穏やかな笑みを浮かべ、本音だけはそっと包んでしまっておこうか。
話題の始まりは街頭の超大型ソリビジョンに映し出された巨大テーマパークだった。
「そこなら行ったことがありますよ」
楽しそうだと一言もらしたフィリーネにミュラーが何気なしに発した言葉。
「そうなんですか!?」
かと思うと、彼女が身体ごとで迫ってきて彼の心臓を一つ大きく跳ね上げさせる。
思わず背を逸らせる格好になり、砂色の瞳が丸く見開かれると、我に帰ったフィリーネがぱっと身体を離し、頭を下げた。
「すみません。私、興奮しちゃって・・・」
「いえ・・・」
あまりの唐突な出来事に驚きを隠せず、喉から発せられた声は掠れていた。
頬が熱を持つのを感じて、今の自分はどんな顔をしてるのだろうかなどと想像してしまい慌てて思考を中断した。
「一昨年・・・そう一昨年の夏に連れて行かれたのです。貴女も会ったことがありますよ。私の姉夫婦の子供たちです」
代わりに気を取り直すように話題の続きを振ってみると、そこに大輪の花が花開いた。それは子供の頃に野辺で見た清楚な白い花を想起せられ、懐かしい思い出と共にミュラーの中に刻み込まれる。
「ああ!マリーとアルノー!!」
見知った人物の登場にフィリーネが顎の下で両手を合わせて嬉しそうに目を輝かせた。
「ええ、そうです。夏休みを利用して一家でフェザーンを訪れたんです。その際に二人に引っ張って行かれました」
「二人に?」
「何を思ったか姉が新婚時代に戻った気分を味わいたいと言い出しましてね。私が子守を仰せつかったのです」
そうでしたかと答えながらフィリーネの想像の中で、子供二人に翻弄されるミュラーの姿が勝手に再生され、思わず噴き出した。映像の中の彼は、右手をマリーに左手をアルノーに引っ張られて今にも転倒しそうになっていた。天下の帝国軍元帥閣下も形無しの体である。
しかしそんな彼女を何事かといった表情で見る視線に気づいたフィリーネが、たった今脳内で行われた上映会の内容を簡単に説明してやると、私生活では叔父さんと呼ばれる元帥閣下は小さく肩をすくめるのだった。
「それはあり得ませんと否定したいところですが、ほぼ事実でしょうね」
「認めるんですか?」
「自分ではそういうつもりは全くありませんがね。当時は意識していませんでしたが、今になって思い起こすとそうなっていた可能性は大いにあります」
「苦労したと?」
「苦労…」
ミュラーがひとしきり考えるように首を捻った。
「ささやかな家族サービスだと思うことにしましょう」
答えは出さずに笑顔でそう締めた。
確かに苦労だったのかもしれない。好むと好まざるに関わらずその場その場で行先を決定され、それに従わなければいけなかったのだから。前もって決定していた計画など無いに等しかった。まがりなりにも本職の軍人であり高官である。体力と精神力には自信があった。しかし終わってみればどうだ。精も根も尽き果てて、当夜は早々にベッドとお友達になってしまった。
だが、それをそのままフィリーネに言ってしまえば自分の至らなさを露呈するようで嫌だった。せっかく良好な関係を築きつつあるのに彼女に一歩引かれてしまうのではないかという恐れもあるにはあったが、そちらはあえて無視を決め込んだ。
「元帥は…」
「え?」
そしてフィリーネもまた、
「元帥は、存外高い自尊心の持ち主でいらっしゃるんですね」
というミュラーの人となりに関する感想はあえて伏せた。ここでそれを言ってしまえば何となく居心地が悪い環境になってしまうように思えたからだ。
「いいえ。何でもありません」
小さくかぶりを振ると、気になりますねとミュラーが砂色の瞳を細めた。その微笑とも取れる表情に第六感でフィリーネは、自分の選択が間違っていないことを確信する。
「でも、やはりテーマパークは楽しそうです」
「なら…」
ミュラーの視線が先ほどの大型ソリビジョンに転じられると、フィリーネもまた彼を追うようにそちらを見上げた。
「今度、行きましょうか?」
「え?」
思わぬ申し出に我が耳を疑いその横顔に目を遣るが、彼女より頭一つ分高い彼の表情は分からなかった。
「もしよろしければ…ですが」
しかし、言いながらゆっくりとこちらを振り向いたミュラーの顔には大画面から発せられる光源と街のイルミネーションが混在して青白い陰影を落としていた。その表情はいつも軍部で見かける帝国軍元帥の威厳に満ちたそれではなく、かといって日常の優しげなそれでもない何とも形容しがたいものだった。
(何故、この人は困っているのだろう)
何よりもまずフィリーネはそう感じた。
そしてミュラーはミュラーで誘因とも云える言葉を発してしまった瞬間、ある会話が脳裏を過り、内心でひどく自身に動揺をした。
それは先日交わしたばかりのキスリングとのやり取りだった。
惹かれているのかという問いを否定し、自分と向き合ってみろという言葉には未だ耳を貸してはいなかった。そうして、反対だからなと珍しく強い意見を述べた彼を無言でやり過ごした。
(この光景を見たら、あいつはどんな顔をするのだろうか)
ここにはいない友に思いを馳せ、此処に在る件の主を見つめながら、それでもミュラーは再度言葉を投げかける。
「一緒に」
静かだがハッキリとした申し出が耳に届いた時、フィリーネは思わず相手の袖口を掴んでいた。
「本当ですか!?」
縋るように掴まれた腕の先に頼りないながらも確かな力強さが伝わり、ミュラーはまたしても心を揺り動かされる自分を自覚せざる得ない。
思わずその腕を振り上げそうになり慌てて中断すると、それを察した己の物ではない二つの手は急いで離れていった。
「すみません。私、あまりにも嬉しくてつい…」
消え入るように語尾を萎ませたフィリーネの青い瞳が犯してしまった失態に後悔の色を覗かせている。
それでも白い頬が異性に恥じらう乙女のように紅潮しているのは光の加減か。
ふと、そこに触れたい衝動に駆られた己の手がビクリと動こうとしたが、それは理性を以って制御し、ポケットに隔離した。
そして、すっかり空いてしまった片腕に寒風が直に当たるような寂寥を感じながらも、忘れ果てていた暖かい感情が心の何処かから湧いてくることに好ましさを覚えて一人内心で苦笑する。
「では、春になったら」
「春になったら?」
「はい。共に行きましょう」
その提案に迷うことなく頷くフィリーネを砂色の瞳に映しながらミュラーは、さっきポケットに隠した己が手を誰に知られることもなく握り締めた。
穏やかな笑みを浮かべ、本音だけはそっと包んでしまっておこうか。
<END>
お題提供:原生地さま