Sense of guiltiness





「おいビッテンフェルト。あの少佐とミュラーが付き合ってるという話は本当か?」
「あ?」
会議半ばの僅かな休憩時間。
ファーレンハイトが顎で指した先にはフィリーネの姿があった。
「ベルタが言ってたぞ」
その時ビッテンフェルトは思い出した。そういえば何時だったか酔った勢いでミュラーとフィリーネが男女の関係にあるらしいことを姉のベルタに話してしまったことがある。だがそれは二人のどちらか一方に直接確認したことではなかった。
「知らん!」
真実だった。
彼は二人が仲良く肩を並べる姿を目撃しただけなのだ。それを都合の良いように解釈しただけなのだ。だから酔いが覚めた後、ベルタに訳を話し口止めをしたつもりだった。しかし、まんまとファーレンハイトには伝わっていたようだ。
「俺は確かに聞いた」
「ち、違うぞ。姉貴が卿に何を言ったか俺は知らんが、俺も知らん!」
顔を左右に激しく振り否定の意を示してみせるが支離滅裂な言葉は逆効果でしかなかったようだ。眼前の薄い水色の瞳が酷薄そうに細められる。
「真実なんだな」
言うや否やすたすたとファーレンハイトは長い足を噂の片割れに向けた。
「お、おい!ファーレンハイト!」
慌てて手を伸ばすが水色の提督は我感ぜずとばかりに歩を緩めない。
「卿も聞いてるだろ。あれは俺が勝手に考えたままを話しただけだ。謂わば想像でしかない。真実かどうかなぞ当のミュラーにさえ確認しておらんのだ」
「知るか。だったら片方に確認するまでだ」
「ちょっと待て。待たんか。ならば今この場でそれもご婦人側に確認することもあるまい」
するとファーレンハイトの足がぴたと停止した。内心でビッテンフェルトはほっと胸を撫で下ろすが、それはただの気休めに過ぎなかった。
「卿は今まで何度嫌な目にあった?」
「ん?」
「ミュラーだよ。あいつは悉く嫌な場面に存在しているのだ」
それがミュラーの裏の二つ名である『フォーカス・ミュラー』を指していることは明白だった。
「見られても命には関わらない。キャリアにも傷は付かない。しかし人として羞恥を感じる場面に何故だかヤツは存在する。そして喋る。限度は心得てるようだが、せめて我らの目の届く範囲においては全て暴露する」
違うか?と食うために軍人になった男の顔がずいと近づけられると勇猛果敢で知られた猪は思わず頷きそうになる自分を必死で抑えた。
「だ、だがな、そんな裏付けも取れてないようなことを話題の端に乗せてどうするのだ。卿は確認すると言ったが、場合によっちゃ失礼極まりない話だとは思わないのか」
対して、眼前でニヤリとファーレンハイトの顔が醜く歪んだ。
「余興だよ」
ビッテンフェルトの背を極寒の風が吹き抜けていった。

