触れるとひんやりと冷たく、だいぶ前に彼がベッドを抜け出したことは明らかだった。

フィリーネは急いで身支度を整えるとリビングへと向かった。
リビングに続く扉に手を掛け一歩中に足を踏み入れると、充分すぎるほど暖められた空気が全身を包み込んだ.
だがそこにも彼の気配はなかった。
「ナイトハルト?」
それでも彼の名を呼び窓辺へと視線を遣ると、窓外には雪景色が広がっている。

「フィリーネ?」
突然の背後からの耳慣れた声に振り返ると、そこには探し人が帽子に手袋にコートというあからさまな冬の装いで立っていた。
「起きたら何処にもいないからどうしたのかと…」
これから外出でもするのかと思いつつも漸く発見することが出来た恋人の姿にほっと肩を撫で下ろして笑顔を向けるフィリーネの手をおもむろにミュラーが引いた。
「ちょっと来てくれないか」
「え?」
「ああ、その前に何か上着を羽織った方がいい。外は寒いから」
こんな寒い日の朝に外に出るなど有り得ないと考えつつも彼の言うことに従うべく、コートを取りにリビングを出ようとしたフィリーネの背を、しかしミュラーの声が押しとどめた。
「待って。これを着ればいい」
言うが早いか後ろからミュラーの大きなコートがフィリーネの全身を覆う。
しかしそれでは彼のほうが厳寒の中丸腰に近い状況になってしまう。
「でもこれじゃ貴方が…!」
「いいよ。俺はもう充分に温まったから…」
言いながら自分のマフラーと帽子を彼女にそそくさと着けさせた。
「手袋がないと厳しいな」
「それなら、そこに…」
二人同時に向けた視線の先のテーブル上にフィリーネの手袋。
「じゃあ、それを…」
ミュラーの指示に黙って頷いたフィリーネがこれから何が起こるのかと首を傾げながらも手袋を着け終えると、彼は再び彼女の手を引き玄関へと足を早める。
いつもとは違う彼の強引さに内心で多少の驚きを感じつつも、目の前に広がる広い背を見つめていると、ふと彼の全身に冬の冷気が纏わりついてることに初めて気づいた。
「ねえ、ナイトハルト。もしかして貴方ずっと外にいたの?」
「ああ…」
頷きながらも彼はこちらを振り返らない。
どうやら今の彼は屋内から屋外へと出ることに躍起なようである。
何がこの人をそんなに駆り立てるのか。
果たしてフィリーネには全く理解出来なかったし、予測もつかなかった。

開かれた玄関の扉の向こうはまさしく銀世界だった。
降り積もった雪に反射する朝の陽光の眩しさにフィリーネは思わず目を細める。
「昨日一晩中降っていたからね」
楽しそうにそう話した広い背は何処か満足げに見えた。
おもむろにくるりとこちらを振り返ったミュラーの砂色の瞳は案の定楽しげに細められている。
「約束しただろ?」
「え?」
「クリスマスに…」
「クリスマスに?」
「ああ、覚えていないのかい?」
フィリーネの眉が訝しげにひそめられる。
正直なところ、『約束』の記憶がなかったのだ。
「…ごめんなさい…」
楽し気に笑む彼に申し訳ないと思いつつも覚えてないのだから仕方がない。
素直に謝った。
だが、対するミュラーはそんなことを別段気にする風もなく「そう」とだけ言い残し、前方にスタスタと歩を進めてしまった。
「ナイトハルト…!」
フィリーネは慌ててその後を追おうとした。
するとその時、先を行くミュラーが彼女を招くようにほらと片手を前方に掲げ振り返った。
視界が急速に開けていき、次の瞬間、まるでスローモーションのように青い瞳が見開かれる。
「これ…」
それはフィリーネの身長と同じくらいの大きな雪だるまだった。
「頭のバケツと腕のホウキは掃除道具入れ…それから目と鼻と口の炭は…その…前に調達してきていたんだ」
この時の為に…という言葉はさすがに気恥ずかしくて口に出来なかったが、フィリーネの自然な驚きはミュラーの心をひどく満たしてくれて、本当はあえて説明する気などさらさらなかった雪だるまの素材についてまで得意げに披露する結果となってしまった。
「それからさ…」
言いながら彼は突然小走りに雪だるまに駆け寄ると、何事かと見守るフィリーネの目の前でそれに被せられたブリキのバケツをさっと取り払う。
「約束したろ?」
そこにはちょこんと雪で作られた小さなうさぎが乗っていた。
そこに至って漸くフィリーネの脳裏にクリスマスに交わしたミュラーとの会話が蘇る。

『残念。今年は大雪だって言うから、作ってもらおうと思ったのに』
『…そうだね。この手袋があるから凍傷はしなさそうだよ』

雪が積もると凍傷寸前になるまで雪だるま作りに熱中していたという士官学校時代のミュラーのエピソードをキスリングから聞いたフィリーネが何気なく発した言葉を彼は約束として覚えていてくれたのである。
何とも言えない感慨に呆然とするフィリーネの瞳の中で、雪だるまの頭に乗せられた白いうさぎがそっとミュラーの手に依って抱かれる。
そんな彼の手を包むのはフィリーネから贈られたグレーの革製の手袋。
「ほら」
「…ありがとう」
うさぎは製作者の手からいとも簡単に依頼主へと手渡された。
全身の全てが真っ白な雪で形作られたうさぎの耳には緑の葉が、瞳には赤い実が埋め込まれていた。
「尻尾が…」
その部分にはまんまるの小さな雪玉がくっ付いている。
「かわいいと思うんだけど…どうかな?」
見上げた視界の先で製作者が照れたようにぽりぽりと頬を人差し指で掻いた。
思わずミュラーに抱きつきたい衝動に駆られたフィリーネだったが、雪うさぎの末路を鑑みてそれは我慢することにした。
その代わりに満面の笑みが端正な顔に花開くと、
「良かった…」
心底ほっとしたようにミュラーは白い息を吐き出した。
「嬉しい…。本当にありがとう」
そしてフィリーネの口から出された感謝の言葉もまた真っ白だった。

こんと軽い衝撃がミュラーの胸に走り、金色の頭がもたれかかる。
応えるようにふんわりと静かにフィリーネの全身を包むと、白いうさぎもまた二人に包まれる格好になった。
「せっかく作ってくれたのにきっと溶けちゃうね」
「また作ってあげるよ」
「うん…」
「来年も再来年も…ずっと」

遠い空に、何処かの子供たちの雪遊びに興じる楽しげな笑い声が響き渡っていた。


<END>

Heaven's Kitchen」のすぎやま由布子様へ捧げます。
頂き物「Pleasure」の後日譚です。すぎやまさんの「ミュラーはフィリーネに可愛い雪うさぎを…」という旨のコメントに激しく食いついて書かせて頂いた一本です。ダメだと云われても書きますから!と密かに思っていたのはここだけの話。秘密にしといてください。え?無理ですねwwわかりますww