穿 鑿<せんさく>







「相変わらずお忙しそうにしてますね」
聞き慣れない声に振り返ってみると親衛隊長であるキスリング少将だった。
「お久しぶりです。ええ、時間には限りがありますから。フェザーンに滞在している間は出来るだけ早く効率よく動きたいので」
フィリーネが敬礼し破顔一笑する。
「そうですか」
キスリングはその表情には応えはせず、ただ頷いた。
新年の祝賀会以来、遠目にフィリーネを見かけることはあっても声を掛けるのは今回が初めてであった。
「少将もお忙しいのではないですか?」
「それはいつものことです」
「そうですか」
「ええ、慣れてます」
祝賀会の時も思ったが、こうして普通に話してみれば彼女は何の変哲もない普通の若い女性士官でしかない。「同盟の」という肩書きが付いた。
そんな彼女にミュラーは惹かれている。
あの時、キスリングは直感的にそう悟った。
「プライベートも…」
「え?」
そして、思わず己の口から出た言葉にキスリングはその言の訂正を余儀なくされる。
「いえ、フェザーン滞在の際は観光などもされるのですか?」
「そうですね。時間に余裕があれば。だから出来るだけ仕事を素早く終えるというのもあるかもしれません」
「やはり買い物と食べ歩きの類を?」
「そう思いますか?」
逆に聞き返されたキスリングは自分の持つ偏見かもしれない思考に対する僅かばかりの羞恥を覚え、後頭部に白い手袋で包まれた手をやった。
「ああ、これは。どうも自分の女性に対するイメージが…」
「買い物と食べ歩き、ですか?」
「ええ、まあ。違いますか?」
帝国の親衛隊の制服を見事に着こなした親衛隊長はどことなく気恥ずかしくなり、そうは感じられなかったが、自分の顔に熱がこもっていないことを祈った。
「違いません」
フィリーネがかぶりを振る。
「少なくとも私はですけど。確かにフェザーンで過ごす余暇の大部分はそういったことに消えていきますから」
「そうですか」
「ええ。もともと此処がそういう星だということもあるのかもしれませんが、行ってみたい場所はたくさんありますね」
「なるほど。では一人で廻られる?」
目の前のフィリーネが小首をひねったとき、キスリングは己に僅かばかり嫌悪を感じた。
最初、自分は彼女の姿を見かけたから声を掛けた。だが、今までの自分ならおそらくそんなことはしなかったし、しもしなかった。だったら、何故今回に限って声を掛けたのか。それは自問自答にもならなかった。
結局のところ、自分は知りたいのだ。
祝賀会の後に共に杯を傾けたミュラーと自分との間で、あれ以来フィリーネに関する話題は一切出たことがなかった。ミュラーにとってその件に関しては耳の痛いところだろうし、自分もあえて口の端に乗せるのは面倒くさかった。ひょっとしたら、お互い避けてきたのかもしれない。
おそらくそれはキスリングの見解が、ミュラー本人の自覚無自覚に関わらず的を射ていたからだ。既に己の意思を無視して一人歩き始めているからだ。
そうなってしまっては今更手遅れなのかもしれない。
それでもキスリングは人知れず願っていた。
旧知の友がやっかいな事に巻き込まれないことを。
時として人の感情という物は不可思議で面倒くさい。特に恋情が絡むと尚のことだ。
それはあまたの文献や伝聞が示してくれるし、自分自身にも身に覚えがあった。
「いえ、案内役がいなくとも問題ないのかと、ふと思ったもので」
キスリングは気を取り直して質問の意味を噛み砕いてみせた。
「ああ、そういうことですか」
「ええ」
「そうですね。大体は大丈夫ですよ。検索すればあっという間ですし」
「でも、飲食店などには一人で入られるのは憚れるでしょう?」
(まわりくどい。汚いやり方だな)
内心で自分に嫌気が差したが、どうにも変えられない己の意志がその口と連動を止めることはしないようだ。そして、また、このような形で二人を探ろうと画策する自分にも呆れ落胆する。
ミュラーが知ったらどうするだろうか。
砂色の瞳を赤く染めて怒るだろうか。それとも無言で殴りかかってくるか。
普段、自分の色事に関する話題は意識して避けているような部分がある男だ。
そこまで考えたキスリングの片隅に、いつも他人の事ばかり話題に乗せたがり滅多に激高することもないナイトハルト・ミュラーという人間を烈火のごとく怒らせてみたいという妙な考えが浮かびもしたが、それは意識的に無視することにした。
「カフェくらいなら一人で問題ないですよ。それに飲食店は、仕事上の付き合いだったりで思いがけなく入れてしまうこともありますから」
青い瞳を細め穏やかに述べるフィリーネからは、隠し事だの秘密だのという類の単語を連想することは出来ない。事実をありのままに語っているだろうことは容易に想像がついた。
「なるほど。そういうものですか」
納得してはみせたが、しかし彼の目的は未だ達せられてはいない。
それにしても自分は本当にまわりくどい。
こんなことミュラーに直接問えば良いだけではないか。
「リーゼンフェルト大尉と会っているのか」
それだけでいい。その一言が何故あいつの前で出ないのか。
いつものミュラーなら涼やかに笑ってやり過ごしてくれるだろうに。
だがおそらく今のミュラーは違う。
キスリングの直感は彼にそう告げていた。
だからといって、こういう手段は如何なものなのか。
内面で堆積し続ける自身への苛立ちと嫌悪が最高潮に達したとき、この親衛隊長は半ば投げやりに最終手段に出た。
「では、少佐はミュラー元帥と個人的に会われたりなどはしているのですか」
だがその言葉はミュラーの名を出す直前で遮られる。
また別の苛立ちを覚えながら振り向くと、そこには麾下の士官が直立の姿勢で立っていた。
黄玉の瞳を細め豹のように鋭い眼光を走らせた上官に、士官がおののくのが見て取れた。
キスリングは表情には出さず、気持ちを切り替えようと努力する。
何故、部下が畏れの表情を見せたかが一瞬で理解出来たからだ。
白い手袋で包まれた右手で乱れてもいない前髪を掻き上げる仕草をしたが、これは己の感情を律する為だった。
意識して落ち着き払った声で用件を聞き出せば、部下も肩の力を抜き訓練の準備が出来たと述べた。
「申し訳ありません、少佐。そういうことですので」
思惑はさておき、それはキスリングの本心からの謝罪だった。
「いえ、こちらこそ」
そういって首を振ったフィリーネが敬礼すると、キスリングは答礼し部下を従え踵を返した。
肩越しに振り返った黒い同盟軍の制服を着た彼女は、魅惑的でも蠱惑的でもないただの女性士官でしかなかった。
(まったく…ギュンター・キスリングらしくないではないか)
キスリングは内心で激しく自分を呪うのだった。


<END>

ぐだぐたうだうだ(以下略w) なキスリングの話。きっと本来ならこんな人間じゃないはずなのに。ごめんね、隊長!でも重ねてゴメンナサイ。書く毎にツボにハマる私がいました(笑)その証拠に本来入れる予定だったエピが入らず…そもそも、それが書きたいばかりに書き出したはずなのに…ハイ終了〜(笑)たぶん次に続きますね、これ。