「ねぇ…」
自宅への扉を開き、挨拶代わりの軽いキスを交わした後にポツリとフィリーネが呟いた。
ミュラーはその言葉尻に得体の知れない不安を感じ、腕の中の恋人を心配げに覗き込む。
「何か…あったのかい?」
その問いに視線を合わさずうつむいたままコクリと一つ頷く彼女に何があったのか。
ミュラーの中に不安の雲が重く垂れ込める。
「ナイトハルトは色々知ってるの?」
「え?な、何を?」
瞬間顔面の血管が躍動し、どもった。
彼女が何を言おうとしてるのかが理解できずに、だが反射的にその裏に隠れた意味に対する想像が変な方に向かってしまった結果だっだ。
しかし場合によっては微笑ましいとも取れる光景が、次の瞬間には一気に無かったことになってしまうのは必然の成せる技だったのかもしれない。
「変な場面に居合わせるって…」
その言葉にミュラーの鼓動は一つ大きく跳ね上がる。
今しがたの疾しい想像は瞬く間に成りを潜めてしまった。
「そ、それは…何のことだい?」
すぐに思い当ったがとぼけてみせた。
だがフィリーネの口から発射されたトドメは、彼の鼓動を停止させるのに見事成功することになる。
「フォーカス・ミュラーの異名があるって本当なの!?」
目の前が白くなった。
別に語るのを避けていた事実でもなかったが知られたくもなかった。
「と、唐突だな」
素直な気持ちだった。
「今日聞いてしまったの」
「今日?」
一体誰から…という疑問が沸いたがあえて尋ねなかった。
するとフィリーネが見聞きしてきた事柄を語ってくれた。ミュラーは肯定も否定もせずただだんまりを決め込んだ。こちらを凝視する青い視線が痛かったが構わなかった。
そして双方しばしの沈黙の後、最初に口を開いたのは彼女のほうだった。
「本当なのね」
「……」
それには答えなかった。頷いてしまえばどんな反応が返ってくるのかが容易に想像出来たから怖かった。だが先方はそれを肯定と受け取ったようである。
「楽しいの?面白いの?」
「た、楽しいとか…お、面白いとか…そ、そんなことは、な、ないよ」
重い口を開いてはみたが、まるで魂が半分身体から抜け出ているように感じられた。故に答えはうわ言のようにしどろもどろになる。しかもそれを他の提督達と共有して楽しんでいた部分が無きにしも非ずだったので事実無根と云えない点で少しばかり心が痛みを訴えた。だから自分の行状に対して首を縦に振ったことになったなど気づきもしなかった。
「だったらどうして皆に聞かせるの?」
「べ、別に聞かせようと思って話しているわけでもないよ。それにそういう場に居合わせるのもたまたまの偶然で…」
「悪気はないってこと?」
青い瞳が正面から真っ直ぐにこちらを射抜いた。
やはりこの目に弱い。
それでもここはしっかり否定しておかないと何かと面倒になりそうな予感がした。
「ああ。全くない」
きっぱりと頷いてみせたが、彼女はそれで終わりにしてくれそうもなかった。
「だったら止めてよ。悪気が無くとも自分の知られたくない部分を知られた人には迷惑な話だわ。貴方だって嫌でしょ?同じことをされたら」
「まあ、それはそうだけど…」
「だったらやめて」
こちらを見上げながら必死に訴えるフィリーネの両肩をミュラーは優しく抱いた。
「君がそう言うならそうするよ」
あえて笑んでみせた。
「私が…言うから?」
「ああ」
事の大団円を予感しながらしっかりと頷く。
だがそれは彼一人の儚い幻想でしかなかった。
「それじゃダメ!」
幸せな終焉を迎えるべく近づけた唇の先で奪うはずの唇が更なる抵抗の言葉を紡いでしまったのである。
ミュラーは驚いたように砂色の瞳を丸く見開いた。
「ダメって…だからそうするって…」
「ねえ、ナイトハルト。自分で強くそう決意してよ。じゃないときっと無理だわ」
「無理って…大体そういう場に居合わせるのも偶然なんだ」
「そういう問題ではないのよ。貴方、私が言うからって言ったわ。それに偶然とか私は聞いてない。お願いだからやめて」
こちらを見るフィリーネの表情も声音も真剣そのものだった。
自分のことを思って言ってくれている。それは痛いほど伝わってきた。
だがここまでくると説教されてる感も否めない。
いや、確かに説き伏せられているのかもしれない。
そう思った時、ミュラーの中にむくむくとそれに対する反発心が頭をもたげてきた。
「君はさっき無理って言ったね?」
発した声は先ほどとは打って変わって低く押さえたものだった。
「ええ、言ったわ。だってずっとそうしてきたんでしょ?」
しかしフィリーネの解答は明確だった。変化した声音に怯みもしなければ驚きもしない。気づいてもいないのではないか。
それはミュラーの灯に似た反抗心に更なる油を注ぐ。
「確かに君が言う通り今まではそうかもしれない。しかしこれからは違うと言ってるんだ」
「だったらそうしてよ」
「大体、さっきも言ったが本当にその場に偶然居合わせるんだ。自分じゃどうすることも出来ない」
「だからそれは問題じゃないって…!」
「それも分かってる。分かった上でそうすると言っている」
「なら、それでいいじゃない。お願いだからそうして、ナイトハルト」
懇願するようなフィリーネの言葉は、だがしかしこの時のミュラーには届いていなかった。
「だけど君の言い方を聞いてると俺には到底無理だと聞こえる」
「何を言ってるの?そんなこと言ってないわ」
「言ってるだろ」
「言ってないわ。到底なんてそんなこと!」
「たとえ口には出して無くともそういう意味に取れるんだ」
「そんなつもりはないわ!」
「でも心では思ってる。違うかい?」
「違うわ!」
「違わないだろ!?」
「違う!!」
「違わない!!」

一日の労働から解放され、安らぎの空間である我が家で飲む酒は格別だ。
ファーレンハイトはクリスタル製のグラスを乾杯するように一人掲げた。
水色の視線の先にはグラスにブランデーがなみなみと注がれている。
誰もが認める最高級品だ。
悦に入ったように茶色い液体をぐいと一気に胃の最奥目がけ流し込むと、
「ふふふふふ…ふわぁっはっはっはっはっはっ!」
否応なくこみ上げてくる勝利に酔いしれた。
高笑いが室内に響きわたる。
「ミュラーの小僧め。思い知るがいい」
ものの見事に空になったグラスの中には大きな丸い氷が堂々と鎮座している。
終業直前に偶然会ったミュラーに今晩の予定を尋ねると、彼は笑って言葉を濁していた。
おそらく今頃はあの同盟軍少佐と共に長い夜を過ごしていることだろう。
「しかも相手は未だ二十も半ばだというではないか…ふん!己より遥かに若い女を捕まえるなぞ一万年早いというものだ」
今は此処にいない相手に毒づきながらもファーレンハイトは上機嫌だった。
策は万全だ。成功しないはずがない。
だからこそ勝利の美酒を自分はあおるのだ。
本日の戦果に一人満悦し、更なる己の潤いのためにボトルに手を掛けグラスに新たな杯を注ぎ込もうとした。その時…。
しゅごっ!
頭頂に鈍い痛みが走り前のめりになった。危うくテーブルと直接対面を果たすところだった。
「てっ!」
はからずも声が出た。
何者かによって手刀が振り下ろされたのだ。
「あんたまたろくでもないことしたでしょ?」
ベルタだ。
今日の日中ファーレンハイトの奸計を愚かにも阻止しようと目論んだ猪と同じ薄茶色の瞳が冷めた表情でこちらを見下ろしていた。
「何の事だ?」
という涼やかなうそぶきは半ばで強制終了させられた。
ごっ!
ごん!
代わりに問答無用のげんこつが頭部を直撃し、喜色に満ちていた顔面が今度こそテーブルと熱い接吻を交わす。
「問答無用!」
遥か上方でふんと鼻を鳴らす気配がした。
「猪め!」
胸中で叫んでみたがどうにもなるものではなかった。
手の届く未来に自分に待ち受けるのは何か。
歴戦の勇将にとって想像するには容易なことである。
ファーレンハイト家にも嵐の予感が濃厚に漂い始めていた。



<END>

真帆片帆」ゆうやん様へ捧げます。お誕生日プレゼントです。
「フィリーネ、フォーカスミュラーの真相を知る!ファーレンハイトがチクってビッテンがバタバタしてミュラーが怒られる」というリクにお応えして書いてみました。ビッテンの出番が少し足りないかなと思いつつも、初ファー様書いてて楽しかったです。ずっと書いてみたかったファー様なので機会をくれたゆうやんさんには感謝しております。
ゆうやんさん!お誕生日おめでとうございます!!